2015年02月24日

断酒

先週の仕事で軽く足首を捻ってしまった。

若い頃なら何でもなかったんだろうが、あいにく往事とは体重が違うのだ。トレーニングで鍛えて体重が増えたのなら筋肉に伴って骨や靭帯も太くなる。残念ながら私の場合はそうではない。自分で思っている以上の負荷が掛かったようだ。歳をとって治りが遅いせいもあろうかと思われる。

さほどの痛みは無く、階段を下りる時にちょっとつらいな、という程度。とはいえ、捻挫である事に変わりはなく、酒は控えた方が良かろうと、かれこれ三日、酒を飲んでいない。近年では稀に見る記録だ。

酒を抜いたら体調も良くなるんじゃなかろうか、と思いきや、全くその兆候は無い。何故だ。
posted by 非国民 at 13:59| Comment(5) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月20日

既知との遭遇

ほぼ例年の事ながら2月は暇だ。

さしたる仕事も無く、日本の未来は愈々暗く、久しぶりに海でも眺めようかと茂原街道を下っていたら、ソレは突然視界に入って来た。

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ジャパンフーズ。

本ブログで幾度となく取り上げて来た、房総を代表する毒物ドリンクメーカーだ。最近ではこれ
http://feiguomin.seesaa.net/article/146466469.html
思ったより最近ではなかったな。ちなみについ先日、とある友人より「毒物ネタをもっと書くべきだ」と催促されたばかり。

初めて目にする工場は、予想を遥かに越える大きさで、あろう事か堂々と看板さえ掲げている。むろん看板のあればこそ私にも認識出来たわけだが。

それにしてもまあ白日の下にジャパンフーズ。

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何と言うか、もっとこう「闇の密造組織」みたいな感じを想像してたんだけどなあ。軽くがっかり。そして九十九里の海は狂ったように荒れていた。
posted by 非国民 at 05:16| Comment(6) | TrackBack(0) | 毒物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月06日

変わらないカタチ

今さらながら巷で話題になっていた白井聡『永続敗戦論』を読む。強烈な既視感とともに。

著者本人が何度も「既に何度も繰り返し論じられて来たことである」と言う様に、ほぼ全編を通じて新たな知見はなく「その話はもう何度も聞いた」感が湧き続ける。

だが一方で提起された問題が解消したわけでは全く無く、問い続けること自体は実は今でも必要なのだ。そういう意味では、こんな論者がいた方が良い。まして状況は悪化する一方で、倒錯した「この国のカタチ」から目をそらしたまま安穏と生きる余地は殆ど残されていないのだから。

私たちはいつまで無能な政府に耐える事が可能なのだろうか。
posted by 非国民 at 21:27| Comment(2) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月05日

究極のハードSFは意外にしっとりした読後感。

グレッグ・イーガン『ディアスポラ』を読了。ハヤカワ文庫2005。巷のレビューには「SF史上最も難解な作品」だの「イーガンファンよ喜べコレは今までで一番読み難い」だのと相当な言われ様だが、本当にその通りだ。例えて言うなら、ミモレットとか鰹節みたいなジャンルなのかな。極上品ほど堅い。

読み難い理由はいくつかある。例によって些かひねくれた構成もさることながら、未来の技術や概念が全く説明なしにいきなり出て来る。きっとこういうことかと推測しながら読み進む事になる。簡単に外挿出来るほど近い未来の話ではない、にもかかわらずだ。それから個人的には数学的な思弁について行けないというものつらかった。リーマン空間とかフーリエ変換とか、ごく当たり前に出て来るんだけど、もう覚えてないんだよ本当に。ああ情けない。

なんだかんだ言って、私自身はほぼ一月ほど掛かってコレを読み通した。読み通した自分を「軽く凄い」とさえ思うが、でも一方で、間違いなくそれだけの価値はある。読んでよかった。

一つのテーマを追い求めて行くというスタイルではなく、むしろ様々なエピソードの集積として本書は成立しているのだけれど、生命というものの有り様に関するイーガンの考え方がとにかく独特で面白い。特筆すべきは短編「ワンの絨毯」にも出て来る<オルフェウスのイカ>。自己触媒的に生成し続ける巨大分子が自然発生的なチューリングマシンと化し、その中でソフトウェアとして進化し意識を持つに到った<生命>。外界の物質的な世界とはいかなる意味でも関わりを持たないこうした<生命>が、本書では奇特な例外としてではなく、むしろ普遍的な一般性とともに描写される。硅素生物がどうこうという話とは、色んな意味で次元が違い過ぎる。

