
妖気滴るペルシアン・グルーヴの絢爛、あるいは<革命>によって禁圧された官能性の召還。
在米イラン人を中心にした三人組、Niyazのセカンドアルバム。2008年の傑作である。
メンバーは三人。紅一点にしてヴォーカル担当のAzam Ali、弦楽器全般を担当するマルチプレーヤーのLoga Ramin Torkian、ドラムとエレクトリック・プログラミング担当のCarmen Rizzo。他に様々なゲストミュージシャンが参加しているが、基本コンセプトはこの三人が決定していると見ていいだろう。AliとTorkianの二人はイラン生まれで、<革命>後に故国を離れ、紆余曲折あって現在はアメリカで活動している。
かつてのイランはポップス大国であった。70年代イランのポピュラーミュージックシーンは、間違いなくイスラム世界の最先端を行っていた。しかしその後の<革命>によって、「伝統的でない」音楽は、片っ端から禁圧の対象となってしまった。現在のイランでも、少なくともNiyazのようなバンドが活動することは不可能だろう。女性のボーカルというだけで既にNGなのだから。そんなペルシアン・ポップスの潮流が他でもないアメリカで爛熟したという事実は、いかなる歴史の皮肉なのか。
さてこのアルバム、全編に漂う世紀末感が素晴らしい。その濃厚な妖気は、ジャケットからも強烈に発散されている。
Azam Aliのヴォーカルが良い。割とすっきりした声質で、コブシ回しにもアラブ音楽の様なくどさは無いが、湿り気を帯びた「妖気」が浸潤して来る様相には深い官能性すら感じられる。ペルシア語はインド・アーリア系統の言語だから言葉の響きによる部分も大きいのだろうが、歌に関してはインドやパキスタンのポップスに近いところもある。しかしメロディーや楽器の響きは明らかに中近東。そして、えも言われぬ「ごちっく」感。実に不思議な音楽だ。
Mercan Dedeの【800】に通じる雰囲気を感じたのは偶然では無いらしい。本作では、ペルシアやトルコの古典詩が歌われているが、取り上げている詩人の名前を見ると、そこにはやはりスーフィーへの深い傾倒が見て取れる。Niyazの音楽は起伏や抑揚に乏しく、往々にして内省的な展開に終始するが、それもスーフィーの世界観を反映したものと思われる。ちなみにMercan Dedeのアルバム【Breath】ではAzam Aliのヴォーカルがフューチャーされている。
実は本アルバムは二枚組。disc oneは「Nine Heavens」と題され、disc twoのタイトルは「Nine Heavens - The Acoustic Sessions」である。曲順は違えども、ほぼ同じ曲が両方に収録されている。良く言えば、どちらも同じように素晴らしく、敢えて苦言を呈すれば、全体の雰囲気はどちらも一緒である。いずれにせよ甲乙は付け難く、私は二枚とも好きだ。
何とバンドのオフィシャルサイトで全曲聴けてしまうのだ。オープニング曲「Beni Beni」のイントロからして凄まじく格好良い。2曲目の「Tamana」、3曲目の「Feraghi - Song of Exile」と佳曲が続く。
youtubeにも多数の音源が載っている。私のお気に入りは、6曲目の「Iman」。この曲はウルドゥー語で歌われていて、南アジアの香りを強く感じる。
<革命>によって禁圧された官能性の召還を、是非とも御堪能あれ。
ボーカル無しの、このリズムトラックだけでも楽しめそう。
wax poeteicみたいな感じなのかな?
http://ch06683.kitaguni.tv/e298093.html