2013年07月31日

山を飲む

夏景炎熱の候、どこまでも日本の未来は暗く
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得体の知れぬ瓶をじっと見る。

毒物業界にとって千葉県とは何なのだろう。近所で入手出来てしまった静岡県産「富士山サイダー」を前にして、その疑問は尽きることが無い。

木村飲料と言えば、斯界では知らぬ人の無い毒物ドリンクのトップブランドである。「カレーラムネ」「わさびラムネ」あたりは特に有名で、わざわざこの記事を読むほどの奇人であれば、一度くらいは耳にしたこともあろうかと邪推する。

「カレーラムネ」も「わさびラムネ」も、実はその近所の店で売っていたのだが、この辺は、まあ何と言うか、あまりにもストレートにその不味さが想像出来てしまうので、さすがに手を出さず。その横に並んでいたのが。今回のブツ「富士山サイダー」だ。安易な想像を許さない不穏なネーミングに臆しつつも手を伸ばす私は、しかし何を期待しているのか。

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飲んでみれば、何の変哲も無いサイダーの味であった。たしかに原材料を見れば何の変哲も無い材料ではある。とは言うものの、同じように何の変哲も無い糖類・酸味料・香料の類いだけで果てしなく不味いという飲み物が、過去に何度も確認されているのだから、人間の営みというモノは奥深い。今回はネーミングだけが不穏というの稀なケースであった。

ただし、何の変哲も無いサイダーをわざわざ好んで飲む習慣は私には無い。おそらく二度と飲むことは無いと思う。
 
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2013年07月11日

下層民の生き方について

リジー・コリンガム『戦争と飢餓』を読了。河出書房新社2012。食糧をめぐる戦いとして第二次世界大戦を俯瞰した力作である。さしてマニアックな分野とも思えないが4500円。やはり本は高くなる一方だ。

食糧自給率を国単位で考えることの愚かさを改めて思う。少なくとも私にとってはそうだ。自給してなお余りあるほどの資源大国でなければ、いずれにしても戦時下では誰かが飢える。飢餓を植民地や占領地に輸出する場合もあれば、国内での搾取を強化する場合もあるが、私のような都市下層民に充分な配給が廻って来る可能性は甚だ低い。

日本の自給率はカロリーベースで4割程度と言われる。カロリーベースで考えること自体がそもそも無意味なのだが、それはひとまず置くとしても、仮にこの自給率が5割、あるいは6割になったところで、やはり戦争になれば私のところには廻ってこないと考えるべきだろう。

都市下層民の食糧安全保障は「いかにして戦争を回避するか」に尽きる。
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2013年07月04日

歯禍落着

なんのかんのと大騒ぎした奥歯の詰め物脱落だが、初回に歯医者が予言した通りさほどの大事ではなく、都合三回通って治療は終了。

1回目:「型」を取られる
2回目:詰められる
3回目:その他の細かい虫歯を治される。

考えてみると治療と言うのも何か違う気がする。かといって適切な日本語も思い浮かばない。補修じゃあんまりだしなあ。ともあれ予想外にあっけなく終わった訳だが、むろん「もの足りない」なんて事は無く、簡単に済めばそれに越したことは無いのである。

あっけなく終わってみれば、金属片を眼にして俄に動揺した私の小人ぶりに改めて思いが到る。己の身体に埋め込まれていた小さな小さな金属片。それは「私の身体はどこまでが<私>なのか」という境界の曖昧さを突きつける衝撃的なカケラなのであった。

サイバーパンクを読むのは大好きだが、読むの実践するのとでは、やはり違うのだな。実際にサイバーパンクな世の中になったら、おそらく私は取り残されるのだろう。古くさい身体観を後生大事に抱えたまま、みっともなく朽ちて行くのだと思う。

まあ仏教徒だし、川に流されて魚に喰われるのも悪くはない。
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2013年06月29日

歯禍

気持ちの良い長野は佐久の朝。今日は戻る以外の予定は無いし、その辺をドライブしてからゆっくり帰ろう。
車を動かしガムを噛み始めた途端に、奥歯の詰め物が取れた。。。。。

突然取れるものなのだなあ。手の上の金属片をまじまじと見つめる。自分の身体の一部が無機物に置き換えられているという事実を思い出して、さらに動揺する。少し落ち着いたところで、しばし見つめた金属片をポケットにしまう。持っていたところでどうにもならないと頭で分かっているのに、何故か手放せい。

とにもかくにも、これにて休み終了。飯も食わずに高速をひた走る。上信越道はトンネルばかりでツマラナイ。

毎度お世話になっている歯医者に駆け込む。
「とれちゃったんですよ」
と、金属片を歯医者に渡す。渡したところでどうにもならないと分かっている筈なのに、我ながら不可解な行動である。

