
フラメンコの源流を探る壮大な試みは異種格闘技の様相を呈して
フラメンコはロマ(ジプシー)の音楽。ロマのルーツは北インド。インドと言えばシタール。
と思ったのかどうかは分からないが、シタールでフラメンコを弾いてみようという途方もない企画なのだ。その絶妙なハマり具合とハズレ具合が素晴らしい。
ジャケットの写真を見るだけで「き、きさまら何をやっておるかぁ」と突っ込みたくなるではないか。
ところがこのアルバム、決して安易なギャグではない。極めて真面目なアプローチでフラメンコが演奏されているのだ。
リズムといい節回しといい、極めてオーソドックスなフラメンコのスタイルに則っている。それでいて何かが決定的にオカシイのだ。フラメンコなのにシタール。シタールだけどフラメンコ。その溝はあまりにも深い。
ぃおょぉぉ〜ん、ゅょおぉ〜〜〜んというシタールの音を聴けば聴くほど、実は両者の間には何の関係も無いんじゃなかろうかと思えて来る。
大体、シタールの音って言うのは、何であんなにふざけて聞こえるんだろうか。
シタールを弾くのはGualberto Garcia Perez。セビージャの出身で60年代にはSmashというプログレロックバンドでギターを弾いていた人だ。経歴から察するにサイケ趣味が嵩じてシタールに行き着いたようで、私は詳しくないが、プログレ方面ではそこそこ知られた名前らしい。
対するフラメンコギターはRicardo Miño。こちらも私は知らない名前だが、アルバムを聴いた感じでは相当な腕利きと見た。もっとも、このアルバム中でもCoto(箏だ!)を弾いていたりするので、やはりただ者では無いらしい。
こちらでちょっと試聴できます。
私が一番好きなのは3曲目のソレア。こんなヘンはソレアは後にも先にも聴いたことが無い。ギターとパルマによる導入部はオーソドックスなソレアそのもの。そこにヒンディー語のカンテとタブラが被さり、さらに摩訶不思議なシタールの音が入って来ると、もう何が何だか分からない。分からないけど美しい。それでいて、リズムも節回しも紛う事なきソレア。
源流を探る試みなどではなく、これはフラメンコの進化形なのかも知れない。
ちなみに、アルバムタイトルのCon Trastes、英語で言うとWith Frets。たしかに私のギターにも付いてます、フレット。しかし共通点はそれだけか。
検索用;Ricardo Mino
ジョン・マクラフリンのシャクティは、インド音楽の方へガットギターを持ち込みましたが、
これはその逆というところが面白いなあ。でも仰る通り、もうちょっとシタールが「インド」を主張すればいいのに...。
しかしこういう突拍子もないアイデアを実行してしまうのは、やはりプログレ魂の成せるワザなのでしょうか?
本当に聴けば聴くほど、フラメンコは別にインドとは関係無いんじゃ・・・って思えて仕方ありません。
プログレ魂! 実はソレが分かってないんです、ワタシ。
自分の理解を超えた音楽に接すると、いつでも安直に「うわっプログレだあ」と思ってしまうんですよね。プログレファンの皆様すみません。
私もまったく同じです(笑)。悪しき因習である「ジャンル選別」を自動的に頭の中で行ってしまい、
どこにもアテはまらないと「プログレ」という、ほぼ「その他」と等しい箱の中に放り込んでしまいます。
まあプログレは「前衛」と言う意味で理解しており、その手のヘンな音楽は決して嫌いではないのですが。
あまりに様式的なのはちょっとアレですけど...。
悪しき因習であると分かってはいても、やっぱりやってしまうんですよね「ジャンル選別」。
純古典にはあんまり興味が無くて、ハイブリッドな辺境音楽を求めて彷徨っている非国民ですが、往々にして「◯◯と××の融合」みたいな理解の仕方をしています。あるいは◯◯をベースにした××風味、とか。これは好き嫌いじゃなくて理解の問題なんですね。
もっと言えば、ジャズやレゲエやサンバといった、ある意味で確立されたジャンルでさえも、それぞれ複雑な要素が絡まり合って成立している訳で、そういうことを思うことで、より深く音楽という文化を楽しめるんです。
音楽は天然資源ではなくて学習の産物ですから、絶え間なく進化し、伝播し、あるいは突然変異を起こしているんです。だから面白い。
でもって「何がどうしてこうなったのかさっぱり分からない」音楽にぶち当たった時「うわっプログレだあ」と思ってしまうんです。
結局「プログレというジャンル」が分かっていないので偏見かもしれませんが、様式的なプログレって、ちょっと大げさすぎて、私もアレです。