
谷間に目が眩んでジャケ買い。
不覚にも裏ジャケに悩殺されて衝動買いしてしまった一枚。

彼女は1977年生まれ。もともとはモデルとして名をなした人で、その後女優業や歌手業へも進出したらしい。歌手としてのキャリアはさほど長くはなく、一枚目のアルバムは2005年に出ている。この【Ayrılık Soğuk İklim】が2007年に出た二枚目。
基本的にはアラブポップスに非常に近いテイストなんだけど、言葉の響きから受ける感じは相当違う。全曲トルコ語で歌われているようだが、その響きはアラビア語とは随分違い、時にフィンランド語やエストニア語のようにも聴こえる。もちろん意味は全然分からないから、勝手な印象だけど。
純然たるポップスでありながら、ギターやサックスに加えてウードud、バーラマbağlama、カヌーンkanunといった古典楽器群が配されているあたり、オリエンタルな香りが素敵である。
アラブポップスとの大きな違いは管楽器の使い方だろうか。例えば6曲目の「Görmedim Duymadım」。こんな風にブラスセクションを使ったアレンジは、アラブ圏のポップスには見られない。トルコならではの独特のものだ。バルカン地方一帯に広がるブラスバンドの伝統はオスマン帝国時代の軍楽隊が起源だと言われているが、さもありなんと納得する音使いである。
8曲目の「Gururun Efendin Olmuş」も良い。湿った木管リードの響きが香り高い叙情を醸している。
ヴォーカルそのものには、さほど惹かれるものを感じなかったが、決して下手って訳じゃないし、楽曲は良く出来ている。衝動的なジャケ買いにしては、それなりに聴き応えのある一枚だった。
検索用;Ayrilik Soguk Iklim
baglama
Gormedim Duymadim
Gururun Efendin Olmus
baglama
Gormedim Duymadim
Gururun Efendin Olmus
8曲目なんかは「渋さ」がカバーしたら面白そう。でもサウンドは面白いけど、同志のおっしゃるように「声」はべつだんどーってことないですね。日本でもよくある「女優の余技」的なものなのではないかなあ。あと同志の「谷間好き」もたいがいにしておくれ(笑)。
全般的に言ってトルコの音楽はあまりネバネバしてないです。気候のせいもあるんでしょうか。それに、これはジャズではなく、あくまでも「綺麗なおねえさんの歌声を聴きたい」という需要に応えるべく創られた音楽なので、この辺がちょうど良い具合な気がします。
「渋さ」は、今年のヨーロッパツアーが中止になりましたね。薬がらみの前歴でパスポートの申請が通らなかったメンバーがいたとかいなかったとか。
それと渋さについて。ツアー中止は知りませんでした。今年の春にメンバーの1人がハッパで逮捕されてるので、その影響かもしれません。一番ヤッてそうなのはリーダーなんですけどねえ(笑)。
(追伸)
オッパイ万歳!
http://ameblo.jp/manmitsu/
トルコのポップスって、やっぱりトルコの軍楽みたいなテイルなんでしょうか。
あのチャルメラみたいな管楽器が同じフレーズを繰り返すもの。
(「阿修羅のごとく」というTVドラマに使われて、一頃話題になったよね、トルコの軍楽。)
現代にポップスとして流行っているその国々の音楽のエスニシティってなんなのかな、と思います。たとえば、日本の歌謡曲なんか日本の音楽といえるのかしら。
(伝統的な邦楽より西欧音楽との一部に分類するほうが自然ですよね。たかだかヨナ抜き音階ぐらいの“日本らしさ”では)
それはともかく、たしかに現代においては世界のほとんどのポップスは西洋音楽のバリエーションであるというのが現実でしょうね。世界中にかくも広く西洋音楽が蔓延している背景には、もちろん西洋諸国の帝国主義が世界を植民地として支配した歴史があるわけですが、それに加えて、西洋人が五線譜というものを発明し、学校で「教科」として教えることの可能な体系を音楽にもたらしたことが決定的だったのだと思います。ヨナ抜き音階なんかも、日本古来のモードというよりは、伝統的な邦楽を西洋音楽の文法で記述した際の第一次近似のようなものと考えた方が実状に近いでしょう。
ただ、辺境音楽を漁る愉しみっていうのは、往々にして「意図せずに地が出てしまう」部分だったりもします。
決してその土地に固有の文化を前面に掲げていなくても、例えばトルコのポップスと日本のポップスはやっぱり違うわけですよ。極論いえば、当人たちは西洋のポップスを完璧に再現しているつもりでも何かが決定的に違う。そこに垣間見える歴史や文化が、面白いんです。それに、ポップスという「商品」の消費のされ方も土地によって微妙に違う。
大塚英志が東浩紀との対談で言ってましたが、アメリカのおたくは高橋瑠美子の絵を再現出来ないのに台湾や韓国のおたくは完璧に描いてしまう。その違いは何なんでしょう。
アラビック系で好きなところではレバノンのナジワ・カラムですねえ、あの腰の入った声がヨイです。
小心者なので威嚇しないで下さい。
ナグワーさんは正統派のアラブ歌謡曲ですね。ポップスとカタカナで書くのは似合わない感じ。軽薄なマーケットに媚びない力強さを持った声。
軟弱な私は、もう少し軽めというか(どーせアラビア語も分からないことだし)血が混じったような音楽に惹かれるんです。レバノンならElissaとか。この人も綺麗ですが、別に美人だからというわけじゃなくて歌も良いなあと思います。
http://ameblo.jp/rank10/entry-10468500794.html
あれ? ここではなかったっけな。西洋音楽の普遍についてコメントしたの。
「邦楽」っていうと、わたしは長唄、義太夫などを思い浮かべるんですが、音楽業界では違いますよね。あの「邦楽」ってなんでいうのかな、ってエントリーを書こうと思っているんですけど。
長唄や義太夫、街のCD屋では「純邦楽」なんて書かれてたりしますが、意味不明な言葉ですね。「古典邦楽」なんて言い方もあって、こっちはまだ分かります。「古典トルコ音楽」ならまだ何となく想像がつきますが「純トルコ音楽」じゃ、あんまりです。で、まあ、西洋古典音楽のことを私たちはクラシックと呼んでいるわけですね。
西洋古典音楽の大きな特徴は精緻に理論化された和声進行、でしょうか。和声の指導原理のもとにメロディが従属するというのが、かの地の伝統でして、ジャズの歴史は和声の束縛に対する反抗と妥協の歴史と言っても良いくらいです。一方で非西洋における伝統音楽では「まずメロディありき」というスタイルが珍しくありません。ここに強引に西洋的な和声進行を当てはめることで、形式的には西洋音楽のフレームを踏襲しながら何かが決定的に違うという辺境音楽が生まれるわけです。