
みんな月へ行っちゃった
ニーナ・シモンという歌手を知ったのは割と最近だ。2003年の春、彼女の死のほんの少し前のことだった。
古本屋でたまたま見つけた四谷シモンの『人形作家』(講談社現代新書2002)という本が面白くて夢中で読んでいた。その中で、四谷シモンという名前の由来が語られていた。小林兼光という本名の彼は、ニーナ.シモンが大好きで、いつも彼女のレコードを聴いていたので、いつの間にか周りから「シモンちゃん」と呼ばれるようになったのだという。
四谷シモンにも、彼の創る人形にも興味を覚えた私は「はてニーナ・シモンとは誰ぞや」と探しまわり、このCDが今私の手元にある。
まあ、そんなことはどうでもよろしい。たまには昔の音楽も良いだろう。
ニーナ・シモン。1933年生まれのジャズシンガー、もしくはソウルシンガー、ということになっている。これは1969年のアルバムで、全編ニーナ・シモンによるピアノの弾き語り。つまりはソロアルバムだ。これが本当に、聴けば聴くほどに深い。
まず歌が凄い。太く、柔らかく、どこまでも優しく、そして力強い歌声。ソウルミュージックなんて枠組みとは無関係に、彼女の歌は十分にソウルだ。もっと言えば、ジャズもソウルもゴスペルも軽々と飛び超えて屹立する。時には淡々と、時にはエモーショナルに語りかけるその歌は、ひとりの黒人女性の声として、時代を超えて私の心を包み込む。
ピアノも良い。歌の印象とはがらっと違って、綺麗に整った、美しいタッチのピアノだ。この落差が、本アルバムの大きな魅力の一つだろう。
もともとニーナ・シモンはクラシックピアニストを目指していたという。ジュリアード音楽院にまで進んだが、当時のクラシック界に黒人の活躍する場は無く、半ばやむなくソウルに転向したという経歴の持ち主である。その端整なタッチは、やはりジャズ系のピアニストとは一線を画している。それでいて、時にはドキッとするほど「黒い」音を出す。このアルバムを聴くと、当時のRCAは何で彼女のピアノソロを企画しなかったのかと悔やまれてならない。それほどに不思議な魅力に溢れた美しいピアノなのだ。
そのスケールの大きな歌を、ぜひ堪能あれ。
Everyone's gone to the moon
みんな月へ行っちゃった・・・というシュールな歌が、どうしてこんなに優しく心に沁み入るのだろう。独特なピアノの美しさも特筆に値する。
ついでにもう1曲。こちらはニーナ・シモン自身によるオリジナル曲。
Nobody's fault but mine
余談ながら、ツェッペリンも同名の曲を出していて、しかも冒頭の歌詞が酷似している。パクリだという説もあるが、私は一種のオマージュだと思う。
「ジャズの人」としての先入観で名前だけは知ってたけど、聞いたことはありませんでした。アレサ・フランクリンとかは大好きなのに、もったいないことをしてました。さっそくアマゾンに注文しました。
お役に立てて何より。
私なんて5年前まで名前も知りませんでしたから、偉そうなことは言えません。不覚ですねえ。保守的なジャズ聴きは、どうもヴォーカルものを敬遠しちゃうんです。もっとも、実際聴いてみるとジャズって感じじゃなくて、とにかくソウルですね。
私にとっては、一種の「聖地」みたいなアルバムです。
アメリカでは人気なのに日本でイマイチというのは、昔から変らず「どっちつかず」というのが原因のようですな。
ブルースでもなく、ジャズでもなく、ポピュラーでもなく、しかも明らかなフォロワーもいない...。
垣根が取れたと言いつつも、やはり日本人は音楽(特に洋楽)を「スタイル」で聴いているのかなあ。
ところで四谷シモンがニーナ・シモンから名前をとったというのは初めて知りました。
007のファンだった大木凡人がジャームス・ボンドから芸名を失敬した話は有名ですが(笑)。
考えてみると、きっとこの世界には無数の美空ひばり的な人がいる/いた、はずなんですよね。その中の一体どれだけを私は聴いたんだろう。
エチオピアの美空ひばりはアスター・アウェケAster Awekeかな。マレーシアの美空ひばりは、シーラ・マジッドSiela Majidだろうか。そして、私の知らない無数の美空ひばりを求めて辺境音楽探究は続く。合掌。
でも実は、美空ひばりって、良くも悪くも「国民的歌手」であって、国とか国民とかがある程度のリアリティを持ち得た時代にだけ出現する特異な表象なのかも知れません。そう考えると、アメリカの美空ひばりってのは、ちょっと変。
ところでやきとり同志、「アメリカの三波春夫」は誰でしょうねえ。
CDで出てるんですね。
さっそく、取り寄せます。
すみません、写真を見て興奮してしまいました。
はじめまして、時折お邪魔していました「油揚げ」と申します。
本職はクラシック音楽ですが、「毒物」にも興味があります。
今後とも、どうぞよろしく、お願いします。
はじめまして、フェイと申します。かような僻地へようこそ。
私にとっては辺境音楽も毒も同根の悪癖なんですが、クラシックと毒とは、これまたいかなる因果の悪戯なんでしょうか。
今後とも宜しく御笑覧下さい。
で、あえてムチャを承知で言えば「アメリカの三波春夫」はズバリ、フランク・シナトラ?
