2008年05月19日

Mercan Dede【800】

mercan-dede-800.jpg
デジタルな官能、現代スーフィー音楽の到達点。

メルジャン・デデMercan Dede。メヴレヴィー教団の宗教音楽家、ネイ(トルコの葦笛)奏者であり、同時にDJとしてクラブ・シーンにも片足を突っ込んでいるという奇特な存在だ。トルコ生まれで、現在はイスタンブールとモントリオールを拠点に活動している。これはトルコのdoublemoonレーベルから出た2007年のアルバム。メヴレヴィー教団の祖、ジャラール・ウッディーン・ルーミーの生誕800年を記念したコンセプチュアルな作品だ。

メヴレヴィー教団はトルコを中心としたスーフィー教団で、行法としてのセマー(旋回舞踏)で知られる。くるくると廻って踊り続けることで忘我の境地に達し、直接的な体験として神との合一を得るのだと言われる。したがって、そこで演奏される音楽は、舞踊音楽であり同時に瞑想音楽でもあるという特異な性格を持つ。そしてもちろん宗教音楽でもある。

一種のトランス状態に到るとは言っても、インドネシアのケチャみたいな激しさは無い。荘厳な様式美で威圧するわけでもない。むしろ内面へと沈降して行くタイプの音楽だ。地味と言えば地味だけど、その濃密な世界は、聴けば聴くほどに味わい深い。ひとり静かに聴いて、なお官能的な陶酔へと人を導く、そんな音楽は世界広しといえども、そうそう無いんじゃなかろうか。

そして、現代スーフィー音楽の到達点は、思いのほかエレクトリックだ。全体的にアンビエントなベーストラックの上に中東系の生楽器が浮いている感じ。全編にわたって打ち込みも汎用されているが、「とりあえず打ち込みを入れてみました」という安直な発想ではなく、音楽的な完成度を希求した結果として必然的に出て来た音のように思われる。ゆったりと単調なテンポの中に、恐ろしく緻密なリズムが打ち込まれているのだ。人の声にもエフェクトを掛けまくって、空間の奥行きを出している。ちょっと変な言い方だが、オタク的な探究心とデジタルテクノロジーの融合という気もする。

ちなみに一曲一曲が長い。どの曲も、だいたい6分とか7分だ。そして基本的には同じテンポのリズムが淡々と続く。アルバム全体を通しても、起伏とか抑揚とかメリハリは無い。深く深く内面を探求する瞑想音楽にとっては余計なのだろう。

Last.fmで何曲か試聴出来るが、「Kanatlar Kitabi」なんか、本当に濃密かつ奥深い。一聴の価値アリと思う。

タイトルチューンの「800」も良い。幽玄なネイの響きは、虚無僧の吹く尺八みたいだ。

ビデオクリップも凝っている。「Istanbul」のクリップなんかを見ると、ジャケットのイメージともリンクした創りになっている。doublemoonというのは面白いレーベルで、yuotubeに直接投稿している(自社のサイトには映像ソースを置いてない)。ちなみに、これはクリップ用に編集されたショートバージョンで、アルバムに収録されている本編は、倍近い6分半の曲。奇怪なトルコ語のラップは異界への誘いだろうか。

800年の探求を経たスーフィーの到達点、その官能を、ここに聴く。
posted by 非国民 at 03:29| Comment(2) | TrackBack(0) | 音楽;西アジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
淡々とした進行ながら、トランス的な熱気というより、ハウスっぽいですな。どっか醒めてるというか?
たとえば蟻地獄へ落ちて行くアリが感じるような、生暖かくてサラサラと乾いた諦念に包まれるヒトトキ。
うーん。難しい。アンビエントの上に中東系の音階がプカプカ浮んでるってのは納得。
あまり深く考えずに聴いても気持ちいいですね。つーか、こんな中途半端な感想をわざわざコメントするな!
Posted by やきとり at 2008年05月22日 23:03
やきとりさん
私にも難しいです。分かりやすくしようという努力がほとんどなされていない音楽ですよねコレは。まあ宗教音楽だから、それでもいいんでしょうけど。

ネイとの出会いを語ったインタビューで、メルジャン・デデはこんなことを言ってます。
「きみは映画『キル・ビル』を見たかい。あの中に沖縄の日本刀職人が出て来るだろう。普段は寿司屋をやっていて、二階でこっそり刀を創っている。スーフィーの師は、ちょうどあんな感じなんだ」

秘伝・・・みたいなところがあるんでしょうね。
Posted by 非国民 at 2008年05月23日 03:28
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