2021年10月13日

突然の修行

先週の地震でガスが止まってしまった。

ガスメーターが揺れを感知して止めたのだろう。以前の地震でも同様のことがあって、自分でガスメーターの復帰ボタンを操作したら元に戻った。今回もやろうと思ったが、日頃の行いのせいかメータースペースの扉を開ける鍵が折れてしまった。大した鍵ではないので管理人さんに相談すればどうにかなりそうではあるが、不運は続くもので、いや本当は不運などと言うべきではないのだが先週末以来ずっと仕事が続いていて、管理人さんには会えていない。管理人さんは昼間しかいないのだ。

というわけで、今も当アジトのガスは止まったままだ。冷水のシャワーで体を洗う毎夜であるが、これがさすがにキツイ。まるで修行である。

形だけは修行であるが、冷水が煩悩を洗い流して悟りの境地に近づくのかといえば、そんな気配は微塵もない。「これで風邪をひいて熱でも出た日にはコロナ患者と思われて仕事に行けなくなるなあ」と卑近な心配ばかりが頭をよぎる凡夫の浅ましさである。


10/14追記
本日無事に解決。改めて文明の有り難みを知る。
 
posted by 非国民 at 02:05| Comment(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月30日

パチンコ未経験者が『パチンコ』を読んだ。

ミン・ジン・リーの小説『パチンコ』を読了。Min Jin Lee - PACHINKO。著者名は東アジア風の呼び方だとイ・ミンジンといったところか。日本語版は池田真紀子訳、文藝春秋2020。

少し前に読んだ書評記事が気になって、というか、その記事のコメント欄が凄すぎて気になっていた一冊だ。まあ何が凄いって「読んでないが中身は想像がつく」という超能力者が雲霞のごとく押し寄せて酷評しまくっていたのだ。およそ読書人にとって、読んでいない人のコメントは高評価だろうが低評価だろうが全てゴミである。そんな当たり前の事に想像が及ばない人たちというのは、いったい本を何だと思っているのだろうか。

さて、そんなわけで気になっていた一冊だが、読み始めて一気に引き込まれた。良い話だ。読んで良かったと本当に思う。著者はコリア系アメリカ人。日本に住み着くことになったコリアン一族4世代の数奇な運命を紡いだ物語で、1910年から1989年にまで至る長い話だ。上下巻700頁の大作だが、なかなかのページターナーで、長いとは全く感じない。まあ英語圏の小説は概して長いので、これぐらいは普通だし。

アメリカではかなり評判になったらしい。まあ何となく分かる。ホッセイニの時にも思ったが、いかにもアメリカ人が好きそうな話ではある。移民の苦労話と家族の絆、加えて逆境に屈しない信仰心、まさに鉄板の組み合わせだ。その「出来過ぎ感」だけは少し引っ掛かったが、それでも良い本を読んだという思いは変わらない。重ねて言うが、読んで良かった。
 
posted by 非国民 at 14:22| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月29日

日本語の記憶

意外に忘れないものだなあと、我ながら不思議に思う。

相変わらず仕事はほとんどなく、そして、失業状態で家に引きこもっていると耳から入ってくる日本語はゼロに近い。同居人はいないし、テレビともラジオとも無縁の生活である。宇宙と交信したり神の啓示を聞いたりという特技も持ち合わせていない。もちろん文字としての日本語には接しているが、音声としての日本語に触れる事はない。

唯一と言っていい例外は、毎日決まった時間に隣の消防署から聞こえてくる「不要不急の外出を避けましょう」という市役所からの「お願い」だ。以前は「市長の松戸です」という名乗りから始まっていて、これではまるで選挙運動じゃないかと思ったものだが、市長選挙が終わった今も律儀に放送される。ただし市長の声ではなく「こちらは船橋市役所です」から始まるようになった。

