2008年01月08日

朝崎郁恵【うたばうたゆん】

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この歌声は何処から来たのだろう?

奄美島唄の第一人者、朝崎郁恵の大傑作。彼女のメジャーデビューアルバムでもある。2002年の録音。

朝崎さんは1935年奄美の加計呂麻島生まれ。実に還暦をとうに過ぎてのファーストアルバム、ということになる。これほどの歌手が何故それまでアルバムを録音しなかったのかと、俄には信じ難い。それほどの魅力に満ち溢れた唯一無二の歌世界なのだ。奄美の島唄がいかに知られていなかったかが分かる。

奄美というのは面白いところだ。地理的には日本と沖縄の中間に位置するが、文化的に見ると「琉球文化圏の辺境」という位置づけになる。もちろん同時に、日本文化圏の辺境でもあり、両方の文化が位相をずらして混在している。沖縄の文物が薩摩経由で奄美に伝わったと思われるケースすらあるのだ。奄美の言葉には万葉言葉が多く残されてもいる。このアルバムに収められた島唄にも、そんな奄美の独自性が見て取れる。

言葉は琉球語の奄美方言。響きも語彙も今の日本語とは全く違う。だから歌の内容は私には聞き取れないが、音韻的な印象は沖縄民謡に近い。一方で、メロディは沖縄民謡と全然違う。リズムもゆったりと、しっとりとしている。何よりも音階が違う。琉球音階が全く出て来ないのだ。むしろ日本の民謡と同じ音階が多く使われている。あるいは律音階が見られたりもする。興味深いことに、琉球文化圏のもう一方の辺境である八重山でも律音階を使った民謡が数多く残されている。これは、いわゆる「琉球文化」が成立する以前の古層を伝えているのかも知れない。

裏声(ファルセット)が多用されるのも、奄美島唄の特徴だ。日本民謡でも沖縄民謡でも嫌われる裏声が、奄美島唄では欠かせない要素となっている。日本の民謡なんかに比べると、旋律における音程の跳躍が大きく、地声と裏声を行ったり来たりする際のカスレ具合が独特な質感を醸し出している。なぜ裏声なのかというのは諸説あってはっきりしたことは分かっていないが、一説には神との交信を意図しての発声だとも言われている。彼女の歌を聴き、その圧倒的なスケール感に接すれば、さもありなんと思う。歌に精霊のチカラが宿っているのだ。

朝崎さんが奄美に暮らしていた時期は、実はそう長くない。1960年には島を離れ、以来ずっと日本で活動している。しかし、そのことが返って、今は失われてしまった古い歌の形を伝承する結果となっている様に思う。彼女の中には、近代化の波に晒される以前の奄美のシマ唄、日々の暮らしと深く結びついたシマ唄が、タイムカプセルの様にそのままの形で残っているのだろう。

もっとも、それだけのことなら「貴重な歴史的音源」であるに過ぎない。やはり、このアルバムの魅力は、その傑出した歌声の力にある。聴く者の心を一瞬で惹き付けてしまう、その奥深さ。呪術的な魔力さえ持った希有な世界。この歌声は、一体どこから来たのだろう。
こちらのページで試聴出来ます。
私はもう、一曲目の冒頭でいきなり痺れてしまう。オレは絶対買わないぞという人も、まあ聴くだけ聴いてみて欲しい。

さらに特筆すべきは高橋全のピアノであろう。三線を入れず、ほとんど歌とピアノだけという構成は、この手のアルバムとしてはかなり異色であるが、むしろ、そのことで歌そのものの持つプリミティブな力を引き出している。朝崎郁恵自身が「優しく包み込む様に弾いてくれる」と語っているが、本当に素晴らしいピアノだ。クラシックともポップスとも違う、素朴でありながらも緻密な和音の構成。彼女の歌い方に内在するリズムをそのままに生かし、優雅で格調高い響きを持たせている。恣意的なアレンジによって余計なものを加えるわけでなく、かといって、ただ伴奏しているというのでもない。端整なタッチの中に南国のねっとりした空気を感じさせる彼のピアノなしに、この大傑作は生まれ得なかっただろう。
posted by 非国民 at 05:13| Comment(2) | TrackBack(0) | 音楽;東アジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
復帰前の話ですが、年に1度、沖縄北部の辺戸岬(当時はアメリカ)と奄美与論島(日本)の港で夜にタイマツを焚き、沖縄の本土復帰を願うお祭りが催されていました。
お互いの炎が見えるくらい近いんです。でも、当時はそこには国境があったと。復帰直後に私が行った後もしばらく続いていましたが、果して今でもやっているのかどうか。
まあ沖縄と奄美って、実は文化的には今でも近くて遠いんですよね。保守的な沖縄民謡ファンは「奄美はちょっと...」などと言いますが、実はそれは私です(笑)。

それでも非国民さんのオススメなので聴いてみました。...良かった(笑)。何でしょうねコレは。韓国の民謡の匂いもするし、地球上のどの音楽とも似ていない響きだったり、
ピアノやシンセは確かに巧みだなあと思うけど、やはり声でしょうね。独特の「浮遊感」がもたらす気持ち悪さと良さの間に置いてけぼりにされる、気持ちよさ...。

うーん悔しいけど、これは「買い」です(笑)。
Posted by やきとり at 2008年01月09日 02:05
悔しがることも無いと思うですが、良いでしょ、ね。
たしかに奄美と沖縄の近くて遠い距離、というのは感じますね。どうして、こうも違うんでしょうか。
与論島の音楽文化は、奄美に比べるとずっと沖縄に近いですが、それでも何か違いますよね。

このアルバムについていえば、おばあちゃんというファクターも関係してそうです。67歳の声がもたらす「浮遊感」。
地球上のどの地域の音楽、ということとは全く別の次元で、「おばあちゃんの歌」というジャンルも成立可能な気がします。
Posted by 非国民 at 2008年01月09日 19:40
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