2006年11月18日

MC Solaar【Qui sème le vent récolte le tempo】

quisemelevent.jpg
ラップするコーヒー色のゲンズブール。

フランスというところは、思いのほかラップが盛んである。
アメリカに次いで盛んな国と言っても良いくらいだ。
しかし同時に、アメリカのラップとフランスのラップでは、そのニュアンスが大分違う。フランス語の響きによる印象の違いもさることながら、そもそも両者は別個に成立したという側面を持つ。
フレンチラップと呼ばれる、半ば別系統の音楽が存在しているようなのだ。

近頃は日本でもラップは盛んであるが、日本のラップはあくまでもヒップホップの一ジャンルであり、ニューヨークで発祥した黒人文化として「受容」されたものだ。

フランスにおけるラップは、もちろんヒップホップと無縁ではないが、一面では、西アフリカのグリオが伝えて来た口承をその直接のルーツとする。さらに、フランスのポピュラーミュージックには、レオ・フェレを嚆矢とする音楽詩人の系譜が存在する。両者が混交することで、フレンチ・ラップという独自のスタイルが発展して来たと言えるだろう。
現在でもフレンチ・ラップは、アフリカ系を中心とした移民の文化として位置づけられているし、実際に移民系のミュージシャンによって担われている。

さて、MC Solaar。そんなフランスで最も有名なラッパーの一人である。
1969年セネガルのダカール生まれ。両親はチャド人。
黎明期のフレンチ・ラップ界に颯爽と登場し、その流れを決定づけた人物でもある。
時に「コーヒー色のゲンズブール」とも評される彼は、ヒップホップの系譜よりも、詩人の系譜を受け継ぐラッパーと目されている。彼の歌詞は、多分に文学的であり(まあ私には良く分からないが)、その洗練されたフランス語はインテリにも好まれているらしい。

これは、そんな彼のファーストアルバム。1991年の作品だ。何と400万枚売れたというから、ただごとではない。
本作の白眉は、何といってもCaroline。名曲である。
私の脳はラップを「曲」と認識しない場合が多いのだが、これは間違いなく名「曲」だ。この美しくも切ないメロディとハーモニーに触れて、私の「ラップ」概念は大きく変わった。
いま聴いても、そのサウンドは全く古さを感じさせない。

検索用;Qui seme le vent recolte le tempo
posted by 非国民 at 01:36| Comment(9) | TrackBack(0) | 音楽;西欧 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ラップ嫌いな非国民さんのはずが、このところ「思いのほか」ラップづいてますな。
フラ語のラップも初耳です。英語と違って破裂音が強調されないぶん、なめらかというかメロディ的ですね。
すなわち非ラップ的というか。あ、やっぱりベタなラップは非国民さんの好みではないと見た!
Posted by やきとり at 2006年11月20日 00:38
フランスにいた頃の話。

文化省の大臣が(名前忘れた)「ヒップホップはポエジーだ!」と国会で発言したところ、早速野党の議員に「じゃぁ、家でも聞いてらっしゃるんですね?」と聞かれて、よせば良いのに「もちろんだ!」と答えたら、案の定「では、何と言うアーテティスとの何と言うアルバムをお持ちですか?」と突っ込まれて、「いや、あの、家に帰れば分かるんだけど、忘れてしまって...」としどろもどろになっておりました。

文化に関しては、何にでも通じていなければ沽券に関わると思っているフランス人エリート意識が妙におかしい!!

フランスでのヒップホップのメッカはやっぱりマルセイユだと思います。(というかその近くに住んでいたから、そこしか分からん)主に移民系の人々が主翼を担っているのだと思います。以下のような催しに行ったことがあります。

http://ami.lafriche.org/logiquehiphop2001/
Posted by 黒木 at 2006年11月20日 08:49
やきとりさん
たしかに「思いのほか」ですね。ベタなラップは、ほとんど聴きません。曲として認識出来ないんです。
この作品からは、ちゃんとメロディが聴こえて来ます。音の作りもジャズっぽいんです。
ヒップホップという文化は、良くも悪くも「男の文化」として発祥した経緯があります。私は、そこに否応なく内在する「男であることの制度的な硬直性」を嫌っているのかもしれません。
時にぼそぼそ、よれよれ、うだうだと呟くフレンチラップの系譜には、そんな硬直性をふにゃふにゃに脱構築してしまう魅力を感じます。
Posted by 非国民 at 2006年11月20日 18:25
黒木さん
>文化省の大臣が(名前忘れた)
ジャック・トゥーボンJacques Toubonじゃないですかね。たしか国民議会の演説で、MC Solaarを現代のランボーnouveau Rimbaudだと賞賛してました。
ただ、彼はフランス語の擁護者としてソラールの名前を挙げたわけで、エリート意識もさることながら、フランス流ナショナリズムの一局面を象徴している様にも思えます。現代のポストコロニアルな状況下にあって、移民を「移民系フランス人」として囲い込むことで、国民国家を超えた多民族国歌フランスのナショナリズムが巧みに演出されているとも言えるでしょう。
インテリ受けするSolaarのラップですが、一方ではシステムへの追従だと批判もされています。
Posted by 非国民 at 2006年11月20日 18:37
今年の秋のことですが、絶大な人気を持つラッパーの一人、ドク.ジネコ(Doc Gynéco)が国民運動連合のセミナーに参加してサルコジ支持を表明し、物議をかもしています。
移民系の若者の立場を代表する人物だと目されていただけに、相当な反感と失望を呼んでいるようです。さる大物ラッパーが「裏切られた思いだ・・・・あいつは悪魔に魂を売ったんだ」とまで言っています。
これなんかは、あからさまな右派の取り込み作戦でしょうね。
Posted by 非国民 at 2006年11月20日 18:59
フランスのナショナリズムはそんなに単純ではない気がする。

サルコジ自身も移民。「優れた移民系フランス人こそがこの国を担うのだ」とでも言われたのだろう。

まぁ、サルコジは敵が多いとのことなので、大統領にはならんだろう。
Posted by 黒木 at 2006年11月21日 09:14
黒木さん
単純だというつもりは無いんですが、言語を通じて、従来排除されて来た人々をも動員しつつ顕揚されるナショナリズムのねじれ現象が興味深いとは思っています。
Posted by 非国民 at 2006年11月21日 21:25
>従来排除されて来た人々

このへんの区分がね、アメリカみたいにはっきりしているわけでないんですよ。
Posted by 黒木 at 2006年11月22日 00:06
なるほど。もう少し勉強してみよう。
Posted by 非国民 at 2006年11月22日 01:37
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