もの言う被害者(謙遜と謙譲の音楽)
各局のテレビカメラを集合させた場で、結局「あいつを殺せ」という号令をかけ続ける鋭い眼光。
そうそう。私が引っかかっていたのも、まさしくその点なのだ。
延々と流れてくるのは、要するに「あいつを殺せ」というメッセージ。
何歩か譲って、遺族が、そのような思いを抱くことは理解しよう。
だが、そのメッセージを、そのまんまメディアが増幅していてどうするのか。
ましてやそれが、事件を物語として消費しようとする浅ましい欲望に基づいているのだとしたら、これほど不愉快なことは無い。
私も、あなたも、ニュースに接する度に「消費者」として、その浅ましい欲望に加担してしまうのだから。
判事は全員一致で「差し戻し」を支持したそうです。
ニュースもおおむね判決を評価しているようだし。
何だかみんな同じことを言うようになったなあと、一夜明けた今日のニュースを見てさらにユーウツになるのでした。
ニュースの内容が、では無くて、ニュースに接する事自体が不愉快です。事件を「物語」として消費する扱いこそが、何よりも死者に礼を失することだと思います。
タグ、利くんですよね?
遺族の被害感情
さっそくウチのほうには、「ニセ非国民」が現れております(笑)
それにしても随分と出来の悪いニセでしたね。
鬱憤ばらしに、そちらのページを荒らしてみました。
メディアリテラシーと言いますか、報道機関の恣意性や扇動性に対して一定の抵抗力を持った方々、つまり御サイトのようなブログによる表明とブロガー同士の議論は、これからの日本のネットジャーナリズムにおいて重要なファクターとなることと思います。
それでは今後のご活躍を期待しております。
そちらも読ませて頂きました。
私たちの社会が、どうしても「合法的な殺人」を必要とするのであれば、それは、残念だけど仕方がない事として、社会全体でその後ろめたさを共有するしかないのでしょう。
よってたかって石を投げるのではなくてね。
そして、どのような場合(に限って)合法的な殺人が認められるのかの判断を、当事者遺族の思いとは離れた地平で裁判所に委ねるというのも、考えられる中では最も妥当な選択でしょう。
ただ、個別の事案について冷静に議論するというのも難しいもので、本文に書いたように、何かと後味の悪い思いが残ります。
私が、原則としてリアルタイムの刑事事件に言及しないのは、それが嫌だからです。
水葉さんのところでもコメントしたんですけど、死刑も終身刑もそれほどの苦痛じゃないですよ、たぶん。それよりシャバで生きて死ぬ我々のほうが相当苦しむんですよね。
どうも「どうだ怖いだろう」って死刑を求める人たちの姿が、全然効かないプロレス技かけて「痛いだろー!参ったかー!」とご満悦みたいに思えてしょうがないんです。もしもし、技かけてるあなたのほうがいずれもっと痛い目に遭うんですよ、と。
なんだろう、その程度の想像力しかないのに、さも遺族感情をわかったような気になるなよー、と言いたいんです、わたし。死刑推進派の皆さんからは真意は全然ヌルーされてますけど(笑)あああ悲しい!
http://worstblog.seesaa.net/article/19527391.html
それにしても死刑などというものはあっけないものです。(中略)滞りなく吊り落としてみれば何ということはありません。たいていの場合あっさり死んでしまいます。(中略)人の生命の儚さを知ることが遺族にとって些かの慰めともなろうかというと、全然そんなことはないんで、即死したりしようものなら怒りだす遺族もいるでしょうな。
同じ苦痛を思い知らせるのが正当な報復だというのなら、妻子を殺された者は、犯人の妻子を殺すことになるのでしょうが、それで何が残るのかは見当もつきません
。
気になってしょうがないこと
非国民さんとやきとりさんの記事を読んで、焦点が合った感じです。
早いとこ、どうにかして下さいよ、さとうさん。
個人的には死刑制度は報復の連鎖を象徴する制度として理知的国家にあっては成らざる制度だと思っています。被害者の権利については死刑制度とは別に語られるべきことだと思うのに、今回一緒に論じられているのが違和感の原因ではないかと個人的には思っています。いずれにしても死刑制度にしても被害者権利についても、たいした論考が施されずに報道されています。もはやアナウンサー等による素人のコメントはいらないというのが本音です。
<お返事>
DjavanがMPBとの出会いでしたかぁ。日本では「SAMRAI」の曲名もあってかDjavanはとても人気ですよね。あの頃のエレクトリックピアノの音作りはとても好きです。
そうなんです。なんで一緒に論じられてしまうんでしょう。現行の制度において被害者(あるいはその遺族)の権利が軽視されているのは、その事自体が問題なのであって、だから被告人の権利はどうでも良いって話にはなりません。だって、ぜんぜん関係ないんだから。
Djavan、良いですよね。私は最近の作品も好きです。今夜は【Milagreiro】でも聴きましょ。
>TB欄になぜか全文が表示されている
はい。これはそういうものなんです。 バイリニアさんに限らず、gooからのTBは全文が表示されることになっています。理由は分かりません。
こちらからもTBさせて頂きます。
愛する家族をあんな残虐な方法で殺されれば、だれでも復讐心が出て当然です。ましてやあんな漫画にしか出てこないような弁護士が登場してくれば、メディアがそれをわかりやすい二極対立に仕立て上げるのも簡単でしょう。問題はそれを物語として消費してしまう我々の側にも確かにあると思います。
ただそういったことを認めた上で、被害者遺族が「あいつを殺せ」というメッセージをメディアを通じて散布しているかのように捉えるのもちょっと酷かな、と思いますし、そのことで「我々の社会をどうやって守るべきか」という重い問題の焦点がずれてしまうように感じるのも事実です。
それも良く分かります。
私自身、本村さんを咎める気持ちは、あんまり無いんです。身内を奪われた者に対して冷静になれというのも酷な話ですし、場合によっては無理な話です。
だからこそ、メディア(とその受け手)が冷静でなきゃダメでしょう、ということを書いたのでした。
>「我々の社会をどうやって守るべきか」という重い問題の焦点がずれてしまう
これは確かにそうですね。
そもそも、「我々」の範囲はどこまでなのか、ということが、この上なく重い問題です。
残念ながら、天をも恐れぬ極悪人というのはやっぱりいるわけで、それも含めて「我々の社会」なのだとすれば、簡単な話では済みません。
大きな犯罪や事件は不幸や不運から生まれています。不幸や不運な人が増えている世の中、不幸な人をなくすこと、情状酌量の余地について考えることが犯罪を呼ばないためには必要なんじゃないんでしょうか。