あちらこちらの他人様のブログで、断片的に書いてきたことですが、この際なのではっきりさせておきましょう。死刑に犯罪抑止効果があるかどうか。そんなことは、いくら統計をとったところで、原理的に否定も肯定も出来ません。
人が殺人を犯す理由は何でしょう。まさに人それぞれで、10や20はすぐに挙げられます。人が殺人を思いとどまる理由も また同様です。つまり、要因として考えられる変数が、あまりに多過ぎるのです。
死刑制度の有無以外のファクターを全て同一に保っての対照実験が出来ない以上、何を言っても仮説の域を出ないのです(ただし、相関関係をはっきり示す数字がどこにも見られない以上、常識的には因果関係も無いと考えるべきでしょうが)。
まあミもフタも無いことを言ってしまえば、社会学が提示するのはその意味では常に仮説だ、とも言えます。
実際に犯罪発生率の統計を見てみましょう。同じ国で死刑を廃止する前と後を比較した場合、有意の差は見られません。一国内に両方の制度が併存するアメリカ(38の州と連邦法、軍法が死刑制度を持ち、12州とワシントンD.C.が廃止しています)でも、有意の差はありません。
また、日本の犯罪発生率が、死刑を廃止したヨーロッパ諸国に比べて際立って低いということもありません。それでも例えば『日本人は本来ものすごく凶暴なのだ。死刑制度の持つ抑止効果のおかげで、どうにか諸外国と同程度の犯罪発生率ですんでいるのだ』とも考えられます(実際にはそのような学説はありませんが、理論的には、そう主張することも可能です)。
ファクターが多すぎて否定も肯定も出来ないというのは、つまりそういうことなのです。
上記のような議論は、そもそも「あらゆる人間は、同じ環境に同じ状態で置かれたら、同じ割合で犯罪を犯す」ことを前提にしています。殺人のような、ある種極限的な現象に対して、そのような一般論がどこまで有効なのかも、私は疑問です。やる側もやられる側も命がけである個々の事件を考えれば、“一般予防”なる概念が空疎に思えます。
余談ながら、実際の効果の有無にかかわらず、予防効果を主張する人は必然的に死刑の公開を主張すべきですね。
2004年10月18日
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闘うリベラルのチャンネル
Excerpt: 人間社会で、許された「人殺し」が存在する。戦争と死刑だ。
Weblog: 闘うリベラルのチャンネル
Tracked: 2004-10-19 23:04
闘うリベラルのチャンネル
Excerpt: http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050219-00000012-yom-pol 内閣府調査による死刑に関する意識調査の結果が発表された。上記記事によると 死刑..
Weblog: 闘うリベラルのチャンネル
Tracked: 2005-02-20 04:38
謙遜と謙譲の音楽
Excerpt: あーうるさい。死刑にはとにかく反対だ。 などと感情的になってもラチがあかないので、 [死刑廃止と死刑存置の考察]:http://www.geocities.jp/aphros67/indexs.htm..
