2024年05月02日

amebloにコメント出来んくなった

己のブログ(ここの事だ)は放置状態だが、kuroneko老師の記事はちょくちょく覗いている。

少し前の記事を読んで「久しぶりに『前進』でも読んでみようかしら」とコメントするつもりが、何故か出来なかった。

こちらの問題かamebloの仕様の問題かは、終ぞ知れず。何とも寂しい限りである。

そして『前進』を手に入れるのも、それほど簡単ではない。
 
posted by 非国民 at 03:39| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年02月04日

公開死刑

日本も死刑を公開で行えば良いのにと思う。

国内世論は圧倒的に死刑を支持しているのだから、死刑を見たいという人は多いはずだ。テレビカメラを入れて生中継すれば、途方もない高視聴率が取れるだろう。良心の呵責を微塵も感じることなく人が殺されるのを眺める機会など、そうそうあるものではない。オリンピックどころではない最強の娯楽コンテンツである。民放各社から放映権料を取れば厳しい財政の一助ともなろう。

それを野蛮だとか人倫に反するとか思うのなら、死刑など止めれば良いのである。
 
posted by 非国民 at 03:07| Comment(2) | TrackBack(0) | 死刑と終身刑 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年01月25日

左翼根性

kuroneko老師の記事を読んで、今更ながら己の左翼根性を自覚する。

何を隠そう、いや隠していたわけではないが、私は左翼なので人類は進歩し続けるものだと今でも信じている。

なので、基本的には一周り(つまり12歳)以上年下の相手に対しては、デフォルトで自分よりも優秀なのだという前提で接するように心がけている。

そうは言っても、もう少しぐらいは歴史を勉強したらどうか、と思わないでもない。まあこれは年齢層に限らずの話だが。
 
posted by 非国民 at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年01月20日

炊飯記

炊飯器が壊れたのは昨年の元旦だ。その記事は今でもトップページに残っていて、己の筆不精を可視化する。精進せねば。

以来、米を炊かない暮らしを続けてきた。慣れとは恐ろしいもので、さしたる不便を感じることもなく「そういう人生か」とばかり、ずるずる生きて来た次第である。

そんなこんなで再び年が明け、暇に飽かせてよしなきことなど思いつるに、そうは言ってもやはり炊飯器はあったほうがいいのでは、と思い至った。

思い至れば、炊飯器などすぐ近所で売っている。徒歩30秒ほどの店で買って来た。複雑な機能は求めていないので、小さくて一番安いやつを買ったつもりである。

それでも今時の炊飯器は凄い。一番安いやつを買ったつもりなのに、途方もなく色々な機能が付いている。米の銘柄がどうだとか、早炊きだの省エネ炊きだの、炊き具合の硬めだの普通だの、他にも散々あって昭和の教育を受けた頭が追いつかない。正直、家庭用の炊飯器にここまでの多機能が必要なのかと疑問ですらある。

昨年の元日に壊れたブツには、炊飯ボタンとタイマー用のダイヤルだけしか無かった。電源ボタンすら無いという清々しさである。コードをコンセントに差し込めば即ち保温モードになり、ボタンを押せば炊飯が始まる。炊飯が終われば即ち保温モードになり、保温を終わらせるにはコードをコンセントから抜くしかない、のであった。30年も使っていたので、炊飯器とはそいうものだと思っていた。不覚である。そして今や、米の銘柄によって炊きかたが変わるという発想に驚愕するのであった。

残念なことに、銘柄の選択肢の中に「ふさおとめ」は無かった。
 
posted by 非国民 at 21:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年01月18日

日本人が軍拡を望んでいるという噂は本当かしら

近頃の世論調査では「防衛費の増額には賛成」する一方で「そのための増税には反対」との声が多数だとか。

よう分からん。というか全く分からん。

防衛費を増やすなら増やすで、誰かがその金を出すことになる。アメリカ人が出すのか、中国人が出すのか、まさかそんなことはあるまい。日本人が出す以外にないのだとすれば、つまりは税金ということになる。であれば「軍備増強は大いに結構ただし自分が金を出すのでなければ」という態度は、本当に軍備増強を望んでいると言えるのだろうか。一瞬でも考えた上での回答なのか。自分が金を出すのでなければ何だって結構なのではあるまいか?

