2008年01月04日

空疎な装置

既に去年のニュースになるが、靖国神社が半島出身者の合祀取りやめを断ったそうだ。
 靖国神社、取り下げを拒否=遺族らに回答−朝鮮BC級戦犯合祀
第2次世界大戦後にBC級戦犯として処罰された朝鮮半島出身者の遺族らが、靖国神社に合祀(ごうし)の取り下げを求めていた問題で、同神社が要請を拒否していたことが31日、分かった。遺族らによると、神社側は27日付で、書面で回答した。BC級戦犯で日本人名があった15人の合祀を確認したとし、「創建の趣旨と慣習に従っており、意に沿いがたい」と説明した。
(時事通信2007/12/31)

だいたいにおいて宗教というのは融通の利かないものではあるけれど、それにしてもねえ。
相手が嫌がってるんだから、外してあげればよさそうなものなのに。

まあ、たしかに神社というのは、そのへんがヤヤコシイ。
例えば菅原道真の遺族が天満宮を相手に「祀るのをやめてくれ」と訴えても、やっぱり通らない気がする。これは、放っとくと祟るからという理由で祀ってあるわけで、もともと本人の意向とは関係無い。

どのみち、道真公がどう思っていたかなど、結局は誰にも分からない。祀って欲しいと思ってたかもしれないし、ゼッタイに怨霊となって祟ってやると心に決めていたかもしれない。こればかりは分からない。まさか受験生の守り神になるとは思ってなかっただろうけどね。

平将門なんかは「祀ってくれるなオレは祟ってやるんだ」とか言いそうだけど、そういう人ほど祀らなきゃイケナイと考えるのが神道だから、これも仕方がない。将門さんの遺族が神田明神に「祀ってくれるな」と頼んでも、だから通らないと思う。

それに、こういう場合、本人の意向を遺族が代弁出来るものなんだろうか。ちょっと違う気がする。故人の無念を晴らすっていうのとも趣旨が違うしなあ。

明治神宮はどうだろう。明治天皇の遺族が祀るのをやめてくれって明治神宮に頼んだら、どうなるんだろう。これは面白そうだ。
そもそもなんで明治天皇が神社に祀られてるのかが分からない。放っとくと祟るのか明治天皇は。そんなこともあるまい。そうは言っても、何だか良く分からない理由のもとに明治天皇を祀って神社として成立してしまったという既成事実は動かし難い。私なんかは非国民だから、「別に良いじゃないか他所から適当な神様を引っ張ってきて祀れば」と言えるが、当事者としてはやはり避けたいところだろう。明治天皇を祭神から外せば明治神宮は明治神宮で無くなってしまうからだ。

靖国神社も同じパターンなのかもしれない。何の理由も無しに祀っているからこそ、外すに外せない。そして、外せない理由を説明出来ない。要するに当時の政府の言われるままに祀っていただけのことだ。そこに宗教的な根拠は何も無い。もちろん戦死者本人の意向とも関係無い。だからこそ、一人でも外せば、全部そうだということが露呈してしまう。寺じゃないから供養というわけでもあるまいし、死者の救済という文脈も成立しない。

いつの間にか「招魂」から「慰霊」へと看板を変えて生き残ってきた、靖国神社という空疎な装置。このシステムの不毛さが、「創建の趣旨と慣習に従っており、意に沿いがたい」というコメントに象徴されている。
posted by 非国民 at 04:33| Comment(5) | TrackBack(2) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
たしかに宗教の「論理」というのはありそうで、世俗の慰霊施設のように扱うのも無理があるかな、と思いますが・・・。
で、半島出身者の遺族の方が、白い服を着て、朝鮮風な慰霊の儀式をしてお供え物を捧げたら、警備員に排除されるかどうかと、アホテロリストのわたしなどは想像してしまうのですね。
お寺で拍手を打つひともいるし、女は拍手を打たないもの、という細木数子のヨタをまに受けた人もいるそうだから、半島風に参拝したって結構、黙認されるかも。
Posted by kuroneko at 2008年01月04日 10:23
何で読んだか忘れましたが、なぜ分祀できないかという質問に対して靖国側は「一度祀ると全部1個にまとまってしまう。だから後で1人だけ取り出すのは不可能」
という趣旨の説明をしたそうです。不可能って、何かもう化学実験みたいな話だなあと思いました。ミソもクソも一緒みたいな?
Posted by やきとり at 2008年01月04日 23:19
kuronekoさん
たしかに、今の靖国神社は招魂じゃなくて慰霊がタテマエですから、画一的な作法を強制されるいわれはないんですね。どのみち、もはや神道の歴史とも考え方とも関係無い地点に達していますか、何だって良いんじゃないでしょうか。

やきとりさん
面白いですね、それ。じゃあ何で名簿があるのかというのが素朴な疑問ですが。いっそのこと「全部1個にまとまってしまうので、誰を祀っていて誰を祀っていないのか、個別の案件には答えられない」とでも言っとけば、もう少しは丸く収まりそうです。
Posted by 非国民 at 2008年01月04日 23:45
 本筋から外れたコメントで恐縮ですが、明治神宮は、大正元年に当時の東京市長阪谷芳郎男爵が明治天皇を顕彰するために建設したそうです。
 興味深いのは、当時東洋経済新報社記者だった石橋湛山(戦後首相に就任)が社説で「そんなことをしても先帝の遺志を継ぐことにはならない。すぐに忘れられてしまう。むしろノーベル賞に匹敵する「明治賞」をつくって、万国の科学者に提供し、もって世界にその名を知らしめよと訴えていました。何とも先見性のある見解で私は感心していました(出典:『石橋湛山評論集』岩波文庫)。
 しかし今になってみると、その由来は忘れられても都心の超一等地に広大な緑地を残したわけですからエコロジーの観点からはかえってよかったかもしれませんね。
Posted by toshiotoko at 2008年01月28日 14:46
toshiotokoさん
興味深い情報をありがとうございます。さすが湛山、鋭いですね。
結果的には緑地が残って結構な面もありますが、あれは公有地じゃないんで、使い途は当該宗教法人の胸三寸です。まあ明治神宮は金に不自由してる訳じゃ無いから、当面は大丈夫だと思いますけど。
ちなみに明治神宮が出来た当時、あんな「僻地」にまで都心が広がると予想した人がどのくらいいたんでしょう。
Posted by 非国民 at 2008年01月28日 22:08
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