2006年09月08日

私の血筋は双系的に流れている

「私は武士の血筋でどうたらこうたら」みたいなことを言う人がいる。
どの血筋が、とは言わない。どうやら「血筋」と言えば父系であると、暗黙のうちに前提されているようなのだ。

私には、その感覚が、どうにもピンとこない。祖先に関する私の意識は、多分に<双系的>なのだ。
 
非国民も人の子であるからして、親の資質というものを幾分かは受け継いでいる筈である。ここで父親からの流れを重要視する感覚を父系的、母親からの流れを重要視すれば母系的だと言える。私自身は、特にどちらからということも無く、両方の親から同等に資質を受け継いだという意識を持っている(それにしては出来が悪いという気はするが)。

その延長上の発想で、4人の祖父母についても、その4人が均等に「私の血筋」なのだと思っている。曾祖父母なら8人だ。武士といえば江戸時代の話であるから、さらにその前の世代である。いとこ同士で子を作るようなヤヤコシイことをしていなければ16人の先祖である。

16人のうちの一人や二人は武士の家柄であってもおかしくはないのだろうが、そのことをもって「私は武士の血筋で」とか言えるものだろうか?父系にこだわるのであれば、注目すべきは16人のうちのただ一人なわけだが、その一人をことさらに重要視する理由を、私は持っていない。血筋は双系的に流れるものだと思っているからだ。


【追記】この広い世界には、「双系制」という文化も存在する
posted by 非国民 at 02:30| Comment(0) | TrackBack(1) | 歴史と文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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