日本の人口は今後も減り続ける。一方で守るべき国土の面積は減らないのだから、放っておいても一人当たりの負担は増えるが必定。さりとて、人は国防のためだけに生きるわけではなく、負担するにも限度というものがある。

さて、どうするか。
 
posted by 非国民 at 21:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年11月30日

なぜワクチンを打たないのか

誰の話かといえば、他ならぬ私自身の話だ。新型コロナワクチンを一度も打っていない。一度もだ。

こういうところが非国民なんだなあと、しみじみ感じ入る。

確たる信念があっての所業ではない。何となく、というか漠然と、ただ注射が嫌いという、それだけの理由である。

反ワクチン派、というわけでもない。ワクチンに一定の効果があることは十分に理解しているつもりだ。それでも尚「まあ私はいいかな」と思いつつ今日まで過ごしてきた。

ワクチンの効果は認めるが、その効果が持続するのは一定の期間だけだ。インフルエンザのワクチンだっで、効果を得るためには毎シーズンごとに打つ必要がある。新型コロナのワクチンも同様で、効果を得るためには一生を通じて打ち続ける必要がある。そして、やっぱりそれは嫌なのだ。この先、生涯を通じて打ち続ける気には到底なれない。だったら最初から打たなくてもいいかな、というのが私のスタンスだ。

一生を通じて打ち続ける必要がある、と考えるのには二つの理由がある。理由の一つ目は、そもそもワクチンとはそういうものだからだ。そして、理由の二つ目は、一回や二回の接種で生涯効果が続くのなら、こんなに安い価格で提供される筈がないからだ。

繰り返し言うが、私は反ワクチン派ではない。ワクチンには間違いなく効果がある。そこまで注射が嫌いじゃない人は是非とも打った方が良いと明言しておく。ただし、私は打たない。

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2022年10月24日

近所の難読地名

kuroneko老師が難読地名シリーズを展開しているので、便乗してみる。

当アジトから少し北に行くと「北方十字路」という交差点があって、この「北方」を「ぼっけ」と読む。これは難易度が高いと地元民ながら常々思っている。そして、この十字路を東西に横切るのは「木下街道」であり、聞いて驚け「木下」を「きおろし」と読む。難読である。

難読地名には幾つかのヴァージョンがある。大まかに言えば

1. 馴染みのある読みとは違う読み方をする
2. どう読むか見当も付かない
3. そもそも見たことがない漢字

ということになろうか。

前述の「北方=ぼっけ」「木下=きおろし」は、1.に該当する。木下街道は、その名の通り木下という街に繋がる街道であり、木下は利根川の水運で栄えた河岸である。ここで材木を舟から下ろして陸路で江戸まで運ぶから「木下」。講釈を聞けば納得できる地名だが、いきなり見て読めるかと言われると難しい。

当アジトの少し南には「原木」という地名があり、これは「ばらき」と読む。関東人にとっては難易度が低いようだが、関西人には「原」を「ばら」と読む発想がないようで、しばしば驚かれる。

2.に該当するのは「神々𢌞」。近所というほどでもないが、木下街道の途中に出てくる地名で「神々𢌞」と書いて「ししば」と読む。何故そう読むのか、見当も付かない。さらに、木下を過ぎて利根川沿いに進むと「安食木杭」という地名に行き当たる。この「安食木杭」は「あじきぼっくい」と読むが、ここまで来ると驚きもない。驚きを遥かに通り越したような地名である。

3.は、さすがに近所ではないが、自治体単位では難読の東横綱とも言える「匝瑳市」が千葉県にはある。この「匝瑳」を「そうさ」と読むのだが、意外も何も見たことがない漢字なので、何とも感想が湧かない。

余談ながら、難読地名というのは英語圏にも存在する。ウスターソースの由来となった英国のウスターという街は「Worcester」と表記する。どうやったら「Worcester」を「ウスター」と読めるのか。英国人でも納得できる人は少ないようだ。こうなると、もはや何のための表音文字なのか、不可解極まるべし。
 
posted by 非国民 at 20:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 歴史と文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年10月21日

