2006年05月18日

分祀なんかしなくて良い。

先日はこんなことを書いたのだが、ちょっと調べてみると、古賀誠さんの例の分祀発言、靖国シンパの自称愛国者たちからもボロクソの叩かれようである。

中には「日本遺族会の会長を辞任すべきだ」という意見もある。そのような教団内部のゴタゴタには興味が無いが、彼らの噴き上がりようもたいしたものだ。

ここまで叩かれている古賀さんをさらに非国民が批判するというのも、背中を撃つようで申し訳ないが、あんな頭の悪いことを言うからいけないのだ。

結論を私が言ってあげよう。靖国神社は何も変わらなくて良いのだ。
靖国神社の主張がおかしいと思うのなら、自分が信仰しなければ良いだけだ。そうではなくて神社の方を変えようとするのは、考え方が間違っている。それは政治家の仕事では無いし、そんな権限も無い。

それ以前に、首相個人の信仰と、首相の職務は別なのだ。
だから、一定の条件を満たす限り(政教分離を厳格に守り、マトモな政治をやってくれさえすれば、という意味だが)首相が個人的に何を信仰していようとも構わない。

しかし、例えば天台宗門徒の首相が「戦没者を追悼し、二度と戦争をしないという気持ちを込めて、8月15日には必ず比叡山延暦寺に参拝する。これは首相として当然の行為であり、日本人の心の問題だ。外国に干渉されるいわれは無い」と言う状況を想定して、あなた、どう思うか。
国外からの批判は無いかもしれないが、公私混同であり、政教分離に反することは明らかであろう。

ちなみに、靖国神社の主張はおかしいと、私自身は思う。
思うけれども、それを言うのなら、おかしなことを主張する宗教団体は他にいくらでもある。靖国神社も、その一つに過ぎない。
だから、靖国神社に文句があるのなら、日本政府ではなくて、靖国神社に直接言うべきなのだ。
posted by 非国民 at 00:41| Comment(16) | TrackBack(4) | 宗教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんばんは。TBどもです。
>靖国神社に文句があるのなら、日本政府ではなくて、靖国神社に直接言うべきなのだ。
そうですよね。それなのに国を相手取り「首相の靖国神社参拝で心情が傷つけられた」と裁判を起こす連中は何を考えているのでしょうか。訴える相手が違っていますよね。
私も靖国神社の主張には賛同できません。ただそれを無理やり政治問題化する連中も同じくらい賛同できないです。
Posted by ゲスト at 2006年07月01日 23:10
えーと、それもちょっと違います。
例の訴訟は、あくまでの首相の公的な参拝と言う「国の行為」によって精神的な被害を被ったとするものです。
ですから、国を相手に訴えるのは当然でしょう。
法的に「被害」が成立するかどうかという点は私も否定的ですが、少なくともこの場合、神社を訴えるのは筋違いです。
Posted by 非国民 at 2006年07月02日 01:44
>例の訴訟は、あくまでの首相の公的な参拝と言う「国の行為」によって精神的な被害を被ったとするものです。

確かにそういう体で訴えていますね。真の目的がどこにあるかは別としてw
Posted by ゲスト at 2006年07月04日 13:30
トンチャモンさん、はじめまして。
まあ、もちろん、真の目的は別のところにあると思います。
しかしながら、日本の法体系が付随的違憲審査制を取っているので、直接に国の行為の違憲性を問う裁判は出来ないのです。なので、原告は仕方なく損害賠償請求という民事裁判の形で訴訟を起こしたわけです。
いずれにせよ、争点は「国の行為」ですから、靖国神社を訴えることは筋違いです。

ちなみに、このようなある意味不毛な裁判を避けるためにも、ダイレクトに憲法判断を問う憲法訴訟の制度を設けるべきだという学説があります。私も同感ですが、残念ながら、今のところ通説ではありません。
Posted by 非国民 at 2006年07月05日 01:54
 この手法は大変有効ですよね。「違憲判決」と報じてくれるクオリティペーパーがありますから。
 ダイレクトに憲法判断を問う憲法訴訟の制度が設けられたら、公明党は創価学会とつながっているという違憲性を問うこともできるようになるんですよね?
Posted by ゲスト at 2006年07月06日 00:18
トンチャモンさん
憲法裁判所が出来れば「問う」ことは出来るでしょう。
私は違憲だとは思いませんが。
むしろ、たとえ公明党が議会の過半数を占めようとも国民一人一人の信教の自由を侵す立法は許されない、その原則が憲法として定められているとのだと考えます。
Posted by 非国民 at 2006年07月06日 01:07
創価学会と公明党の関係は合憲で、靖国参拝は違憲ですか。
玉串料として公金を支出が問題と言うことですか?仮に参拝そのものがいけないなら伊勢神宮参拝がスルーされるのはなぜなんでしょう。
Posted by ゲスト at 2006年07月06日 22:19
 ↑のコメントを書いてから以前のエントリーを読みました。首相として参拝を行うならあらゆる宗教的行為が違憲ということですね。そこまで厳しくするなら、仏像を国宝指定するのも問題になりませんか。
 また創価学会については、宗教団体が特定の政党を支援しているに過ぎないということで、問題ないということでしょうか。
Posted by ゲスト at 2006年07月06日 22:33
>仏像を国宝指定するのも問題
これは、単なる「文化財」という扱いでしょう。特定の教団に宗教的な権威を与える行為には当たらないと思います。
例えばの話ですが、日本の仏教諸宗が釈尊の教えに立ち返って偶像崇拝を否定したとしても、国宝は国宝じゃないでしょうか。