去年までは行きつけの中華屋でバサマやジサマと世間話をするというささやかな楽しみがあったが、その中華屋も年明けの緊急事態宣言を機に閉店してしまった。

今や人と会話するのは近所で買い物する時ぐらいのものだ。会話とも言い難い。仕事以外でちゃんと日本語で話をしたというのは、今年に入って何回あるだろう。車検の時にディーラーの担当者と話したのと、火災報知器の交換に来た電気屋さんと話したぐらいか。あとは確定申告の時の税務署員か。いや、あれは会話のうちに入らないな。

家にいる間はよく音楽を聴くが、あいにく日本語の歌を聴く機会は圧倒的に少ない。今日はまだ英語とアムハラ語とベトナム語しか耳にしていない。

そんな状態でも、たまに仕事に出ると、特段の不自由なく日本語でコミュニケーションが取れるから不思議なものだ。どういう機序になっているんだろう。
 
posted by 非国民 at 12:33| Comment(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月24日

政局報道という日本の伝統芸能

自民党の総裁選挙が始まっていて、ニュースは連日その話題で持ちきりである。自民党の党員と党友は合わせて100万人余と言われているので、本来なら日本人の99%には関係ない筈なのだが、毎度のことながらメディアの浮かれようは尋常ではない。曰く、誰某は誰某が嫌いだが、もっと嫌いな誰某だけは総裁にしたくないと思っている云々。変わることのないその景色に昭和の自民党政治を思い出す。

もはや伝統芸とでもいうべき政局報道がかくも盛り上がるのには幾つかの理由がある。

昭和の自民党政治では(まあ基本的には今も変わらないが)、自民党の総裁は党内の権力闘争と密室謀議で決まった。権力闘争を眺めるのは確かに面白い。99%の日本人には関係ないのだから、無責任に楽しむことができる。加えて、建前上は党内の「私事」であるから、メディアも「公平な報道」を求められない。好きなように切り取って面白おかしく伝えることが出来る。

候補者も一応は政策らしきことを口にするが、もとより国民に対する公約ではないので、何とでも言える。そもそも政策論争がしたいのなら国会でやればいいのである。頑なに国会を開かずに自民党内だけで政策論議を完結させんとする奇観も、懐かしき昭和の景色を彷彿とさせる。

とはいえ、自民党の総裁選挙は実質的に日本の首相を決める選挙でもある。これは昭和も今も変わらない。自民党は党員の獲得にあたって「党員になれば日本のリーダーを決める選挙に投票できますよ」と謳って勧誘する。もちろん限りなく嘘に近い。日本の首相は自民党内の権力闘争と密室謀議で決まるのである。だから政局報道には一定のニーズがある。

昭和の自民党政治は(まあ基本的には今も変わらないが)族議員を通じて利権を配分するシステムであった。多くの老舗日本企業が国際競争力皆無なのは、魅力的な商品やサービスを提供することよりも「上から降ってくる金」を獲得することに最適化しているからだ。少しでも権力に近いものが得をする。

だからこそ、昭和のシステムでは(まあ基本的には今も変わらないが)次の首相が誰になるかを一分一秒でも早く知ることが莫大な経済的利益に繋がる。政局報道には実利に基づいた深いニーズもあるのだ。
 
posted by 非国民 at 02:06| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月16日

希釈された「緊急事態っぽさ」だけがダラダラと続く

驚くべきことに東京は緊急事態宣言の発令下だ。驚くべきなんだろう、本当は。

にしては、このさっぱりとした緊急事態感のなさはどうだろう。この期に及んで何か意味があるのか? 

