2008年08月13日

教育勅語を読む

gegengaさんの記事で紹介されていた渡部昇一の妄言があまりに面白過ぎて、勢いに乗って教育勅語を読んでみた。ちゃんと読むのは本当に久しぶりだ。まあ、そうそう読みたい物でも無いが。

迂闊にも今回初めて気付いたのだが、教育勅語の原文というのは、実はアレは日本語ではない。漢文だ。戦前も戦後も今も、教育勅語は言い回しが難解で分かり難いという指摘があるが、当然である。そもそも外国語なのだ。

漢文だから、耳で聞いても意味は分からない。「チンオモウニ ワガコウソコウソウノクニヲハジムルコトコウエンニトクヲタツルコトシンコウナリ」と言われて、きっちり漢字が思い浮かぶ人は、そうそういないだろう。睦仁さんの名で発布された当時だって、やっぱりそうだったと思う。最初から小学生に分かるような書き方にはなっていないのだ。お経と一緒で、意味が分からないくらいの方が有り難みがあって良かろうという発想なのか。

戦前に義務教育を受けた人の思い出話として、この教育勅語を、意味も分からないままに暗唱させられたというのをよく聞く。やっぱりお経なんだなあ。

日本の仏教寺院では、漢訳の経典をそのまま音読することになっている。日本独特の奇習だが、要するに経典の意味を理解することは二の次で、声に出して朗ずることで呪術的な効果があると思われているのだ。この国に仏教が伝来した当初からの誤解である。余談だが、カクレキリシタンのオラショも、ラテン語の祈祷詞を意味の分からないままに暗唱していた。信仰を秘すために文書を残さず口伝だけで継承していたせいで、しまいには全く訳の分からない別物へと変わってしまっていた。これだって言ってしまえば一種の呪文だ。

そう考えると、教育勅語ってのも、呪文みたいなものだと言えなくもない。漢文だと何となく偉そうで威厳があるってだけのことかも知れないけど。

それにしてもまあ、漢文だからというだけじゃなくて本当に偉そうな文だ。勅語だから当たり前と言えば当たり前なんだけど、徹底して命令口調。「お前ら(臣民)はこれから俺様(朕)の言うかくかくしかじかを心して守れ」というのが教育勅語の基本的な構文だ。酷いものだ。一方的に命令されておいて何が道徳だか。

こんな物を有り難がってる暇があったら、自分で考えて判断する意志と能力を養うことの方が、よっぽど道徳教育の意味を為すと思う。戦争犯罪においては「上官の命令でやりました」という良い訳は通用しない(もちろん通常犯罪でもそうだが)。これが、第二次世界大戦を教訓にして確立された国際法の常識なのだ。
posted by 非国民 at 04:26| Comment(7) | TrackBack(1) | 教育と学校 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
わかりやすい表現=ありがたみが少ない(ように感じる)

       ↑

日本人にはこの傾向がひときわ強いっす。

o(^o^)o
Posted by はなゆー(八ツ橋評論家) at 2008年08月13日 06:47
あぁ、私まで久しぶりに読んじゃったじゃないですか。

戦前の義務教育では「歴代天皇の名前を唱える」というのもあったと聞きますが、あれも一種の呪文なんでしょうか?
Posted by gegenga at 2008年08月13日 14:04
はなゆーさん
分からないのにありがたい、という点が不思議です。もはや道徳じゃなくて迷信じゃないかという気もしますが。

gegengaさん
>「歴代天皇の名前を唱える」
たしかに呪文めいてますねえ。もとより意味などない訳だし。
水に聞かせると綺麗な結晶が出来るという説が、あるとかないとか。
Posted by 非国民 at 2008年08月13日 23:31
中学時代の塾の友人に、教育勅語を暗唱できるヤツがいました。当方無知なガキンチョとしては何それ?ってなもんですが、
何かスゲーと思わないでもない。まあ「円周率」とか「山手線の駅」をスラスラ喋る芸への畏敬と同じかもしれません。

ちなみにそいつは15歳にして童貞ではなかったので、ソッチ方面からの見えない威圧もあったのかも...(笑)。
Posted by やきとり at 2008年08月14日 22:26
私の高校の友人にも暗唱出来る奴が二人いました。二人とも同じ中学の出身で、どうやら中学で叩き込まれたらしい。当時の千葉県はそっち方面で有名でしたからねえ。二人ともネタそして面白がって披露してましたが、その後何かの役に立ったのでしょうか。

二桁の九九を全部暗記しているという強者もいました。これはまあ、役に立つでしょう。さぞかし便利だろうとみんな羨ましがりましたが、真似しようという人はいなかったなあ。
Posted by 非国民 at 2008年08月15日 00:48
「教育勅語を読む」を拝読して、30年ぶりに思い出したことがあります。
 『都市の論理』で有名な歴史家の羽仁五郎の著作(確か『自伝的戦後史』だったと思います)の中に、こんな逸話が紹介されていました。
 ある時、著者が中学校の数学教師から「教育勅語の教えには夫婦仲良くとか、いいことも書いてあるのでは」と質問されたそうです。それに対して羽仁氏は「あなたは数学を教えているんですよね、では「朕思うに三角形の内角の和は180℃である」ということになっても、それでいいとあなたは思いますか?」と問い返したそうです。すると数学教師は「いやそれは違うでしょう」と答えたそうです。羽仁氏は「あなたは天皇陛下が言うから、三角形の内角の和が180℃だと信じているわけではないのでしょう。なら徳目も同じことではないですか」と言ったそうです。確かにそうだなと私も思いました。その記憶が30年ぶりによみがえりました。
Posted by toshiotoko at 2008年08月20日 15:13
toshiotokoさん
お久しぶりです。書かれている内容が正しくても、その前に「朕思うに」が付くと、問題は全く別なのだという逸話ですね。
ちょうどいま羽仁五郎の『明治維新』を読んでいるところです。それなりに面白いんですが、学生の頃に『都市の論理』を読んだ時ほどの興奮はありません。私の革命的感性が萎びたせいでしょうか。
Posted by 非国民 at 2008年08月21日 22:58
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