2021年09月29日

日本語の記憶

意外に忘れないものだなあと、我ながら不思議に思う。

相変わらず仕事はほとんどなく、そして、失業状態で家に引きこもっていると耳から入ってくる日本語はゼロに近い。同居人はいないし、テレビともラジオとも無縁の生活である。宇宙と交信したり神の啓示を聞いたりという特技も持ち合わせていない。もちろん文字としての日本語には接しているが、音声としての日本語に触れる事はない。

唯一と言っていい例外は、毎日決まった時間に隣の消防署から聞こえてくる「不要不急の外出を避けましょう」という市役所からの「お願い」だ。以前は「市長の松戸です」という名乗りから始まっていて、これではまるで選挙運動じゃないかと思ったものだが、市長選挙が終わった今も律儀に放送される。ただし市長の声ではなく「こちらは船橋市役所です」から始まるようになった。

去年までは行きつけの中華屋でバサマやジサマと世間話をするというささやかな楽しみがあったが、その中華屋も年明けの緊急事態宣言を機に閉店してしまった。

今や人と会話するのは近所で買い物する時ぐらいのものだ。会話とも言い難い。仕事以外でちゃんと日本語で話をしたというのは、今年に入って何回あるだろう。車検の時にディーラーの担当者と話したのと、火災報知器の交換に来た電気屋さんと話したぐらいか。あとは確定申告の時の税務署員か。いや、あれは会話のうちに入らないな。

家にいる間はよく音楽を聴くが、あいにく日本語の歌を聴く機会は圧倒的に少ない。今日はまだ英語とアムハラ語とベトナム語しか耳にしていない。

そんな状態でも、たまに仕事に出ると、特段の不自由なく日本語でコミュニケーションが取れるから不思議なものだ。どういう機序になっているんだろう。
 
posted by 非国民 at 12:33| Comment(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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