先の世論調査では、死刑制度を容認する回答が81%に達したそうである。調査方法が恣意的に過ぎるという批判は闘うリベラルさんをはじめ、多くの方がなされているので、そちらにゆずる。
私が驚いたのは、容認する回答の半数以上(複数回答)が「被害者や家族の気持ち」をその理由に挙げていることだ。
これもまた、自分の常識でしかモノを考えようとしないケシカラン主義者の典型的な思考回路だ。
他人に成り代わって、本人がどう思っているか分からないことまで怒っている。本人が怒っていなければ、そのことがケシカランと言い出しそうな勢いである。
マスメディアの播き散らすケシカラン主義に、安易に巻き込まれているのではなかろうか。現状でも殺人事件のほとんどは死刑になっていないのだから、ちょっと考えれば理由になっていないのは明らかなのだ。
ケシカラン主義は、往々にして、その時代の「常識」に依拠する。
それは決して「現在この国に死刑制度が存在している」という「常識」を超えないのだ。
【参照】
ケシカランと言う人たち
2005年02月22日
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http://blogtopics.jp/topic/shikei
「ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/harada.htm
原田正治さん『弟を殺した彼と、僕』
2005年6月25日」
を読めばわかるが、彼は「悪い被害者」呼ばわりすらされている。
実際僕が藤井誠二という「犯罪被害者の視点で刑法を考える」連中の代表例のライターのブログ
「http://ameblo.jp/fujii-seiji」
に
「藤井さんの本で原田正治さんのお名前を見たことがありません。何故ですか?」
と書き込んだら、なんと「コメント欄」ごとキレイさっぱり消されるという仕打ちを受けました。