異質な生命とのコンタクトという点では『ソラリス』にも通じる点があるけど、本書の場合、そもそも私たちの馴染んでいる「肉体人」がほぼ登場しないので、世界観としての類似は薄い。『ディアスポラ』は肉体人のコピーとしてではなく最初からソフトウェアとして産み出された主人公の、宇宙の果て(無限に存在する可能世界の中の一つの果て)にまで到る冒険譚だ。

長い長い(の200乗ぐらいか)旅の果てに突如訪れるエンディングの味わいが、とにかく良い。驚愕のどんでん返しではなく、むしろあっさりした終わり方ではあるのだが、全く予想していなかった結末であるにもかかわらず、ああやっぱりこれ以外には無いよなあ、と腑に落ちる。コンタクトしないで終わるファーストコンタクトもの、というか、もはや何をもって「コミュニケーションの成立」とみなすかが問われる次元にまで到る旅だ。些か煙に巻かれた感はあるが、そのしっとりした読後感は、内容的にはほぼ無縁ながら安部公房の『密会』に近いと感じた。

唯一にして最大の不満は、こんなに読み難くする必要があったのか、という点だ。
posted by 非国民 at 02:04| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月10日

女の姿が見えない

毎年、というわけではないが、この時期には企業の賀詞交換会みたいな仕事が舞い込んで来る。名の通った大企業だと有名ホテルの宴会場で盛大に行われたりするわけだが、何百人も集まっていてほぼ全員が男、という場合が少なくない。

異様な光景だ。おかしいでしょどう考えても。

参加している当事者がその異様さに全く気付いていない風を見るにつけ、そんなビジネスはいすれ長くは続くまい、と思ったりする。
posted by 非国民 at 00:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月13日

明日は投票日

一足早く期日前投票を済ませた。非国民を名乗っていても実は国民なので私には参政権がある。主権者が主権を行使し得る限られた機会を逃してなるものか。

商売柄、日曜日が空く事はまず無いので、もうずっと前から期日前投票だ。選挙が近くなると「あ、今日暇だし行っとこう」という感じで出掛ける。今回なんかずいぶん遅い方だ。

昔に比べたら期日前投票の手続きはずっと簡単になった。というか、もはや「手続き」と呼ぶほどのものも無い。行きさえすれば五分と掛からない。それでも投票率がさして上がらないのがこの国の不思議。圧倒的に多数の議席を与党が持っている場合、棄権は限りなく信任と同義なのだが、その事をみんな分かっているのだろうか。投票しないという行為は、「何もかも今のままで良い」という積極的な意思表示に他ならない。

違うと思うのなら、明日こそ投票しよう。政治を変える手段はテロか革命か選挙ぐらいしかないのだから。
posted by 非国民 at 21:42| Comment(10) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月12日

七千年の孤独

グレッグ・イーガン『順列都市』を読了。これは凄い。

SFは結構好きで、生半可ながらも結構読んでいるつもりだが、この作家の事は知らなかった。こんな凄い作品を何で知らなかったんだろう。でもまあ、生きているうちに読めて本当によかった。

遠山啓の『無限と連続』という本が岩波新書から出ている。岩波新書では珍しい数学の本だ。私が高校生の頃、ということはもう30年も昔だが、当時既に名著と言われていたから、数論の世界では古典的なテーマではある。

さりながら、純数学的な意味における「無限」を突き詰めたSF作品はごく少ない。『順列都市』は、その数少ない中にあって、紛れもなく傑作だ。ただし読み難い。端的に言って『カラマーゾフの兄弟』ぐらいには読み難い。正直に言うと、私は二度読んだ。

同じ本を二度読みするのは、まあ無くはない。が、読み終わってすぐに「もう一度読まねば」という気にさせられたのは、多分初めてだ。それぐらいの濃さがある。思弁の緻密さもあるが、明らかに意図的と思われる構成の難解さ、プロットの拡散具合について行けず、一度目はよく分からないままに読み続けた。ところが、よく分からないながらも「今とてつもなく凄いものを読んでいる」という事だけは分かってしまったのだ。珍しいパターンだと思う。そしてもう一度読み、やっぱりコレは凄いのだと確信する。「この宇宙」が終焉してもなお存在し続けるという掛け値なしの「不死」、ここまでの無限を描いた小説を他に知らない。

