2006年12月13日

道徳教育の可能性

巷の年寄りどもは、とかく「道徳」が好きらしい。
ことあるごとに道徳教育の必要性が喧伝される今日この頃であるが、一方で、道徳教育の可能性については深く考えられていない。
そもそも学校で道徳を教育するなどということが可能なのだろうか。

言うまでもなく、いつでもどこでも通用する普遍的な道徳などというものは存在しないのであって、あらゆる道徳は、その時代、その文化に特有のものである。
だから、道徳を教育するとは言っても、どの道徳を語っているのかが常に明らかにされていなければ、お話にならない。
しかし、ある特定の「道徳」を教えているという立場を明示した時点で、それは道徳教育として成立し難いのではなかろうか。

今日的な意味で道徳教育に可能性があるとしたら、それは道徳を学ぶことではなく、道徳について学ぶことでしか無い様に思う。
個人や社会にとって、道徳とは何か?
人は、どのようなプロセスで道徳的規範を内面化するのか?
ある規範を受け入れるとは、そもそもどういうことなのか?
その関心領域は、宗教社会学やメタ倫理学へと繋がる。いわば「メタ道徳」教育だ。

それはそれで面白そうでなテーマではあるが、小学校や中学校でどうしても教える必要があるのだろうか。私はそうは思わない。
posted by 非国民 at 02:34| Comment(7) | TrackBack(3) | 教育と学校 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
小学校の時の「道徳」の時間といえば、唯一学校でテレビが見られる楽しい時間でした。
ともあれ「いまのおとな」が言う「道徳」は間違いなくキナ臭いですなあ。関係ないけどこんなCDもありますぜ。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1233885
Posted by やきとり at 2006年12月14日 00:29
やきとりさん
そういえば私も昔は小学生だったわけですが、ありましたなあ、「道徳」の時間。いろんな意味で、あれは無駄だと思いますね。
Posted by 非国民 at 2006年12月15日 01:44
おぅ、トラックバックが通った!

「道徳」を学ばせたがっている人たちがいう「道徳」っていうのは
「私は偉い人です。偉い人のいうことには従うものです。よって、私のいうことに従いなさい」
というレベルのもので
「道徳」とは何か
「偉い人」とは何か、または、人間には「偉い人」と「偉くない人」が存在するのか
といった問題は、スッポリ抜け落ちているような。
Posted by gegenga at 2006年12月15日 07:20
個人情報保護法の時から、国は明らかに道徳に立ち入ろうとしているな、と感じています。

この前、源氏物語の研究者と話していて気付いたことなのですが、この政治家たちの道徳への偏愛ぶりはキリスト教に対するコンプレックスから生まれたものではないか?と思ったのです。

「西洋では民主主義国家が成立したが、文明の根幹としてキリスト教の倫理観が残っているのに対し、日本人は古き良き日本の神々に対する敬意の念を忘れてしまった」という考えです。

その研究者の友人によると、三島も「太平洋戦争の敗戦は、キリスト教に対する神道の敗戦である」と捉えていた節がある、とのことです。だから皇道派の究極的形態の一人である三島は、天皇の聖性を高めることを目指した、というのです。

その彼と今度シンポジウムやります。彼は源氏ではなく、三島を語るそうです。僕はサロメを語ります。
Posted by 黒木 at 2006年12月15日 10:05
倫理も興味がなかったんだけど、倫理学者の友達が出来て、彼のおかげで倫理学というのがとても面白いということを発見しました。

僕は菜食主義者じゃないけど、その論理は面白いと思う。これだったら授業でやっても良いと思います。

http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss_gw/250-5665946-5302648?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Daps&field-keywords=%93c%8F%E3%8DF%88%EA&Go.x=0&Go.y=0&Go=Go
Posted by 黒木 at 2006年12月15日 22:18
gegengaさん
たしかに、そのような低いレベルでしか「道徳」が語られていませんね。
「道徳」とは、個人の救済を追求するものなのか、それとも共同体の安定と利益を目指すものなのか。まずは、ここから始めなきゃならんような気がします。
Posted by 非国民 at 2006年12月16日 08:57
黒木さん
キリスト教に対するコンプレックス、大いにあり得る話です。
帝国憲法制定のための枢密院で、議長の伊藤博文がこんなことを述べています。
「欧州に於ては憲法政治の萌せる事千余年、独り人民の此制度に習熟せるのみならず、又宗教なるものありて之が基軸を為し、深く人心に浸潤して、人心之に帰一せり。しかるに我国に在ては宗教なるもの其の力微弱にして、一も国家の基軸たるべきものなし。(中略)我国に在て基軸とすべしは、独り皇室あるのみ。」
この手の議論は、今でも珍しくありません。まったく、進歩してないと言うか、何と言うか。

ちなみに
>「日本人は古き良き日本の神々に対する敬意の念を忘れてしまった」
この態度は、まさしく原理主義的ですね。
日本という単語を適当に入れ替えれば、イスラム教原理主義もキリスト教原理主義も、要するに言ってることは同じです。過去にユートピアを設定した上で現代を危機の時代だと煽るのが、お決まりのパターンなんです。
ただ、そこで一足飛びに皇室へと飛躍してしまう所が、凄いと言えば凄い。
神道にはドクトリンとかオーソドキシーという概念が希薄と言うか無いので、回帰すべき宗教的原理を見出せないからでしょうか。「古き良き日本の神々」への回帰が説かれる時、「神々の教えとは何か」は決して明らかにされません。
アブラハム宗教における原理主義との最大の違いは、その点ですね。
Posted by 非国民 at 2006年12月16日 09:23
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