怒る力

怒るのにも体力が要る。歳を重ねると、そのエネルギーが簡単には湧いてこない。

そんな話を若い時に聞いたことがある。そして、まあその通りだなあと思う歳になった。恥ずかしながら、色んな事がどうでも良く思えてしまう。悲しい。

先だっての「国葬」だって、かつての私なら激しく怒っていたと思うのだ。いや、今だって怒っていない訳ではない。怒ってはいる。でも、往年とは熱量が違うことは自覚せざるを得ない。何だろうこの現象は。

「国葬」決定のプロセスには言いたい事が山ほどある。民主主義を愚弄する暴挙だとも思う。ただ、その暴挙に対して、怒りもさることながら「そういう国なんだから仕方ないじゃないか」という思いも渾々と湧き続けるのである。

達観、というのとは違う。覚悟、とも違う。そんな上等なものではない。諦念、あるいは無力感、と言う方がしっくりくるか。

「そう言う国なんだから仕方ないじゃないか」という思いは、必然的に、私(たちの世代)が「そういう国」にしてしまったのだという自省に繋がる。

怒る気力は衰えたが、若い人たちに対しては本当に申し訳なく思う。

posted by 非国民 at 00:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年09月15日

経営判断て難しいよね

老舗出版社(とはいえ、今や出版が本業とは言い難い)角川さん。先のオリンピックに絡んでの醜聞が盛んに報じられている。まあ今のところは司直に逮捕されたという段階なので、真偽のほどは分からないが、当然有り得る事だよね、とは思う。

もちろん贈賄は犯罪だし、やっちゃいけない事なんだけど、会社を預かる身として一線を超えずに踏み止まれたかといえば、さぞかし難しかったかろう。

現在の司直の動きは一にも二にも安倍さんの死によるものであって、仮に安倍さんが存命だったとすれば本件は決して表沙汰にならなかった筈だ。自分の手が後ろに廻る事もなければ、社名に傷がつく事もない。犯罪だろうが何だろうがバレなければ構わないというのが、今も昔も変わらない日本人の倫理なわけで、バレる筈がないと思えばこそ、一線を踏みこえる経営判断は大いに有り得たのではないか。

贈賄罪の公訴時効は、たかだか3年。安倍さんさえ存命であれば何も問題はない筈だったのに、世の中本当に何が起こるか分からない。

これぞ古の軍記物が説く盛者必衰の理なりしか。
 
posted by 非国民 at 23:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年08月03日

何が問題なのか

統一教会との親密な関係を質された自民党の総務会長は「何が問題なのか、分からない」と宣ったそうな。

非国民たる私が自民党の言い分に共感することは相当な珍事であるのだが、今回ばかりは、私も「何が問題なのか」と思った。本気で思った。自民党、というか、自民党の一部すなわち清和会と統一教会の親密な関係は、今に始まった事ではなく、日本人であれば「知りうべき」事である。

「知りうべき」という日本語は、日常会話では馴染みが薄いが、裁判の判決文に出てくる法学用語だ。噛み砕いて言えば、要するに「常識的に考えれば当然知っていた筈であるし、もし本当に知らなかったとすれば、その事自体が重大な過失である」という感じのニュアンスだ。

自民党と統一教会との親密な関係は、日本人であれば誰しも(少なくともある程度の年齢層以上であれば)当然に知っている筈である。何なら、社会常識と言って良いレベルだ。

つまり、自民党の支持者は、自民党と統一教会との親密な関係を充分に知った上で支持してきた筈なのだ。「知らなかった」というのは、端的に言って大人として恥ずかしい無知でしかない。非自民党支持者たる私は、自民党支持者の「知らなかった」という弁明を断じて許容しない。

であるが故に、私は自民党総会長の「「何が問題なのか、分からない」という発言に共感する。開き直りとだと言えば言えなくはないが、むしろ私にとっては「今更何言ってんの」という感が強い。 
 
posted by 非国民 at 02:36| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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