どれどれ、と当方の口中を覗き込んだ医者いわく
「歯が割れてますね」
医者という人種は凄いことを平気で言うものだと改めて感心する。

しかし「痛くないんだったら大丈夫ですよ」と言う医者の口調に欺瞞の気配はなく、本当に大したことではないのだろうと、やっと安心する。それにしても、ヒトの歯というのは、そんなに割れるものなのだろうか。
posted by 非国民 at 00:33| Comment(6) | TrackBack(0) | 歯医者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年06月07日

やはり分からない安倍さんの「成長戦略」

市販薬ネット販売の解禁だそうだが、何でこれが成長に繋がるのだろうか。

薬なんてモノは、どう売ろうが、必要な人が必要なだけ買うものだろう。ネットで売ったからって売り上げが伸びるものでもない筈だ。

もちろん私だって日本に暮らしているのだから、日本の経済成長は望む。しかし、冷静に現実を見れば、その可能性は残念ながら皆無だ。いい加減、経済成長を前提にしない「戦略」を考えるべきじゃなかろうか。

posted by 非国民 at 01:56| Comment(5) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月21日

市場の気分

世の中では株価が急騰しているようで、半年で5割の上げですか。いやあ凄いですねえ。と言っても、別に私が儲かっている訳では無いので、凄いですねという以上の感想は特に無い。

ただ、いささか気に掛かる点もある。素人の素朴な疑問だが、誰も予想しなかったほどの勢いで株価が急騰するような局面で、「一般物価は意図した範囲にコントロール可能」なんてことがあり得るのだろうか。
 
posted by 非国民 at 11:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月17日

糖禍2013

酒の類いは概ね好きで、ウイスキー、ラム、テキーラ、ワイン、ビール、日本酒、などなどなどなど、何でも美味しく飲む。とりわけ好きなのがタダ酒で、人様から頂戴した酒に関して美味いの不味いのと文句を言うことは滅多に無い。

滅多に無いが皆無ではない。今回は言いたい。美味い不味いではなく、甘いのだ。

プラハオペラのスタッフからお土産に頂いた一本。その名はBecherovka。

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チェコ語。銘柄が既に読めない。安直な私は通訳のT氏に教えを請う。
「なんか貰ったんですよ、ベシュロフカ? とか何とか。。。」
通訳T氏即座に応えていわく
「ああ、ベロフカですね。養命酒みたいなものらしいですよ」
自身は全く酒を飲めないというT氏がすぐに分かるくらいだから、お土産としては割と定番なのかも知れない。ベロフカと「ヘ」を太字で書いたが、これは日本語のハ行とは全く違う子音で、喉の奥から強く息を押し出すような音だった。バッハやシューマッハの[ch]かと気付いたのは、ずいぶん後になってからだ。いやアレはドイツ語だから関係ないか。でもすぐ隣だし同じビール文化圏だし、正書法の確立に当たっては何らかの影響があったのかも知れないと勝手に想像する(*1)。

ビール文化圏と言っても、それはチェコの中でも主に西側、プラハを含むボヘミア地方だけのことらしい。東側のモラヴィア地方は全くのワイン文化圏だ。あとはポーランドに近いシレジア地方というのがあって、この三つでチェコが構成されている。というのは通訳T氏の受け売りだが、モラヴィアのワイン文化はハンガリーの影響なのかな。

さてこのBecherovka、ボトルを見るとアルコール度数は38%。ということは醸造酒ではなくリキュールということだろうか。仔細に瓶を眺めても、私に読めるのはこの38%Vol.とPRODUCT OF THE CZECH REPUBLICのみ。裏側には2言語での記載があるが、これはチェコ語とスロヴァキア語なのかな。両者の違いは方言みたいなものだと私は漠然と思っていたが、割と違う言葉らしい。日本人の通訳T氏が「僕はスロヴァキア語はぜんぜん分かりません」と言ったのは本当に驚いたが、そのくらい違うそうだ。「でも彼らはずっと混じり合って暮らして来たから慣れてるんでしょうね。それぞれがチェコ語とスロヴァキア語で喋っていて意思疎通出来てるみたいです」。

余談が長くなったが、それでは一杯。

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なかなか素敵な琥珀色だが、その味や如何に、というのは最初に書いてしまったではないか。