うーん、でも三波春夫先生と言うより、むしろ「アメリカの北島三郎」かなあ。
それから、こんなんありましたよ。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/2724634
うん、コレは間違いなくそうでしょうね。
シナトラは私も北島三郎を感じます。意外とパット・ブーンなんかは三波先生に近いのかも。
二代目が歌手をやってるとは知りませんでした。「王道クラシックなビッグ・バンド・サウンド」てもが気になります。
中華人民共和国の当局は、彼女の歌を不健全な「黄色歌曲」(ピンク歌曲)と位置づけて音楽テープの販売・所持等を禁止する措置を取り、これは1983年末まで続けられた。中華人民共和国で彼女の歌が禁止されていた時期でも実際には海賊版の音楽テープなどがかなり流布しており、それらを通して彼女の歌声を聞いていた人も多かった。
当時、中華人民共和国の国民の間で「昼は老ケ(ケ小平)のいうことを聞き、夜は小ケ(ケ麗君:テレサ・テン)を聴く」、「中華人民共和国は二人のケ(ケ小平とケ麗君)に支配されている」といったようなジョークが流行っていた。
以上ウィキペディアより。
実際、東北部の田舎でも20そこそこのカラオケ屋のお姉ちゃんまでみんな歌いますからね。
さらに、日本人駐在員のレパートリーおよびボキャブラリの増加のためにもえらいこと貢献しています。
わたくしは、発音はあやしいけれど「月亮代表我的心」を。
実は今でも、大陸、香港、台湾で広く売れ、それどころかベトナム、タイ、インドネシアでも大ヒット・・・なんて歌手が出たりしてますが、日本では全くと言って良いほど知られていません。王菲も日本でのプロモーションには全然興味が無いようだし。
寂しいことに、21世紀の大東亜音楽共栄圏は、日本抜きで発展しているようです。
またまたソソられてしまいました。
どうも非国民さんが出してくるものには、弱い気がします。
あちらで売りつけられた「九州カントリー・ブルースの大統領」の次は、こちらの「アメリカの美空ひばり」です。。。
明日あたり届くよってアマゾンに言われたので、今から楽しみです♪
いつもすみませんねえ。でも私だってひとりで探し歩いてるわけじゃありません。いろんなところで売りつけられてるんです。だからまあ、お互いさま、ってことで。
「九州カントリー・ブルースの大統領」てのも凄いですね。どんな歌なんだろう。
四谷シモンの少女人形(笑)。 お世辞200%なんだよ(笑)。
けど、ちょいと気分良くなって、そのお人形のポストカード買っちゃった(笑)!
今は横に成長し過ぎて、見る影も無いや・・・(爆)。
きっとマダムは、髪の長い若いぢょしのお財布から、そうやって小銭を絞り取っていたのだなあ・・・(遠い眼&笑)
何だか私の阿修羅ネタみたいなエピソードですね。でもシモン人形に似てるって言われるのは嬉しいのか? しょっちゅう解剖されてるし。