2006年06月06日

『大鰐通り』

知る人ぞ知るパペット・アニメーションの奇才、ブラザーズ・クエイBrothers Quayの短編映画『ストリート・オブ・クロコダイルStreet of Crocodiles』。
長い間知人に貸したままになっていたビデオが戻って来たので、久しぶりに見る。

何度見ても凄い。
映像美の極致である。
とは言うものの、一般的な意味で「美しい」作品ではない。一般的な意味で面白い作品でも、全くない。
どちらかと言えば、人間の生理を逆撫でするような映像である。脳の急所をピンセットで摘まれるような。
精緻に構築された不条理。退廃的かつ、時にはグロテスクでさえあるイメージの累積。哀しみの漂う無機質な幻想風景。
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見たいとか、見たくない、というレベルの作品では無い。見てはいけないと脳の何処かでセンサーが鳴っているのに、どうしても眼をそらすことが出来ない。
そういう種類の「美」なのだ。
そして私は、何度も何度も、繰り返し見ずにはいられない。
(ちょっと見てみたいあなたは、こちらでどうぞ。)


正直言って、かなりマイナーな映画だと思う。私の周囲には映画好きが少なくないが、それでも『Street of Crocodiles』を見たという人は、ほとんどいない。
で、見た人はこの作品を好きだと言うのか。実は滅多に言わない。

伝説的傑作と高く評価される一方で、時としてカルト映画的な扱いがなされる所以である。

短編であり、全くセリフの無い作品なので、何度見てもストーリーは曖昧である。一種の「映像詩」なので、もともとストーリーを追って見ている訳でもないが、久しぶりに見て、少し気になった。
この作品には、原作があるからだ。
ゲシュタポの銃弾に倒れたユダヤ系ポーランド人作家、ブルーノ・シュルツBruno Schulzが書いた同名の小説、『大鰐通り/Ulica Krokodyli』である。

日本語の翻訳も出ているのだが、たしか、もう絶版で手に入らないんだよなぁと思いつつ調べてみると、何と去年平凡社ライブラリーから出ているじゃないですか。
偉い! 平凡社。さっそく買わなくちゃ。
このようにして、机上に積まれた本の山は、決して低くなることが無いのであった。
posted by 非国民 at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台・映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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