甘い。ラムやバーボンの「甘口」というのとは明確に異質な甘さ。甘口ではなくリアルに甘い。大量の砂糖が入っているのか、あるいはこの琥珀色は蜂蜜によるものか。色々と薬草系の香りが複雑に立ち上がっては来るのだが、いかんせん甘さのインパクトが強過ぎてグラスを持つ手さえ心なしかベタベタと粘つくような気がする。「養命酒みたいなものらしい」というT氏の伝聞情報を今さらながら思い出す。そうか。そう来たか。

加水しても甘さは変わらず。

激甘リキュールといえば、以前貰ったシチリア土産のリモンチェッロがそうだった。アレもなかなか手強く、最終的には冷凍庫でキンキンに冷やしたストレートを小さなグラスでぐいっと一気に飲むのが正しいと悟ったのが、果たして「養命酒みたいなもの」をキンキンに冷やすのは正しいのだろうか。

ライムジュースで割るとずいぶん飲みやすくなったが、これはやはり邪道だという意識が拭えない。基本的に私は酒に水と氷以外の混ぜ物をしない派だ。ラムに限っては、船乗りの酒ということで壊血病予防のためにライムジュースを入れるのも作法かなと思うが、それ以外は、ちょっとどうかと思う。たしかに他の酒もライムジュースで割ると美味しいと思うことはあるのだが、結局どれも同じような味になってしまって、じゃあアルコールなら何でもいいじゃないかという話になってしまう。酒そのものの味を楽しむという道からは外れていると言わざるを得ない。

そうこう言いつつも、まだボトルに7割方残っているBecherovka。どうしたものか。

とりあえずは口直しにラフロイグを一杯。


*1 後日T氏と再会する機会が有ったので確認したところ「偶然でしょう」とのこと。2013.10.28追記
posted by 非国民 at 22:06| Comment(4) | TrackBack(0) | 毒物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月14日

軽くヅカちっく

オーケストラのコンサートで、指揮者とコンサートマスターが両方とも女性ということがあった。女性のコンサートマスター、日本ではコンサートミストレスとも呼ぶが、まあこれは珍しくない。それでも、女性が指揮、というケースはあまり見ない。

その時は、コンサートマスターがイブニングドレス、指揮者はパンツスーツ姿だった。燕尾服ではなくラウンジジャケット風のスーツ。

両者の所作というか、出ハケなんかの立ち居振る舞いが、見ていると面白い。スーツ姿の指揮者が、何となく「男役」みたいな感じで、レディーファーストになっているのだ。ちょっとヅカっぽいその雰囲気が、新鮮というか何というか。それを良いとか悪いとか言うつもりは別に無いけど、ああやっぱりそういうことになるのかと不思議な気分。

コンサートのような公の場で女性のズボン姿が「あり」になったのは、そんなに昔のことではない。イヴ・サン=ローランが「タキシードルック」を発表して物議を醸したのがたしか1966年だから、まだ半世紀と経っていない。女性のファッションそのものは飛躍的に自由になったが、ファッションとジェンダーロールの関係が自由になるのは、もう少し先のようだ。
posted by 非国民 at 21:51| Comment(6) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月11日

果たして「認識」の問題なのか

巷では安倍さんの「歴史認識」が話題になっているようだ。まあ何と言っても親子孫と三代に渡って日本を喰い物にして来た一族ではあるので、物事の捉え方に常軌を逸したところがあっても驚かないが、しかし安倍さんの場合「認識」以前に歴史を知らないのではないかと思えてならない。

憲法に関して目を覆うばかりの無知無教養を披露したのも記憶に新しい。あれほどの逸材が「だけど歴史はちゃんと勉強しました」という可能性は甚だもって低い。歴史を知らずして保守も反動も無いようなものだが、本当に知らないんじゃないかなあ。
posted by 非国民 at 21:41| Comment(4) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月02日

片付けられない男が本の山に埋もれて

五野井郁夫『「デモ」とは何か』を読了。NHK出版2012。結構面白いのだが、著者は1979年の生まれだから実は私より遥かに若い。自分よりも若い人から教わる機会がめっきり増えて己の馬齢を自覚する。

何度か岡崎京子が引用されていて軽く驚く。たしかに彼女の作品は同時代の資本主義と欲望のカタチを正確に記述していて、たとえば本書が言及している『東京ガールズブラボー』や『ヘルタースケルター』は、いずれもそれ自体が秀逸な1980年代論とさえ言える。おそらくは実感としては80年代を知らないであろう著者にとって、当時の雰囲気を知るための資料でもあるのだろう。

そんな流れで『危険な二人』を読み返そうと思ったのだが、これがどこを探してもない。捨てた筈はないのだが、さして広くもない家のどこにも見あたらない。誰かに貸して忘れてるのかなあ。

posted by 非国民 at 06:50| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする