2014年04月23日

「持たざる国」の運命

片山杜秀『未完のファシズム』を読了。新潮社2012。

第一次大戦に人類は未曾有の総力戦を見た。もはや戦争は戦術や兵の錬度ではなく物量が勝敗を決する時代になったのだ。「持たざる国」日本はいかにして「持てる国」アメリカに対抗し得るのか。様々なアプローチとその破綻へ至る諸相が分かりやすくまとめられている。

「持たざる国」は総力戦をやってはいけない、というのが第一次大戦後の日本陸軍では主流的な考え方であったようだ。局地的な短期戦で圧勝して早期講和という例の戦略ですが、相手も戦略を練る以上、もちろん成立しませんでした。

石原莞爾の構想は、まず満州を押さえて、日本を「持てる国」にしてからアメリカと張り合うというものでした。彼の世界最終戦論では日米の決戦が1970年頃に設定されています。それまでに日本を「持てる国」にするという戦略です。もちろんこれも成立しませんでした。日本を「持てる国」にしてから戦争しようという構想そのものが必然的に戦争リスクを高めてしまうからです。「持てる国」になろうとすればするほど「持たざる」うちに戦争に追い込まれやすくなる。

結局「持たざる国」は精神力を唯一の頼みとして破滅へと向かうしかない。行き着くのは玉砕という哀しき必勝哲学です。

分かりやすい本なんだけど、ちょっと分かりやすくまとめ過ぎたかな、とも思う。石原莞爾について言えば、少なくとも一時期の彼は満州を利用するだけでなく「五族協和」の理想を本気で希求していた節がある。にもかかわらず現実に行ったことは侵略と植民地的収奪以外の何物でもなかった。その不整合をどう考えるのか、もう少し掘り下げて考えてみる必要はあると思う。
 
posted by 非国民 at 03:20| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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