2007年10月10日

Dulce Pontes【O primeiro Canto】

dulce_pontes.jpg
現代に脈動するファドの魂。

初めて聴いた時からファドという音楽が不思議だった。その重く陰鬱な響きに強く惹かれつつも、私にとってファドは大いなる謎だったのである。

ポルトガルとスペイン。すぐ隣なのに、どうしてこれほどにも隔絶した音楽文化が醸成されたのだろう。ポルトガルの音楽を聴く度に、そのことを思わずにはいられない。同じイベリア半島にありながら、地中海文化圏とは明らかに違う暗くドロドロした情念の発露、一歩間違えば日本の演歌にも通じてしまいそうな湿っぽさをファドには感じる。
もちろんファドといっても暗い歌ばかりではない。明るく陽気なファドもあるが、その明るさ、陽気さの表現までもが、どこか重たく湿っているのだ。

ポルトガル人の海に対する果てしなき憧憬、その想いもまた、流浪の非国民を強く惹き付けてやまない。

ファドは不幸な歴史を背負った音楽である。
第一に、もともとが庶民の歌であったにもかかわらず、20世紀最長の独裁政権を率いたサラザールがファドをこよなく愛し擁護したために、返ってファドは庶民に嫌われてしまった。ファドがポルトガル人の音楽として正当に評価され民衆からも愛されるようになったのは、革命から20年を経た1990年代のことである。
ファドの第二の不幸は、アマリア・ロドリゲスという、あまりにも傑出した天才を生んでしまったことだ。アマリアこそはファドそのものであり、彼女の死とともにファドの歴史は終わってしまった感さえある。

ドゥルス・ポンテスは、そんなアマリア以降のファドを牽引する確かな存在だ。
このアルバム【O primeiro Canto】は彼女の5作目、アルバムタイトルは日本語にすれば「原初の歌声」といったところか。1999年の傑作である。奇しくもアマリア・ロドリゲス逝去の年だ。

澄み切った美しい歌声が、ファドの魂を伴って現代の息吹を得ている。もともとピアニストとして音楽のキャリアを始めたドゥルス自身の手による楽曲も素晴らしい。
参加しているミュージシャンも国境を越えた多彩な顔ぶれで、出来上がった音楽はファドの枠を超えて、現代のポピュラーミュージックとして第一級のレベルに達している。
このアルバムで、彼女とそのプロジェクトは、今ではもう使われなくなった多くの楽器を再発見し、再発明し、再製作している。スウェーデンのバグパイプ、マダガスカルのハープ・・・。100%アコースティックでありながら、そこには驚くほど豊かな音が満ち溢れているのだ。

そういう意味では、彼女はもはやファド歌手ですらない。他の誰でも無いドゥルス・ポンテスという、現代の希有な歌手として、このアルバムに具現しているのだ。

オフィシャルサイトで何曲か試聴出来ます。

ハズレ曲なしの傑作だが、強いて一曲挙げるなら、ラストの「Ondeia (Água)」。スケールの大きな佳曲である。
ミランダ地方の伝承曲を歌った「Tirioni」もスピリチュアルな静謐さに満ちている。
タイトル曲の「O primeiro Canto」。70年代の無血革命を音楽で導いた偉大なソングライター、ジョセ・アルフォンソに捧げた曲だ。国や文化、肌の色が違っても、人は音楽によって手をつなぎ、前に進むことが出来るという彼女の信念が見事に結晶している。ちなみにこの曲でサックスを吹いているのはウェイン・ショーター。

オーソドックスなスタイルのファドも何曲か入っていて、これも素晴らしい。
例えば本アルバム収録の「Fado-Mãe」、あるいは「Porto de mágoas」
それにしても、こんな曲で踊り出してしまうポルトガル人とは、一体何なのだろうか。
さてもさてもサウダージとは奥深きものなりと、感じ入るばかり。

検索用;aqua,fado-mae,porto de magoas
posted by 非国民 at 04:32| Comment(4) | TrackBack(1) | 音楽;南欧 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
むむ来ましたか。私の天敵ファド(笑)。どうも暗くてシメっぽくて苦手なんですよ。
ポル語だとやっぱりブラジル音楽の肩を持ちたくなってしまいますが、タイトル曲はブラジルのマルシャっぽくて、
何だか楽しいですねえ。それにしてもショーターはどこにでも顔を出しますな。
Posted by やきとり at 2007年10月11日 22:40
やきとりさん
さりながら、ファドという音楽は、ブラジルから逆輸入されたアフリカ文化の強い影響を受けて成立したと言われていますから、因果なものです。
私の天敵は何だろう。色々ありそうですが、まずはシイタケとハワイアンですかな。あとホンの遅い脚本家・・・
Posted by 非国民 at 2007年10月12日 01:05
たしかにアマリア・ロドリゲス聴いてしまったあとではどんなファドの名手の歌声を聴いてもアマリアとつい比べてしまいます。

昔劇団民芸御用達の古いシャンソン喫茶でアマリアのレコードを聴かされファドに出会ったのですが「うわ〜ダミアみたい。陰気な歌やなあ...。」と陰鬱な気分になりました。あのヘンテコなペグの付いたギターもなんだか陰鬱な感じ。雨模様の薄暗い夕方なんかに突発的に聴きたくなります。
Posted by SIVA at 2007年10月18日 03:27
Sivaさん
>あのヘンテコなペグの付いたギター
世界のどこへ行ってもギターはギターなのに、何故かポルトガルでは、ギターといえばアレなんですよね。6コース12弦。琵琶みたいな形して、調弦も普通のギターとは違う。この楽器をギターラと呼ぶことにしたポルトガル人は、普通のギターの方をヴィオラォンと呼んでいます。ヘンですねえ。

でも私は、あの陰鬱な響きが堪らなく好きなんです。
Posted by 非国民 at 2007年10月18日 07:50
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