2005年04月10日

5 sao fun talob【Vol.1】

5sao.jpg
讃岐うどん、あるいはタイ民謡におけるポストモダニズム。

仕事で何日間か高松に行って来た。三年ぶりだったが、相変わらず当地のうどんは旨く、この町にいる限り、米が無くとも生きていけると確信した。
行く度に高松の町並みは大きく変わっているのだが、うどんの旨さが不変であることは嬉しい限りである。

しかしながら、こうした期待ほど、旅行者の「勝手」を如実に物語るものはない。
うどんの味を守り切るには、本来ならば、讃岐の山も海も町並みまでも守らなければならない。にもかかわらず、町並みがどれほど変わろうとも、うどんの味が不変である限りにおいて、私の中で高松は「あの高松」であり続ける。うどんの味だけは、変わってもらっちゃ困るのである。
そこに立ち現れているのは、要するに「何処にいっても東京と一緒じゃつまんない」という都会人の誠に勝手な願望である。うどんを作るのも食べるのも「人」である以上、そのような言説は高松の人に対して「差異」を強要しているからである。

料理は天然資源ではない。それは音楽と同じく文化の所産であるから、常に外部との交流によって影響を受け、変容し続けるものなのだ。
私が堪能した今日の讃岐うどんだって、当地の古老たちは「なんだね最近のアレは。あんなもの、うどんじゃない!」と涙を流して憤慨しているやも知れぬのである。

かつての瀬戸内海は、異文化交流の大動脈であった。
桃太郎伝説の舞台である鬼ガ島は、高松港の目と鼻の先にある。ネタ明かしをすれば、伝説上の「鬼」とは、海賊のことに他ならない。
だから、讃岐うどんそのものが、色んな文化の交雑によって生じたことは想像に難くない。

料理において、「伝統」とは、今や表層的な記号としての意味しか有しない、とも言える。
だいたい、どこまでが「伝統」かなど、少なくとも異郷の者が語る資格は無いのだし、地元の人にとっては「どうでもいいこと」なのかも知れない。
浪曲〜演歌〜ニューミュージック〜J-Popsと繋がる日本のポピュラーミュージック史において、一体どこからどこまでが日本固有の伝統に立脚したものであるかなど、誰も明確には語り得ない。日本の「伝統」のほとんどが、実は明治以降の所産であることを思い起こせば、語ること自体が不毛であるとも言える。


ということで、前置きがやたら長くなったが、今回紹介するのはルークトゥン(Loogthung)というタイの民謡である。
ちなみに、タイの音楽シーンは、日本と同様かなりドメスティックに完結していて、このアルバムのジャケットも、表裏すべてタイ語のみである。したがって、グループ名である「5 sao fun talob」についても、実は自信が無い。「5 sao foon talob」や「5 sao fun tarob」と紹介している記事もある。どうなってるのか気になるところではあるが、タイ文字を読めない私には、どうにもならないのである。

タイポップにおけるヒットソングをルークトゥン風にアレンジした企画アルバムなのだが、これが実に面白い。タイでも、かなり話題になったようである。日本でいえば、浜崎あゆみをベタベタの民謡調でやってみました、みたいな感じだろうか。
とは言うものの、私はタイのヒットソングなどほとんど知らないので、要するに全部ルークトゥンに聴こえてしまうのである。そしてまた、底抜けに楽しいのである。

ルークトゥンの基本リズムは「カウベル4つ打ち」らしい。サンタナが「ブラック・マジック・ウーマン」でやったアレですね。あのリズムに乗って、極限まで脳天気な音楽が展開されているのだが、ざっとこんな感じである↓(この曲はVol.3所収)。
http://www26.tok2.com/home2/anarchy/5_chaiya.wma
こちらでも聴くことが出来る。
http://www.youtube.com/watch?v=HraO0S-357s
制作者が聞いたら卒倒するかも知れないが、ここでは、伝統も由緒所以も根底から無視した表層的な音楽の楽しみ方が、正しく許されているように思えてならないのである。

それにしても、この馬鹿馬鹿しさは、かなり本気でないと出せないと思うのだが、実際はどうなのだろう。
その本音を推し量る術など、むろん私には無いのである。


氷川きよしのパフォーマンスは演歌のパロディであるという説を聞いたことがある。本当だろうか?
posted by 非国民 at 00:15| Comment(4) | TrackBack(1) | 音楽;東南アジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
HMVにもアマゾンにも売っていませんでした(ほっ)。
あ、どこに売っているかなんて教えないで!(爆)

それは、さておき(笑)確かに聴いてみたいですよね。これ。異常なまでの躁状態にあるインド・ポップスを聴き、ぶっ飛んだことがありますが、そーゆー感じかなー?(那覇国際通りのエスニック屋でかかっていて、これを売ってくれと言ったら、売り物じゃないと言われた(笑)) もしかして、非国民さんは、そちら方面もご存じだったりします?
Posted by ゲスト at 2005年04月13日 15:26
インドはあまりにも広く深く、また、あまりに何もかもが超絶ですね。幸いにして私は今のところ無事に通り過ぎていますが、インド音楽の深みにはまって溺れる人も少なくないと聞いています。
Posted by 非国民 at 2005年04月15日 00:17
聴いてみました。
なかなかええですね。最近のわが国の能天気音楽と称するものは斜に構えてあざといものが多いですがこりゃ本物です。

私昔カラワンにハマッテました。抵抗歌にもかかわらずどことなく能天気な歌声だったりするところなぞに。
こないだケーブルでやってたタイ映画を見ましたが、悲恋ものなのにもかかわらずものすごい能天気さにあっけにとられました。タイ恐るべし。
Posted by SIVA at 2007年10月04日 02:17
Sivaさん
私も久しぶりに聴いてみました。やっぱり、ええですね。
タイのポップスは、グラミー系のアイドル路線からベタベタに濃厚なハード民謡ロックまで、なかなか奥深いものがあります。
けれども、ジャケットは基本的にタイ文字だけなので、探すのが大変です。
Posted by 非国民 at 2007年10月04日 23:37
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