つい先日まで、死刑に替えて終身刑(仮釈放無し)の導入を、と思っていましたが、最近になって考えが変わりました。
現在は、終身刑について条件付き賛成(本音は反対)です。監獄人権センターのページでこの文章を読んで、8割がた説得された感じです。
1949年とかなり早い段階で死刑を廃止したドイツ(憲法に死刑廃止が明記されています)ですが、実は終身刑もそれに劣らず残虐な刑ではないかとの議論(生きながらの埋葬であるとの批判)の末、1981年には終身刑も廃止されました。
ドイツ以外にも、ヨーロッパでは長期刑の最高を20年程度に限定し、無期懲役についても必要な仮釈放制度を持つ国が増えてきています。
その結果、何が変わるか。
このような国では「どんな凶悪な犯罪を犯した者も、いずれ必ず社会に戻って来る」ことを前提にして、すべての司法制度が構想されているのです。言い換えれば、国家は全ての受刑者を社会に復帰させる(再社会化する)責務を負っているのです。
何とも驚くほどの理想論ですが、これは市民社会の側もそのリスクを覚悟した上での決断であって、ドイツなどの例では良い方向に機能しているように見えます。
また、この原則にたった時、刑務所の機能は“隔離施設”ではなく“矯正(再社会化)施設”として明確化されます。当然、受刑者の人権を無視した処遇など許されないわけです。
少なくともこの点は、日本でも議論されるべきだと思います。刑務所をたんなる隔離施設にしておくことが果たして問題解決になっているのかどうか。
今回も大塚公子さんの言葉を紹介しておきます。
『57人の死刑囚』(角川文庫)あとがきより。
[一割以上の人数が再犯を犯して、死刑になる事態をどう受けとめているのか。ただ出獄させればいいという考えではすまされないのではないか。
刑務所では、生命の大切さ、ということを判断させるような時間はないらしい。(中略)死刑の執行となった死刑囚も哀れであるが、その犠牲者には哀悼の言葉もないほどである。]
ところで冒頭に“8割がた説得された”と留保したのには理由があります。
応報刑の考え方を完全に排して、教育刑のみを目的とするならば、原理的に言って、全ての身体刑罰は不定期刑とされなければならない筈です。
実際には、そこまで徹底した国はまだないようですし、私自身も「それはどうかな?」みたいな引っかかりが残っています。
教育刑(犯罪者の矯正を目的とする)の考え方と、応報刑(端的に“仕返し”を目的とする)の考え方は、互いに矛盾するものでありながら、併存しつつ刑罰制度を形成してきました。
そのなかにあって、死刑と終身刑は『教育刑の意味が皆無である』点で、特異な刑罰だと言えます。
先日、宅間守さんに対して死刑が執行された際に、彼が最期まで贖罪の言葉を発しなかったことをもって「遺憾」だとする発言が各方面に見られましたが、そもそも死刑囚が贖罪の念を持つ必要は無い(少なくとも制度の目的から言って要請されていない)のではないでしょうか。
なんだかはっきりしない文章ですね。
まだちゃんと考えがまとまっていないのですが、とりあえず書いてみました。
みなさんは、どうお考えでしょうか?
http://www.jca.apc.org/cpr/2002/kaido-muki.html
2004年10月20日
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刑法についてほとんど何も知らない私がコメントするのもおこがましい話なのですが(汗)。
教育刑(目的刑)か応報刑か、というのは近代刑法理念の根幹に関わる問題だと思います。究極のところでは「結局のところ、刑罰とは何か?」というえらく哲学的な(悪く言えば支弁的な)問いが発生するのだと思います。
私自身は社会復帰のためのプログラムをもっと充実させては、などと思うのですが、非国民さんのご指摘通り、「原理的に言って、全ての身体刑罰は不定期刑とされなければならない」ということになりかねません。罪刑法定主義が骨抜きにされ、服役囚を国家の恣意的な権力のもとに晒す危険性があります。
しかし応報刑は基準が明確な分、再犯防止については?という気がします(←ホントのところは分かりません)。
考えがまとまらなくて申し訳ありません。間違いなどありましたら、ビシビシ指摘していただけるとありがたいです。
何か良いアイディアがありましたら、またお寄せ下さい。
俺にしたら、神にも劣る人間の業を裁く権利があるほど、あんたは素晴しいのか?という命題にまでなってしまいそうです。
すくなくとも、タクマは殺されたのだから、「謝る」必要なしと言いたい。自分が殺されることにより、罪を全うしたのだから。逆に被害者の家族はそれで良かったのか?と問いたい。
違うでしょう?俺が被害者の家族であれば、「謝って」ほしかったと思うけどな。
少なくとも倫理的な「罪」について言えば、殺人行為を断罪出来るのは、殺された相手である死者だけです。それが不可能である以上、その行為が赦されることは永久にありません。人を殺すとはそういうことではないでしょうか。
誰も(家族でさえ)死者に成り代わって断罪することなど、本来的には不可能なのです。一様な答えなど絶対に出ないし、生き残った者がどのような答えを出したところで、それで赦されるわけではないと考えます。
だから、死刑にも反対します。
その論理でいけば、死刑廃止の方向は納得できますね。
人権感覚がない人ほど、被害者の人権を訴えているように思えます。
私が正当な理由なく殺されるとしたら、その時に犯人を赦せるか?
多分無理です。私は赦さないでしょう。
しかしですね、その時に「心配するな。ちゃんと仇は討ってやるから安心して死ね」とか言う奴がいたら、もっと腹が立つと思うんですよ。
こちらのブログを拝見して、自分の浅知恵を呪いました。あんまり恥ずかしいので、コメントできずに戻ってしまいそうでした(><)
私は、終身刑というのは生きて罪を贖うということを求められると思っていました。なので、応報刑ではないのだと。。。でも今、かなりぐらついています。死刑制度については私も反対の意見がほぼ固まっております。が、終身刑制度については、その制度のある国、それを廃止した国と、色々知ることで、意見が流動的になってしまっています。そういうわけで、今はまだ安易に意見を述べることが出来ません。
こちらの記事は勉強になります。まだ新しいのですね。開設おめでとうございます。また拝見させていただきますので、よろしくお願いします。
自分の浅知恵を呪っているのは、私も同様です。
近々まで、終身刑積極導入派だったのですから。
本文で白状した通り、考えの纏まらぬまま慌てて書き留めた次第です。
これからも智恵を貸して下さい。
そして、秩序の安定を回復する(共同体の成員が安心して事態を受け入れる)ための手段として、「報復」だの「隔離」だの「贖罪の言葉」だの「心理学者による解説」だのが求められているのだと思います。
今回、宅間さんのケースによって「報復」だけでは目的を達成しないことが露呈したわけです。これに動揺した人たちが「脳機能障害説」とかで納得しようとするわけです。
しかしまた、犯罪者の再社会化と社会復帰もまた、<共同体の安定を回復する>のです。
今さら当たり前の事なのですが、私は思いきって主張してみたいのです。
結局のところ、それ以外の選択肢は無いのだ、と。
>人権感覚がない人ほど、被害者の人権を訴えているように思えます。
そうでしょうか。我が国の現状において犯罪被害者が正当に扱われていないのは事実でしょう(死刑事件だけを言っているのではない)。
>犯罪者の再社会化と社会復帰もまた、<共同体の安定を回復する>のです。
「再社会化」は被害者側にも必要でしょう。
最高刑が無期懲役ということになると、仮出獄者による再犯(殺人等)のリスクを覚悟しなければならないでしょう。
被害者側にも何らかのケアが必要であると考えますが、それを「再社会化」と呼ぶのは、若干ニュアンスが違うように思われます。
彼らは「社会化」の失敗によって被害者になったわけでは無いからです。
何か適切な用語があると良いのですが‥‥。
>仮出獄者による再犯のリスクを覚悟しなければならない。
そりゃそうでしょう。ですから問題はどのようにして、そのリスクを低減させるかです。
(殺してしまうことも含めて)犯罪者を永久に社会から隔離しておくことも、確かにリスクを低減させます。
しかし、本当にそれ以外の方法は検討に値しないのか、ということを、本エントリーでは提起しています。
独り言にコメントするのは不適切かも知れませんが・・・
確かに被害者の「再社会化」というのは的確な表現とは言えないでしょうが、「何らかのケア」とは具体的にはどのようなことでしょうか。
小生が考えているのは例えば先般死刑が確定した逆恨み殺人事件(持田孝死刑囚)のような悲惨な事件を防ぐために、被害者側に受刑者(加害者)の出所日時・居所情報等を通知する、というようなことです。
或いは、訴追の権限を検察官に独占させるのではなく、一定の範囲内で被害者側にも認める、といったことです。
ここ10年余りに執行された死刑囚の中に仮出獄中に再び殺人を犯して死刑に処せられた例が7件ほどあったと思いますが、貴殿の言う「それ以外の方法」とは如何なるものですか
死刑でも終身刑でもないやり方で上記の如き殺人事件を確実に防げる方法とは?
どうか、お引き取り下さい。
難しい話になるとわからないのですが、いつも、「遺族が、遺族が」と(世間が)言っているのに違和感を感じています。
あれ? 確かに死んでしまったけれど、被害者本人のことはどこにいっちゃったの? って。
被害者と遺族は別、と言い切っている非国民さんのコメントを見て、
そうだよね、そうだよね、って思いました。
闘うリベラルさんも、TB有難うございます。
ことほどさように、被害者(や遺族)の気持ちは、決して一様なものでは有りません。犯人の死刑を求める人もいれば、そうでない人もいます。どちらの反応が普通であるとか、正常であるとか、本能的であるとか、言うことは出来ないでしょう。
被害者や遺族に対して非当事者が勝手に押し付ける役割期待が、彼らの苦痛を増している、という側面はありますね。
被害者や遺族の苦しみは、実は本エントリーの主旨とは関係ないのです。
現行の司法制度において被害者(や遺族)の権利が軽視されているとすれば、それはそのこと自体が問題なのであって、「だから犯罪者の権利はどうでもいい」ことにはならないのです。 「犯罪者の権利を擁護しつつ、同じように(時にはそれ以上に)被害者(や遺族)の権利も擁護されなければならない」と考えるのが“人権感覚”というものでしょう。
(以前より、お名前は拝見しておりましたが、直接コメントするのははじめてですね!)
で。すべては、おっしゃる通りなのだと思います。「被害者感情のケア」と「犯罪者の社会的な扱い」というものは、ほんの一部がリンクするだけで、じつは別の問題です・・・ということを何度言っても理解しない人って、結局、人が死ぬのが楽しいだけなんじゃないかと、思ってみたり。おっといけない。自分のところでは言えない過激な言葉を吐いてしまいました(笑)
これからもよろしくお願いいたします。
少し古い記事ですが、基本的な考えは変わっていません。少しでも参考になればいいのですが。
命は尊いですよ、しかしながら流行病などで無条件に殺戮される家畜はどうでしょうね?種族の抗争において劣った種族は支配された種族のルールによって存在価値など無視して場合によっては殺戮されます。人間だからなどとエゴを露呈しているから法は抜け道が出来ます。家畜たちは運命を呪うしかありませんよ?死刑に及ぶまでの経緯等考えれば刑法なんてまだまだゆるい規制だとおもいます。
わたしは、「法治主義は人間の群れのルール」といった壮大な議論はできないんですが、イスラムの法律なんかで、王女様と恋愛した男が公開で首を落とされるなんて、かつてあったケースを、「野蛮だなあ」と考えがちになる自分をちょっと反省。
かつての日本でも、姦夫・姦婦は重ねもちでばっさり切り捨ててもお咎めなしだったのも、遅れた時代だと思う必要はないのかもしれないなあ。
江戸時代の過酷な刑罰が明治になって近代化した刑法になったけど、それは進化でもなんでもなくて、ゆるくなっただけなのかー。うーむ。
こういう形での明治維新否定論にころがる言説というのも珍しいなあ。
なんだか、そちらは大変そうですね。こんな辺境ブログで息抜きになるのなら、いつでもどうぞ。
さて、珍しいというか何というか、かなり支離が滅裂してますね。責任という言葉の使い方もおかしいし。言ってることが良く分かりませんでした。要するに、警察に捕まる様なドジな奴は淘汰されるべきだと言いたいのでしょうかね。
民主党は、被害者の遺族らも納めている税金で、殺人者に対して終生、食事と医療と介護を保証したいのだろう。
死刑の持つ殺人抑止効果は無くならないのだろうか。
被害者の遺族への配慮より、犯罪者への配慮を優先するのだろうか。