2008年10月02日

靖国神社の不思議な思惑

『現代宗教』という、いささかマニアックな雑誌がある。誰が読むんだろうと思いつつも、たまたま本屋で見かけた2006年号の特集が「慰霊と追悼」ということで、つい買ってしまう。

靖国神社前宮司・湯澤貞氏のインタビューが載っていて、なかなか興味深い。

湯澤氏、現在の合祀についていわく
・・・終戦のドサクサといいましょうかね、はっきりしなかったのが、今になって、戦死者とか、戦争が原因になって病気になったとか分かってきて、そういう方々を去年でも十何柱合祀しました。そうすると、合祀をする時にですね、今は厚生省の管轄ではなくなって━━要するに国会なんかでもうるさいもんですからね━━、神社の方で勝手にやっていい訳ですけどね、それでも、この人は祀るけどこの人は祀らないというのをいい加減にやるとめちゃくちゃになってしまうので、神社が勝手にやるとはいっても、厚生省でやったもとの合祀基準というのがありまして、この方は合祀しても問題ないかというのを慎重に調査するんですね。ですから、神社としては、もし何かの機会に国に神社を返すというようなことがあるかもしれないと、そういうことを前提に合祀をしているんですね。ですから、公のものが全て無くなったとは我々は考えていないんです。

ええと・・・つまり、いつの日か靖国神社が国のものに戻る可能性がある、と言ってるわけなんですが、

・・・それは、無いだろ!

これまで私は靖国神社に関して何度か書いてきたが、比較的好意的な態度を取って来たつもりだ。好意的が言い過ぎなら、寛容な立場と言っても良い。嬉々として靖国に参拝する首相を馬鹿だとは(何度も)書いたが、靖国信仰そのものを批判したことは無い。靖国神社のあり方や、その教義に文句を付けたことも無い。

「一宗教法人である靖国神社が、狐を祀ろうが狸を祀ろうが、当該法人の勝手である」
「靖国神社の主張はおかしいと、私自身は思う。思うけれども、それを言うのなら、おかしなことを主張する宗教団体は他にいくらでもある」
どちらも、以前私が書いたことである、その考えは今でも変わらない。

しかし、当の靖国神社が「一宗教法人」ではなく、国家との関わりにおいて何かしら別格の存在だと自負しているのだとすれば、その考えは改めた方が良いと思う。余計なお世話かも知れないが、靖国神社の今後の発展のためにも、改めた方が良いと思う。
posted by 非国民 at 01:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>もし何かの機会に国に神社を返す
んん. . .? 何言ってんですかね、この湯澤とかいうオジイサン。ちゃんと戦後教育、つーか義務教育受けてるんでしょうか?
まるで「何かの機会」が来るのが楽しみといった風情ですな。イワシの頭でも何でも信じるのは勝手だけど、
人に押し付けるのはイカンということすら分っていませんな。ミレニアムに生きてる(た?)宗教家のクセに。

やっぱ靖国はひたすら「キモイ」ので、私としてはひたすら「バツ」でございます(笑)。
Posted by やきとり at 2008年10月03日 23:41
しかしながら、それを言うのならキモイ宗教団体は他にいくらでもあるわけで、日本に何十万とある宗教法人の一つである限りにおいては、目くじら立てるほどのものじゃないと私は思っています。
Posted by 非国民 at 2008年10月04日 02:53
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