>創価学会については
特定の政党を支援しているどころか、限りなく一体だと思います。が、今のところ彼らの振る舞いは、「個人的な信仰」の範囲を超えていないでしょう。
もっとも、過去には他宗派をさんざん誹謗中傷して来た団体ですから、安心して見ていられるわけでもありませんが。

>伊勢神宮参拝
これは、前にも書いた通りです。同じ行為が、参拝する相手によって違憲だったり合憲だったりする訳はありません。
Posted by 非国民 at 2006年07月07日 01:41
 要は、首相や大臣が参拝する事によって、その宗教の好ましい社会的認知が広がり、布教に有利になっているということですよね。
 そこまで厳格に政教分離を適用して、もはや習俗的行為である参拝そのものを禁ずるなら、仏像の国宝指定や創価学会も当然違憲としなければならないと思いますが。
 また、政治の中から一切の宗教色を排除するというのは、不可能でしょう。
Posted by ゲスト at 2006年07月07日 14:01
えーと、いろいろ違います。
特定の宗教施設に参拝することは習俗的行為ではありません。
>もはや習俗的行為である参拝
という言い方をされていますから、昔はそうではなかったものが現在では習俗的行為になった、と考えておられるようですが、一体いつからそうなったのでしょうか。
神道の信者ではない私からすれば、とんでもない暴論です。

仏像の国宝指定については、私の考えを上のコメントで書きましたが、読んでませんか?
創価学会のことは、正直にいえば、ほどんど興味が無いので、あまり詳しくありません。創価学会のこういう行為が違憲だ、という具体例があれば教えて下さい。私の見解も変わるかも知れません。
Posted by 非国民 at 2006年07月08日 00:53
参拝は習俗的行為ではないですか?
神道の信者でない人でも、かなりの人数が慣わしとして参拝していて、社会全体からすれば生活様式の一部と言っていいと思いますが。もちろん個人が、「私にとっては違う」と主張する場合はあるでしょうが。

>「特定の宗教への助長、促進」と看做されるから

と言う理由で参拝が違憲だと「やっぱり小泉さんは分かっていない」というエントリーには書いてあります。これを以って「首相や大臣が参拝する事によって、その宗教の好ましい社会的認知が広がり、布教に有利になっているということ」というように受け取りました。これが認められるなら「仏像の国宝指定によってその宗教の好ましい社会的認知が広がり、布教に有利になっている」という主張も成り立ちませんか?

創価学会については、また後ほど。
Posted by ゲスト at 2006年07月08日 01:26
上のコメントに対して

単なる「文化財」という扱いであっても国宝指定によって特定の宗派が利を得ているという事実はあるでしょう。

という文を

>という主張も成り立ちませんか?

の後に付け足させてください。
Posted by ゲスト at 2006年07月08日 01:50
残念ですが、ぜんぜん違います。
国宝指定によって特定の宗派が利を得ているという事実は、ありません。
文化財や国宝は、あくまでも学術的価値や美術的価値に基づいて指定されるものです。興福寺の阿修羅像は、「興福寺の」阿修羅像だから国宝な訳じゃないでしょう。あの「修羅像」が貴重なのであって、たまたまそれを興福寺が所蔵しているだけです。国宝に指定されていることと、法相宗(興福寺)の宗教的価値とは、全く無関係です。
まあ、興福寺は檀家を持たない寺で葬式もやりませんから、観光収入でもってるようなところはあります。その点では国宝という「箔」はメリットかも知れませんが、それは法相宗の教義doctorineに正統性orthodoxyを与える「箔」ではないのです。
Posted by 非国民 at 2006年07月08日 23:53
神社への参拝が習俗的行為だと言うのは、たしかに一般論としてはそういう場合もあります。
しかし、この裁判で争点となったのは、私やトンチャモンさんが散歩しててたまたまそこにあった神社に参拝しました、みたいな話じゃないんです。
首相が首相の職務として、しかもわざわざ公約までして、特定の日に特定の神社を参拝するという行為は、明らかに特定の宗教の教義、その宗教的価値を国として特別扱いしていることになります。
強引に、そうではないのだと解釈すれば、小泉さんが靖国神社に参拝するのはただの慣習であって、彼はそこに祭られている神のことを全く何とも思っていない、ということになりますが、それはそれで、どうかと思いませんか。
Posted by 非国民 at 2006年07月09日 00:17
初めまして。
滅多に TB をいただかないので気がつくのが遅くなり失礼致しました。
靖国,特に今の靖国はどう考えても尋常なところではありません。
一昨日の「君が代・国旗の押しつけ」に対する東京地裁の判決,あのような正常な感覚をとりもどすことが今の日本の社会に求められていると思います。
P.S. 貴ブログをリンクさせていただきました。
Posted by silverfox at 2006年09月24日 10:52
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