2008年12月31日

公明党はどこへ行くのか

昔からこの政党が不思議だった。何のためにあるのか、何をしたいのか。私が物心ついた時には既に公明党という政党があったが、その存在理由は、私にとって常に謎だった。

この政党は要らないんじゃないかとはっきり思ったのは自民党と組んで与党となった時だ。

公明党が弱者の味方だというのは嘘ではないだろう。政策で言うなら、公明党は自民党よりも民主党にずっと近い。近いどころか、公明党の掲げる政策は民主党のそれとほとんど変わらない。にもかかわらず自民党とくっ着いているのは、党利党略のためでしかない。

創価学会というのは都市型の宗教で、大都市の下層階級、特に農村から都市の商工業へと流入してきた労働者を取り込むことで飛躍的に発展して来た歴史がある。日本の既成左翼が労働組合を中心として活動して来たのに対して、創価学会は労働組合にさえ無縁である最下層の労働者階級を取り込んで来たのだ。創価学会という組織が単なる宗教団体ではなく「互助会」的な性格を強く持っていたことが、それを可能にしたといえる。だからこそ公明党と共産党の敵対意識は根が深い。

創価学会は弱者の組織であると同時に庶民の組織でもある。共産党の指導部がなんだかんだ言って東大や京大出身のエリートであるのに対して、学会の庶民性は確かに際立っている。しかし気がつけば、公明党の代表である太田さんは京大、前代表の神崎さんは東大の出身だ。彼らのような高学歴エリートにとって、創価学会という組織は必ずしも居心地の良い場所ではないはずだ。その辺、当事者はどう思っているんだろう。公明党と創価学会が組織として明確に分離されたのが1970年だから、現在公明党に所属している議員のほとんどは、別組織となってから政治家としてキャリアをスタートさせている。公明党には公明党の思惑があってしかるべきだが、その辺が良く分からない。

いずれにせよ、現在でも公明党が強いのは東京と大阪だ。だから地方で(だけ)強い自民党と組むメリットは大きい。連立相手である自民党に対しても「恩」を売れる。

党利党略という計算だけで言えば、公明党が民主党と組むメリットは無い。どちらも東京や大阪を中心にした都市で強い政党だから、ターゲットがダブる。政策の面でもほとんど違いがないから、連立しても公明党の存在感をアピールする機会がない。選挙で「恩」が売れてしかも全く政策の違う自民党に対して、あれこれと注文をつけている方が、遥かに存在感を誇示出来る。

だが、存在感をアピールして、それが何になるのだろうか。創価学会の信者ではない私からすれば、ただただヤヤコシイという他無い。公明党は何のためにあるのだろうかと疑問に思う所以だ。

公明党が出来る前にも、もちろん創価学会員の国会議員はいた。彼らは「国立戒壇」という一点だけにおいて結束していたのでって、それ以外の政策に関しては、それぞれの思うところに従って活動していた、事実、それぞれの思うところに従って自民党や社会党や民社党に所属していたのだ。国立戒壇は馬鹿げていると私は思うが、それでも今のようなヤヤコシさは無い。池田大作の前の会長だった戸田城聖は一貫して学会が自前の政党を持つことに反対だったし、池田自身も公明党の結成を「間違いだった」と口にしたことがある。少なくとも、国立戒壇路線を放棄した時点で、創価学会が創価学会のための政党を持つ理由は失われたのではなかろうか。

公明党はどこへ行こうとしているのだろう。今ほどその存在理由が問われている時はないと思う。
posted by 非国民 at 03:24| Comment(13) | TrackBack(1) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
このまま自公政権が続くと日本人の3割くらいが創価学会に入信しそうですね。めでたしめでたし。


┌|∵|┘ 門松
Posted by はなゆー(年末救世主伝説) at 2008年12月31日 22:22
さあどうなんでしょう。実は、この国に創価学会の信者が何人くらいいるのかという信頼出来るデータが全く無いのですよ。学会の公称は当てにならないし、そもそも創価学会は会員数を人数ではなく世帯数でカウントしています。それに、教勢が伸び続けていた時期とは違って、現在の学会員の多くは親の代からという二世三世です。創価学会が「互助会」的な性格を強く持っている点を考えると、会員数と実質的な信者の数との間には相当な乖離があると思われます。

公明党が背負っているのは「宗教団体」なのか、それとも学会という「組織」なのか。そこもまたヤヤコシイんですよね。
Posted by 非国民 at 2009年01月01日 07:28
学会員個々は良い人が多いんですよね。私が知っているのは二世、三世の学会員ばかりですが、私が池田先生をバカにしても笑っていたりと、それほど"必死"じゃない。たとえばこんな感じ。

や:公明党もさあ、そんなに自民党が好きなら池田先生が死んだら靖国神社に祀ってもらえよ。
学:アハハ、それはあり得ねえよ。一応は仏教だぜ。神社に祀るのは問題あるって。
や:問題あるよな。P級戦犯の合祀は。
学:アハハハハ。P献金は確かにあるらしいぜ。

当人は親がそうだから仕方がない。持病と付き合って生きていくみたいなもんだよ、と言ってました。何となく分るような分らないような・・・。
Posted by やきとり at 2009年01月01日 20:07
創価学会の教えは「祖先の供養」に対する関心が非情に薄くて、その点は日本の宗教の中でも極めて特異だと言えます。供養への無関心が、都市へと流れて来た農家の次男三男を取り込んで飛躍的に教勢を拡大させた大きな要因でもあるのですが、現在では逆に二世三世を信仰面で繋ぎ止めることの困難にも通じているといえます。

池田大作が三代目会長に就任したのは1960年、彼はまだ32歳でした。爆発的に伸び続けていた当時の創価学会は、それほどに「若い」組織だったのです。しかし、以来およそ半世紀。今の若い会員は池田大作を結構クールに見ているんじゃないでしょうか。独裁的組織の例に漏れず、創価学会も池田大作の地位を脅かす「ナンバー2」を置いていません。創価学会もまたどこへ行くのか、こちらは政治とは関係無いですが、社会学的な興味は尽きません。
Posted by 非国民 at 2009年01月02日 00:10
 賀正。
 やきとりさんの仰るとおり、個々の学会員はいわゆる"いい人"が多い印象を受けます。市民活動を一緒にやっている仲間に学会員が何人かいるのですが、まじめに社会のあり様を何とか改善したいと思っている人ですな。なぜ学会に入っているのか聞いたことがあります。ひとりは、池田大作の著作を読んで感銘して、彼にカリスマ性を感じる云々と言っていました。
Posted by 闘うリベラル at 2009年01月02日 16:11
 賀正。今年もひとつよしなに。


 私の恩師の葬儀に祝電を送りつけてきやがったのと、選挙のたびごとの勧誘電話/訪問のせいで、かの学会/党には穏やかならざる気持ちを抱いている私でありますが。

 その気持ちを脇に置いといた上で、あらゆる宗教は政治にかかわるべきではない、と私は思います。

 何となれば、宗教って、人類を二分する発想でしょう。つまり信徒と非信徒に。
 で、たいがいの場合、信徒を上におく。非信徒は良くて「迷妄に捕らわれた哀れな連中」、悪いと「打倒すべき法敵」ってわけで。

 自分と意見を異にする相手と対等に議論していこう、という民主主義の理想とは、根本的に相容れないのではないかなぁ。
Posted by もぐら似のY at 2009年01月02日 16:45
闘うリベラルさん
カリスマ性・・・ですか。そこが余人には測り難い。

もぐら似のYさん
宗教が内面的な精神の救済を目指すのと同時に、一種の「世直し」的な性格を持つこと自体は、それほど不合理だとは私は思いません。その過程で政治に関わることも有り得るでしょう。
もっとも、自前の政党を持つのはどうなのかなあと私も思います。確かに議会における議論という民主主義のシステムとは位相が違うというか、そぐわないものがありますね。
Posted by 非国民 at 2009年01月03日 03:19
S学会は、7人程に囲まれて折伏を試みられてから嫌いになりました。
K党は、選挙の時知人を経由して犯罪的行為に加担することを勧められてから、立憲民主主義下の政党と認められなくなりました。
まぁ、あくまでも個人的経験です。
ORGは若い頃いくつかの団体から受けましたけど、当時私が持っていた「民主主義」の概念から一番遠いところにいて、且、己の正当性に酔っている姿は、私の理解を超えていました。
Posted by とみんぐ at 2009年01月04日 09:21
私が小学生の頃、一時家には毎日新聞に加え聖教新聞と赤旗がありました。赤旗の方が読んでて面白かったです。
ここまではまだなんとか、「庶民向け」ということで理解できないこともないのですが、その前に、うちの墓があって盆にお経上げに来るのは日蓮宗だよ。
どうやらじいさんが頼まれたら断れない性格だったようです。
Posted by なめぴょん at 2009年01月04日 18:54
学生時代の友達に、民青にも入るし、創価学会にも誘われて入ったと自分でいっている者がおりました。きれいな子のほうに入るというんだとか。態度の良くない奴です。

あたしが、年来感心しているのは、内閣支持を当調査で、支持政党は共産党で、現内閣を支持するという人が数%いることです。まあ原理的に不思議ではないんだけど。

創価学会以外の公明党の支持者はいると思うけど、学会員で公明党には入れない人っているのかしらん。
Posted by kuroneko at 2009年01月04日 21:42
とみんぐさん
>7人程に囲まれて
ああ、よく聞く話ですね。私自身は選挙の折に電話が掛かって来ることがあるくらいで━━それも「期日前投票すませちゃったんで」(コレは本当)と流します━━創価学会とは接点のないままに暮らして来ました。仕事でのつきあいはありますが、そこに信仰を持ち出すほど野暮な人は幸い周りに無く。
もっとも、中核派と統一教会にはかなり真面目にORGされたことがあるんで、気分は分かります。良いもんじゃないですよねえ。まあ、折伏ってのは日蓮が言い出したことで学会の専売特許じゃないですし、異教徒への「布教」が<信仰の証>となるってのも多くの宗教に見られるパターンですから、それを一概に否定するのも難しいとは思います。
そうは言っても、布教と折伏では、やっぱりニュアンスが違う訳で、あの戦闘的な姿勢を固持することで、返って自分たちの立場を難しいものにしているという気はしますね。

なめぴょんさん
創価学会の側からすれは不本意でしょうけど、その優柔不断さが面白いですね。
居間には仏壇、座敷に神棚、台所には荒神様、庭にはお稲荷様や死霊様(*1)、それに加えて先祖伝来のカクレキリシタンのカミサマ・・・という生月島の多神教世界は、日本人の馴染んで来た宗教風土を正しく体現しているような気がします。マリヤ様が安産の神様に変質していることに、何ら違和感が無いどころか、そうでなくっちゃという説得力すら感じます。
ひとが大事にしてるものだから、自分が信じないまでも「粗末に扱うとタタリがある」みみたいな感覚があるのかも知れません。
(*1)死霊様;身元の分からない水死体。放っておくと怨念によって災いをもたらすが、だからこそ手厚く葬り供養することで海上の安全や豊漁をもたらす福神に転ずると考えられている。

kuronekoさん
私の態度はどうなんでしょう。ものみの塔やブントにも誘われたことがあります。ブントには綺麗な子がいたけど入らなかったなあ。中核派のオルグが先だったんで左翼アレルギーが出て。
創価学会と公明党の分離は、少なくとも人事面ではかなり徹底しています。学会という組織の中で上を目指す━━という言い方も変ですが━━出世を考えている人は、公明党との関わりを避けるでしょうね。
Posted by 非国民 at 2009年01月05日 02:40
突然失礼します。ちろの はねっかえりブログから流れてきました。
祖母(日蓮宗みのぶ)の供養のため日蓮宗のお経のひとつでも覚えようか。と言う軽いノリで、会社の上司に勧められるがまま学会員になってしまい、やめられないまま今にいたっています。前回の統一全国地方選挙の頃から若い市議のファンになり民主党を応援しています。しかし参議議員選挙の時は近くの聖教新聞を配布する方の運動は激しかったです。しかし選挙が終わって1週間もたたないうちに支持候補の方の名前をきれいさっぱり忘れていたのにはズッコケました。学生(関西)の時に友人から、私が会話の端々に勝った負けたと言うところが嫌いだと言われたことがあります。日蓮宗の熱心な信者だった祖母の影響だったのだと今にして思います。組織が大きくなり過ぎて組織防衛に走ってしまっている学会は、いずれ政治から離れて行くような気がします。
Posted by はちふさ at 2009年02月12日 18:35
はちふささん
いらっしゃいませ。興味深いコメントをありがとうございます。そういう機縁もあるんですね。
たしかに学会という巨大な組織は必ずしも一枚岩ではなく、特に信仰面では世代間の温度差が広がっていると言われています。若い会員はさほど熱心には池田大作の本を読んでいませんし。

政治から離れることで、かえって「教団」としての立ち位置が見えて来るのかも知れません。
Posted by 非国民 at 2009年02月12日 23:32
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