大雑把なジャンルとしてはサイバーパンクの系譜に入るんだろうけど、作者の強靭な想像力は明らかに「サイバーパンクのその先」に達している。「デジタル情報としての意識」を極限まで追求し、問い詰めた芯に残るのが、あら何と不思議、削ぎ落としても落とし切れない人間の「業」の哀しさ、切なさだったりする。このあたりはフィリップ・K・ディックの味わいに通じるのかな。

実は1994年の作品だったりするのだが、今からでも絶対に読むべき。記事タイトル「七千年の孤独」が何を意味するかは、読めば分かる。
posted by 非国民 at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月10日

今度こそ

どうにか歯医者通いが終了。話は8月から始まったのだから、結構な大イベントとなった。

さあこれでシイタケ以外ものは大概食べられる。終了記念という訳ではないが、ちょっと旨いものでも喰おうではないかと牡蠣を買って来た。安かったので。あと白菜。これも安かった。

日本人の常識として、牡蠣と白菜なら味噌仕立てで鍋、というのは理解しているが、あいにく味噌という文化を(もちろん味噌そのものも)持ち合わせていないので、トマトで煮込んでパスタソースにした。塩だけの味付けだが、これがなかなか美味。白菜の芯に近い白いところ、これを小さめに刻んでトマトで煮ると、私の脳はタマネギと錯覚する。ちょっと面白い発見だった。

この調子だと、今年は一度も米を炊かずに終わりそうだな。
posted by 非国民 at 21:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 歯医者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月30日

まさかの続編

歯医者通いも一段落。

と思ったのも束の間、今度は反対側の歯が痛い。何ごとかと慌てて歯医者の予約を入れる。見てもらったのは三日後で、既に痛みは去っていたが、やはり判定はクロだった。

歯と歯の隙き間の見えないところから、虫歯が奥に進んでいたらしい。不思議な事に、虫歯になっていたのは痛いと思っていた歯の2つ隣だった。「この前と同じような治療になります」と医者は事も無げに宣言し、ここに人生三回目の抜髄が決定する。

大概は痛みを感じるようになった時点で手遅れなのだ。気がついた時には既に取り返しがつかない。私の人生でそれこそ何度も繰り返されて来た事ではある。

二度目の通院から本格的な治療が始まる。麻酔をかけて歯を削り、今更ながらの医者の言「やっぱりここです、間違いないですね」。痛かったのはその歯じゃないんだけどなあと思っていたが、さすがと言うべきか、当たり前だけどプロって凄い。そのプロも「ここは見えないところですからねえ」としきりに呟く。

さらに歯を削り「ほら、ここです」と鏡で患部を見せてくれた。金属の鈎(*)で軽く引っ掻くだけでボロボロと崩れる。あ、腐ってる、と瞬時に納得した。麻酔が効いているので、半ば他人事のように観察出来る。コンクリートが酸で腐食するという話を聞いたことがあるが、きっとこんな感じなんだろうなあ。

「薬を詰めたので、しばらくはジクジクする痛みがあるかもしれません」と言われて歯医者を後にしたが、麻酔が切れてから痛んだのはやはり別の歯だった。俺の神経系はどうかしてると思った。


*本当は何て言うんだろう。きっと何か専門用語があるのだろうな。親知らずを抜かれた時もプライヤーの事をなんだか小難しい用語で呼んでいた。でも出て来たものはどう見てもプライヤーだった。
posted by 非国民 at 06:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 歯医者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月15日

相撲は南から?

先週は水道橋でフラの仕事。出演者は全員ハワイ人ということで、普段あまり見る機会の無い本場物のカヒコ(古典フラ)を堪能する。

古典なのでウクレレやギターは入らず楽器は太鼓と瓢箪のみ。歌、というよりも呪文のような節回しが淡々と続く。全部ハワイ語なので内容は分からないが、祈祷とか神事のようなものらしい。

男性の踊りが、何となく相撲の所作に似ていて面白い。本当に見れば見るほど良く似ている。まあ相撲も一種の祈祷だし、案外同根なのかな、と思った。
posted by 非国民 at 22:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする