そのことを知ったきっかけは、チェコの作家、イヴァン・クリーマの『僕の陽気な朝』という連作短編集である。イヴァン・クリーマ Ivan Klíma。反体制作家と目されて当局の弾圧を受けながらも、あえて亡命の途を選ばず、チェコについて書き続けるためにチェコに留まった。書くものは全て国内では発禁。公には作家としての活動そのものが認められていない。病院の雑役夫などをしながら、実質的には国外で出版される本の印税で暮らしていたという特異な作家である。『僕の陽気な朝 Má veselá jitra』には、そんな彼の非日常的な日常が、面白おかしく描かれている。この作品も、1978年にトロントの亡命出版社からチェコ語で出版された。
ものすごく面白い本なので、正月休みに是非オススメなのだが、その中の一編にこんな会話が出て来る。
「君、魚の商売をする気はないか?」
「魚の商売?」
「クリスマスの鯉だよ。結構な儲けになるんだぜ」
「だけど僕は……僕にはとてもそんな気はないね」
「そんな気、誰にだってあるもんか。だけど君は作家なんだから、なんでも経験したほうがいいんだぜ!」
この飛躍がいかにも東欧文学だが、それはさておき、どうやらプラハの街では誰もがクリスマスに鯉を食べるものと相場が決まっているらしい。
気になって調べてみると、チェコ以外にも、ハンガリー、オーストリア、ポーランド、それにドイツの一部でも、クリスマスに(だけ)鯉を食べる習慣があるようなのだ。
何でまた鯉なのか。不思議な習慣である。
ちなみに味の方はと言えば・・・散見した所では、どうやらあまり美味しくないらしい。
大体、この地方には魚を食べるという習慣が無いのであって、魚料理と呼べるほどの食文化は存在しないようなのだ。クリスマスだから特別に鯉を食べるだけであって、美味しいから食べる訳でもないらしい。
ますますもって不思議な習慣である。
ところで、最近の日本人には、クリスマスに鶏のモモ肉を食べる習慣があるらしい。
普段から鶏肉を食べているくせに、クリスマスに改めて鶏肉を食う。不思議と言えば、こちらの方がもっと不思議かも知れない。
【追記】
最近ではチェコ辺りを中欧と言うらしい
検索用: Ivan Klima/Ma Vesela Jitra
「おせち料理」みたいなもんじゃないですかね。縁起物と名物に美味い物なし。何となく伝統だから食っているとか?
鶏のモモ肉は確か七面鳥の代用品ですよ。KFC(揚げ鶏専門店)が広めたキャンペーンの成果という話を聞いたことあります。
ちなみにサンタクロースの服は、コカコーラ社が自社のイメージカラーの服を広告で着せたのが最初だそうです。
トリビア話ですいません。
最初からお菓子やケーキの類。アルコールは甘いホットワイン。
宴もたけなわな頃、流石に耐えきれなくなったか、わが友人ポルトガル人のチエリが赤ワインを開けて、ソーセージを切り出しのを見て早速飛びつきました。
甘いもの、嫌いじゃないけど、飯も食わずに甘いものってものね、ちょっときつい。
やはり唐揚げ屋の陰謀でしたか。まあ、この国の「伝統」なんて大部分はその程度のものですから、今更ひとつぐらい増えても驚きませんが。
おせち料理。あれは、縁起物というよりも保存食なんじゃないでしょうか。最近ではどうだか知りませんが、私がコドモの頃の京都では、平気で1月の15日ぐらいまでどの店も閉まってましたからねえ。
ちなみに私は、防腐剤代わりに大量の塩と砂糖を投げ込んだあの味が、嫌いです。今は便利な世の中になったので、食べようとは思いません。
黒木さん
それもどうなんでしょう。私も甘いものは嫌いじゃありませんが、延々と甘物責めが続くとねえ。
ヨーロッパ人はクリスマスになると「修行モード」に入るんでしょうか。で、一種の「精進料理」に走ってしまうとか。
ちょっと遅目ですが、今週中なら間に合うよね。
さて、東欧の「クリスマスに鯉」ってのは、ちょっとぐぐってみたら「精進料理」なんだそうですが・・・、
これドイツあたりの「四旬節にニシン」ってのとかかわりあるのかな?。
ようするに「断食」のバリエーションとして考えていいのかしら?。
キリスト教で「断食」というのは基本的には「肉食をしない」ことなんで、キリストの死と復活を黙想する四旬節(2−3月)は中世以来、魚ばっかり食べる時期。
太陽もささない暗ーいシーズン。食卓には毎日塩漬けのニシン。そりゃイヤになるね。(童話「大泥棒ホッツェンプロッツ」でもニシンの酢漬けが目の敵にされてた)。ちなみにドイツでは貧乏神を「ニシンの王様」と呼ぶそうだ。
微妙なのはキリストの降誕は「幸せ」の象徴。クリスマスってのはアドベント(待降節)の終わりでヨーロッパ的には一番ご馳走が食べられるシーズン。「断食」とは結び付きにくい時期なんですよね。
えーと、文献ではなくて個人として思いつくのはクリスチャンの象徴としての「魚」かな?。
イエスがペトロに「お前を人をすなどる漁師とする」といったという聖書の言葉に倣えば、クリスチャンは「すなどられた魚」。「魚」と「十字架」はクリスチャンの証しなんです。
ローマ帝国による迫害期には胸元に魚のマークを書いてみせるのがクリスチャンの合図だったといわれてるくらいで、これはちょっと説得力ありそうなんだけどどうだろう。
>キリスト教で「断食」というのは基本的には「肉食をしない」こと
そーだったのか。チェコといいハンガリーといい、ベースは肉食文化ですからねえ。
象徴としての魚、というのはたしかに説得力がありそうです。ただ、それでもなお分からないのが、何故よりによって鯉なのかという問題。だって、はっきり言って美味しい魚じゃないでしょ、あれ。
日常的に魚を食する文化圏においてさえ、賞味に足る料理として鯉を供するには相当に洗練された手腕が求められる訳です。ましてや年に一度のことなら、もっと無難な魚にしとけばいいのに。。。
それとも、あの辺には鯉しかいないのかな。
仮説2: 鯉はコラーゲンが豊富で、食べると乳の出がよくなるため、乳飲み子を育てるマリアを偲んで鯉を食べるようになった。
仮説3: 鯉はエルベ川を上って、龍になるという伝説があり、縁起がいいとされており、主の降誕を祝して食べる。
仮説4: 元々、クリスマスは冬至の行事がキリストの降誕伝説と習合したものであり、冬に湖底に隠れるが春に姿を見せる鯉を、太陽神の復活のシンボルとして食べるようになった。
ヨーロッパって金曜日はもともと肉なしデイにするとか何か小説にでてきたような。肉食をしない=断食、的な意味があると思う。(昔、庶民はそんなに肉食できなかったと思うけど) けれど、どっちかといえば魚がキリスト教の象徴というほうがあたっているね。多分。東欧の方がビザンチン帝國の影響でそういう観念が強いとかね。
あるいは、南郷説のように、なんらかキリスト教以前の習俗がキリスト教と習合したのではないかなあ。それでなんで鯉かというと養殖しやすかったんじゃない?
これが漁労するものだと、一時に大量消費するときに間に合わないでしょ。
あと、中華料理の鯉の丸揚げもそうだけど、ご馳走っぽく皆で分けられる宴会料理向きということもあるんじゃないかなあ。最初はキリスト教の象徴=魚で始まっても、定着し伝承されるには実利的な理由があるんだと思う。
だからーっ、分からないって言ってるのに・・・シクシク。
当てずっぽうながら、仮設4が面白そうです。
kuronekoさん
かの地の肉食文化は、それはそれは凄いもので、本当に肉が主食なのだなあと呆れます。これは伝聞ですが、料理と言えば焼いた肉と焼いた肉、それに焼いた肉、時々は焼いた肉、それにも飽きると今度は焼いた肉・・・・・。
それだけに「野菜を食わねば!」というオブセッションは日本なんかより遥かに強いようです。ビタミンCを最初に分離したのはハンガリー人だったし。
ちなみに彼ら、獣の屠殺は平気なくせに、魚を殺して解体することには妙な心理的抵抗があるようで、そのへんの感覚も、日本列島の住人からは隔絶してますね。
で、本当にクリスマスに鯉を食べるのだそうです。
また、manetさんの断食に関する話は本当だそうです。
でも、「鯉はすごくおいしくて大好き」と言っていました。酢に一日つけてマリネにするのだそうです。
実は鯉って、ものすごく贅沢な御馳走なのかなあ。ちょっと考えにくいけど。
あるいは「聖なる魚」なのか。
ぶつぶつ・・・
「好きなものを食べない」という断食の風習もあるのだそうです。
ヨーロッパに住んでいると、クリスマスより復活祭の方が重要だということがよく分かります。2月から4月にかけて、やれ断食だ、やれお祭りだ、やれパーティーだと、めまぐるしく行事が続きます。しかも、復活祭の日取りは毎年違うし。
ブリも鯉も、たぶんキリスト教とは関係ないんでしょうね。
鯉の件、ちょっと聞きまわって見たら「ヨーロッパでもっとも大きい鱗を持つ一般的な魚類が鯉」という意見が出ました。「鱗のない魚」を食べるのは旧約聖書の律法違反なので、できるだけ神様にわかりやすいように大きな鱗の魚を食べるのではないか・・・と。神様、近眼なんでしょうか?
>黒木さん
>しかも、復活祭の日取りは毎年違うし。
えーと、 復活祭は「春分以降の満月の次の日曜日」なので別に毎年同じです。カレンダーでは3月〜4月のどっかの日曜日になってしまうのでややこしいけど日程上は変わらないんですよ。
>別に毎年同じです。
「春分以降の満月の次の日曜日」ということは、日付は違いますよね。
>日程上は変わらないんですよ。
ですから、これは何を言いたいのか分かりません。