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Tracked: 2006-05-03 17:57
昔、「人を殺したヤツが国民の税金で刑務所でのうのうと生きるなんてダメじゃあ〜!」という非常にアホな考えの持ち主だった俺も皆さんに啓蒙されてだいぶ変わってきました。
これからももっといろいろ書いて
教えてくださいネ(@v<☆
いつも拝見しています。貴兄が一番乗りとは、望外の歓びです。
ひとさまのブログで延々と自説を展開するのは、どうやらマナーに反するらしいと感じてきたので、このたび、かような次第となりました。
今後とも、宜しくお願い致します。
カイザーのものはカイザーに返し、
クンタキンテのものは
クンタキンテに返しましょう。
人間というものは(自分も含めて)常識とか偏見に深く捕らわれているもので、けっして客観的なデータに基づいた見解でなくても自明のものと見なしてしまいます。死刑必要論についても然りなのでしょうね。
これからもいろんなことについて勉強させていただきたいと思います。
恥ずかしながら、賛成でも反対でもなく「そんなこと考えたことも無い」最低の輩でした。
何ごとにつけ、自分がモノゴコロついた時に既にあった制度についてその合理的な根拠を疑うというのは、なかなか難しいですよね。
あるいはまた『人命を軽視する文化がまずあって、死刑制度と凶悪犯罪は共にその結果である』とも考えられますね。
死刑が恐いなら、「殺人」なんか起きませんって気がしますが。
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【韓国】殺人罪が11年で3割増、背景に死刑未執行か [2008/10/24]
死刑を執行している時期に比べ、死刑を執行していない時期の殺人犯罪が32%増加していることが分かった。
韓国は1997年12月に死刑囚23人に対して死刑を執行した後、11年間死刑を執行していない。
法務部がハンナラ党の朱光徳(チュ・グァンドク)議員に提出した資料によると、
死刑執行が行われていた1994年から97年まで、年平均で607人が殺人罪で起訴された。
しかし死刑を執行していない98年から07年までの10年間には、年平均800人が起訴された。
97年までは殺人犯で起訴された被告人が年間700人を超えることはなかったが、98年以降は700人を下回ったことが一度もない。
朱議員は「死刑が執行されなくなってから殺人犯が大幅に増えたということは、法と原則が軽視された結果とみることができる」と指摘した。
98年以降、死刑が確定したのは58人だ。
ソース:朝鮮日報
http://www.chosunonline.com/article/20081024000067
一年じゅう曇天のうらぶれた都市である。住民の心は荒み、争いも絶えない。
無機質でさびれた灰色のコンクリートの建築物が林立しているが、中身はからっぽ。誰も見ない広告がいつまでもそこにある。いたるところに落書き。ゴミは捨て放題。昼間から管を巻いている人がいるし、もっと怪しげな人もいる。街路灯は切れるにまかせ、ところどころ仄暗い。通るのがちょっとためらわれる。
考え方が違う人間に対する排除も、独特の文化圏が形成されることも、管理が行き届かない状態が続くことも、すべて村と言うよりはスラムの様相。
家族・友人・恋人・その他大事と思える人を残虐な手口で殺されたら
犯人を殺したいと思うのは100%とは言わないけど、大半の人は思うだろうな
それが死刑制度の存続の源
どのコメントを見ても、死刑を執行される側の理論
殺された人はもうこの世に居ないから、人権なんて無いと思ってるんだろうなぁ
殺された側からの意見も聞きたいもんだ
もうこうなったら倫理とか人権とかどこかに置いておくしかないだろうね
特に犯人の人権はね
人権をどこかに置いて来て犯罪が減る訳でもありません。
どのマスコミを見ても、死刑にしてしまえ!っていう側の論理
我が愛する日本国は"いまのところ"ギリギリ法治国家なんだよなぁ
現行の法律でメカニカルに裁くべき
もうこうなったら所詮感情を優先して、江戸時代に戻るしかないだろうね
人権をどこかに置いとこうなんて人は、いったい何のために裁判所があるのか、奉行所の御白洲に正座したつもりでじっくりと考えて頂きたい。
ちなみに、元禄の世でも仇討ちは御法度でした。赤穂の浪士は自らの死を覚悟でそれをやっちまったところがまあ美談な訳で。仇討ち合法お咎め無しの世の中だったら、誰が300年も語り継ぐもんですか。
これは鉄道脇の松の木事件で有名な権利濫用法理というものですが、犯罪行為はつまりこれに触れるわけですな。
だから禁止されているわけです。
復讐という行為を取り出してみたとしても、その様態はまさに犯罪行為と同一なわけですから、当然禁止されます。
権利濫用法理を簡単に言うと、『玩具で遊びたいからといって他人の玩具を持って行ってはいけない。』ということ。
人権をどっかにおいておけばいいと言い出すと、すべての人権がどっかへ放り出されてしまいます。それはつまり、世の中が無秩序の極みに陥るということでもあります。
人権は一般的・抽象的概念であって、一部の人の特権などではないのです。
犯人の人権が侵害されるなら、犯人でない誰かの人権もまた、侵害されるのですよ。
(メ・ん・) さん。
あなたは、そしてあなた方は、そのあたりのことを理解していない。
人権という抽象的な概念を理解出来ていない。