
「お耽美」の極北
「耽美」と「お耽美」。両者は微妙にだが決定的に違う、と思う。
耽美というのは、いわば無心の境地なのだが、そんな「美に耽る私」という自意識が前面に出てしまうと、それは途端にイヤラシイ「お耽美」へと堕してしまう。
その機微がなかなか難しいのであって、だからこそ凡人は耽美の極地に到達出来ない。どうしても恥ずかしさが垣間見えてしまって、往々にして中途半端な「お耽美」に終わってしまうのだ。
しかしながら、何事にも例外はある。
本気で「お耽美」を追求してしまうという路線が存在し得るのであって、その行き着く先は、激しく倒錯しつつも「耽美」と通底する危険で濃厚な世界なのであった。
そんな「本気のお耽美」を極めてしまったこのアルバムは、まさに「お耽美の極北」。
前人未到の領域である。

ちなみに、この不健全きわまりない世界を見事に描いた秀逸なジャケットとインナーの写真は、アントン・コービンAnton Corbijnの手によるもの。
さてギャビン・フライデーGavin Friday。アイルランドのミュージシャンである。U2のボノとは幼馴染みだという。80年代にはヴァージン・プリューンズVirgin Prunesというバンドを率いて活動した。そのパフォーマンスは、アントナン・アルトーAntonin Artaudのシュールリアリズム演劇論を踏襲した極めて前衛的なもので、いまやオルタナティブ・ロックの伝説的バンドとも言われている。
この【Each man kills the thing he loves】は、プリューンズを解散した彼のソロ一枚目、1989年の作品である。実質的には、作編曲及びキーボード奏者として全面的に参加しているMan Seezer(=Maurice Seezer)との共作である。

オスカー・ワイルドOscar Wildeの詩に曲を付けたタイトル曲をはじめとして、倒錯と背徳の世界が延々と続く。そこで繰り広げられる彼の歌は、孤独で悲痛な叫びであり、同時に愛と憎しみの交錯した凶暴な呪詛でもある。その際限なき内面の吐露が、「お耽美」でありながら、完成された美学を奇跡的に具現しているのだ。
さらには、ほぼ全曲に参加しているマーク・リボーMarc Ribotのギターが、駄目押しのように狂気のスパイスを効かせている。
どこまでも危険で濃厚な「お耽美の極北」へ、あなたもぜひどうぞ。
オフィシャルサイトで、その片鱗に触れる事が出来ます。
ただし、昼間に聴いてはいけません。
二人で聴いてはいけません。
精神が不安定な時に聴き入ってもいけません。

その方面には滅法疎いので全然分からないんですが、二日目に何があるんですか?
大手ですと購入できなければ売れ残りを通販で購入ということも可能ですし、なんだかんだ言ってまだまだ男性上位の業界ですので、結局3日目が一番混むのだそうですよ。
・・・オイラも行ったことは無いんですがね。
私は一度だけ行ったことがあります。はるか昔、社会学科の学生だった頃ですが、物好き仲間が連れ立って「コミケ見物」に行きました。そろいも揃ってサブカルチャーに疎い連中で、何がなんだか分からないままに、ぐったりと消耗しました。あれは何日目だったんだろうか。
そういえば、たしか同じメンツで東京ドームまで大川隆法の「御聖誕祭」を見に行った事もあります。今思えば本当に物好きだったんだなあ。ていうか、どうやってチケット手に入れたんだっけ。
>大川隆法の「御聖誕祭」を見に行った事もあります。
えーとFeiさん・・・、オイラそっちは一緒に行ってますよ。(T~T)シ
ところで、このアルバムをどう聴いてもコミケに通じるところは無いんですが、これは私のコミケ理解が足りないのか、それとも「お耽美」と「おタンビ」の違いなのか。