要するに日本の緊急事態宣言は(少なくとも2回目以降は)政権の支持率対策であり、それ以上でも以下でもないのだと思う。現にこの宣言は実際の感染拡大状況とは無関係に出され、その度に多少なりとも支持率は持ち直してきた。宣言を出すのも延長するのも解除するのも、ただただ支持率の推移を見て判断するだけであり、だからこそ絶対に客観的な発令基準を設けようとはしない。

今回の延長も、例によって事前にマスコミにリーク記事が流され、世論の反応を確かめた上で決定された。そして、それらの報道そのものが既に緊急事態感を欠いている。「2ヶ月前から続けてきた対策を来週以降も継続するかどうか明日の会議で検討する」という報道は、誰がどう見ても緊急事態を伝えるニュースではない。

今の緊急事態宣言に何かしら感染対策として実効性があると考えている人はいるのだろうか。日本の感染対策のキーは人流抑制ということになっているが、もはや殆どの専門家も政治家も役人も、これを漫然と続けて効果があるとは考えていないはずだ。それでも止められないのは、結局のところ彼らの骨の髄にまで染み込んだ責任回避体質が原因だろう。

もちろん、それぞれが感染拡大を防ぐために知恵を絞り汗をかいているとは想像する。彼らを悪く言うつもりはない。そうはいっても「感染拡大を防ぐこと」は、残念ながら彼らの最重要課題ではない。最も重要なのは「感染拡大が防げなかった時に、それが自分の責任にならないこと」なのだ。もはや日本のコロナ対策は壮大なババ抜きと化していて、誰もが「どうすれば自分の責任にならないか」を考えているようにしか見えない。
 
posted by 非国民 at 04:13| Comment(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年09月14日

自民党の総裁選について非国民が思うこと

そもそも私は自民党の支持者ではないので、全くの他人事であるし、さしたる関心もない。

それでも、高市応援団の低脳ぶりが酷すぎる、とは思う。

「出来もしないことを平気で言う勇ましさ」というのは、かくもウケるものなのか。まあ、ウケるんだろうなあ。あの安部さんが7年余も選挙に勝ち続けたんだから。
 
posted by 非国民 at 04:50| Comment(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月08日

オリンピックにも侍にも興味がなくて

ネットでニュースを見ていたら「侍ジャパンが金メダル・・」という見出しが視界に入った。何度か見たことのある言葉だが「侍ジャパン」が何なのかを全く知らない。何かの競技で日本選手団がメダルを取ったのだろうな、とは想像するが、何の競技なのかは見当もつかない。

見出しをクリックして記事を読めばすぐに分かるのだろうが、読もうとは思わない。興味がないからだ。オリンピックどころかスポーツ全般に興味がなく、テレビを視ない人間は、割とこんなもんじゃないかなあ。

おそらく記事を読めば「侍ジャパン」が何なのかを知るのに1分と掛からないだろう。こんな駄文を書き散らしている間に済む話である。それでも読もうという気にはならない。別に知らなくてもいいかな、と思っている。
 
posted by 非国民 at 00:29| Comment(2) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月06日

KGBに怯える季夏甚熱の候

先ほど買い物から帰って来て靴を脱いでいたら、視界の端に何やら動くものが映った。これはもしや。

屈んで見れば嗚呼、何といふことでせうクロゴキブリ。立派な成虫だ。恐怖に鳥肌立てつつも脱いだ靴の底にて殺生する。合掌。

当アジトでゴキブリを見るのは久しぶりだ。室内で見たのは、引っ越してすぐの頃に成虫1匹を殺生したのが最後だから20年ほども前だ。そして今日が2回目ということになる。もっとも、共用廊下では何度か見ているので、「いるなあ」とは思っていた。今回は帰宅とともに連れ込んでしまったのだと信じたい。今後は用心せねば。

KGBの何がそんなに嫌いなのかを説明するのはとても難しい。子供の頃から好きだったことは一度もない。これほど久しぶりに見たのに一瞬でセンサーが作動するというのも、何かしら本能に刷り込まれているのだろうか。

ゴキブリのフェロモン研究で名を成して日本昆虫学会の会長も務めた石井象二郎博士は「それでも私はゴキブリが嫌い」と公言し、著書『ゴキブリの話』では「ゴキブリとスリッパ」に一章を割いた。

それにしても、我ながらよく気付いたものだと思う。ヒトの視覚は、動くものと動かないものを脳の別の部位で処理しているそうだが、なるほど、こういうことかと深く感じいった次第である。
 
posted by 非国民 at 02:27| Comment(0) | 生き物あれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年08月03日

絶好の熱中症日和にアスリートへの同情を禁じ得ない

今日も暑い。珍しく(というか突然の公演中止で)昼前には仕事が終わり、絶賛猛暑の街を歩く。倒れそうなほど暑い中、殆どの人がマスクを着けていて「日本人て凄いなあ」と感心することしきり。

こともあろうに、巷ではこの猛暑の中でオリンピックをやっておるそうで、全くもって正気の沙汰ではない。私なんかは招致の時点で「正気の沙汰ではない」と思ったものだが、気がつけばそれが現実となっている。やっぱり日本人て凄い。

ちょっと前のニュースでは、この猛暑のどこが「温暖で理想的な気候」なんだみたいな海外勢の苦情が報じられていて、どう控えめに見ても、そう高らかに宣った安部さんの言は嘘だよなあと私も思う。もちろん、それが嘘であることは少し調べれば誰にでも分かることだから、まんまと嘘に乗せられて開催地を決めたIOCもどうかとは思うが、だからといって日本が嘘をついたという事実が消えるわけではない。

わざわざ極東の島国まで、それも一年のうちの最も過酷な季節にやって来て競技をするアスリートには心から同情する。あなたは本当に運が悪かった。オリンピックに全く興味のない私でも、それだけは強く思う。

日本では政治家が嘘をつくのは当たり前だと思われているが、そうではない国も多い。そして、当然のことながら「政治家が嘘をつくのが当たり前ではない国」では安部さんは政治家にはなれない。
 
posted by 非国民 at 15:47| Comment(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年07月14日

熱中症になった

数日前、仕事中に熱中症で倒れた。自慢する話ではないが、多少なりとも教訓になればと思い、事の顛末を書き記す。

場所は4段イントレの上。まあまあの高所だ。やばいなあという自覚は薄々あって、あと2台吊ったら休憩しようと言うつもりだった。つもりだったが、その後の記憶がない。気付いた時には、イントレ上に座り込んで一緒に作業していた同業者に背中を支えられていた。熱中症という言葉が遠くで聞こえたように記憶しているのは、おそらく彼がトランシーバーで救援を呼んでいたのだろう。

後になって話を聞くと、気絶していたのは1分か2分ぐらいだったらしい。急に返事がなくなったので見たら、その時には既に真っ青な顔でへたり込んでいたそうだ。その同業者も熱中症者を見るのは初めてだったようで「あんなになっちゃうんだ」と驚いていた。

意識を取り戻すと、いつの間に集まって来た同業者たちが「大丈夫か? 一人で降りられるか?」と声を掛けてくれる。自分では大丈夫な気がしたので、なんとか自力で地上まで降りる。すぐに水を渡されるが、一口しか飲めず、再びへたり込んでしまう。いま思うと、水が飲めないというのは本当に怖い。周りに誰もいなかったら倒れっぱなしだったかもしれない。

しばしへたり込んだ後、どうにか歩けるようになり、涼しいところで小一時間ほど休んで復活した。もちろんその日は「あんた高いところ登らんでええから、下でサポートしてて」という話になり、有り難くその言葉に甘える。幸いにして、その後は問題なく仕事を続けられた。

熱中症一歩手前を感じた事は何度かあるが、本気で倒れたのは初めてだ。前兆としては、まず力が入らなくなる。それから酒に酔ったような感じが来る。すごく眠くて目を開けていられない感じだ。そして、そこから先は覚えていない。

教訓としては、とにかくヤバイと思ったらすぐに休む事に尽きる。熱中症は想像以上に急に来る。「ここまでやったら休もう」とか思っていると間に合わない。
 
posted by 非国民 at 13:52| Comment(6) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする