「中欧」という括りがあることを知ったのは、もう3年も前のことだが、いまだにこの枠が分からない。正確に言うと、分からない訳じゃないんだけど、今ひとつしっくり来ないというか、腑に落ちないというか、納得し切れてないというか。
やはり80年代に基礎教養を身に着けた者としては、「東側=旧ワルシャワ条約機構」という括りが頭から離れないのだろうか。
当節では、大枠でローマカトリック圏が中欧、正教会圏が東欧ということになっているんだけど、どうしてもその線引きに違和感が残る。ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーあたりが中欧だというのは理解出来るが、バルカンに至って私の思考は止まってしまう。スロヴェニアが中欧でセルビアが東欧という事態を納得しかねるのだ。それを基準にしてしまったら、あまりにも話がややこしくなり過ぎないか。ボスニア・ヘルツェゴビナはどうなるのか。ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦は中欧でセルビア人共和国は東欧なのか。コソボやアルバニアをどう捉えるのか。あるいはヴォイヴォディナ自治州の帰趨やいかに。
今さらユーゴスラヴィアが一つの国としてまとまることは無いと私も思う。思うけれども、サイバー・ユーゴスラヴィアの理念に多少なりともシンパシーを持つ身としては、やはりここに大きな境界線を引くのが悲しいのだ。
どうしてもこの枠組みが落ち着かないので、当辺境ブログの音楽カテゴリーでは、ロシアからバルカンまでを「中東欧」として乱暴に括ってしまった。
ついでに言うと、南欧というのも実はよく分かっていない。スペイン、ポルトガル、イタリア、本当は南フランスも入るんだろうけど、その辺までは良いとして、何故ギリシャも一緒なのか。その文化史的な必然性については正直言って腑に落ちているとは言い難い。仕方がないので「頭足類(イカ、タコ)を食べる連中」という括りで強引に理解している。
ところでアドリア海東岸のクロアチア、モンテネグロ、マケドニア、アルバニアではイカやタコを食べるのだろうか。毎度のお願いで恥ずかしい限りだが、誰か知ってたら教えて欲しい。
追記(2014年)
スロベニア人と仕事をする機会があったので訊いてみた(旧ユーゴの人たちは概ね英語を解する)。
奴らはイカを食う。それも、かなり好物らしい。iphoneを取り出して多くの写真を見せてくれたが、どれも旨そうだった。
2010年01月29日
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それに、「東欧圏」に入るとしても、ウラル山脈以西の話であって、シベリアあたりは、なんて呼ぶんでしょうね・・・^^; タイガ圏とツンドラ圏・・・?。
プーシキンあたりを読むと、ロシア貴族達の憧れはパリだったことがよーくわかります。その頃は、自他共に認める、ヨーロッパの田舎もの(でも、俺らの外側にだって住んでる民族いるんだぜ)だったのではないかと。
地図を見ていただけでは実感がわかないけど、普通に考えれば、国というか各民族が住む範囲は、大きな川だの高い山だの容易には越えられない森林だの湖だので区切られていたんでしょうけどね。
ポーランド、チェコ、スロバキアあたりはスラブ語圏なので、意外と意思疎通も楽らしいんですが、ハンガリーは山を越えて攻めていったモンゴル系の遊牧民の末裔らしいです。(だから、ハンガリーは言語のくくりはウラルアルタイらしい。われらが膠着語仲間)とはいえ、何百年も経っているわけですから、ちょっと毛色の変わった東欧の一国、なんでしょう。
黒海に面している国も、黒海の東のブルガリアやルーマニアと西のグルジアとでは印象ががらりと変わるもんですねぇ。北のウクライナと南のトルコも大違いですが。
南欧は・・・知りません。地中海に面した、大航海時代に活躍した国、みたいな。大雑把過ぎですね。すみません。
そしてアルバニア、マケドニア、セルビア、モンテネグロは東欧ということになってしまいます。ルーマニアもトランシルバニア地方は中欧圏内になりますでしょうか。つまりハプスブルクの記憶の方がユーゴスラビアの記憶よりも、より強く中欧圏の人々の意識に残ったということになるのでしょうか。
ちなみに私は1994年にアルバニアを訪れたことがあります。労働党一党独裁崩壊後3年目、ネズミ講騒動が起こる2年前です。その時のイメージですが、アルバニア料理はまんまギリシャ料理でした。残念ながら食材に頭足類が含まれていたか記憶が定かでないのです。イカは食べたような気がします。
要するにロシアは広すぎるんですよね。たしかにモスクワは遠い。サンクトペテルブルグは港町なのでギリギリヨーロッパ文明の端っこかなあ。だからといってモスクワがいかなる意味でもアジアだとは思えないし、その境目は曖昧模糊。ウラル山脈が境だといっても、じゃあタタールスタン共和国はヨーロッパなのか。絶対違うと私は思う。
ロシア貴族の憧れがパリだというのは多分本当でしょうね。今でこそバレエはヨーロッパ人の伝統芸能ということになっていますが、少なくとも西欧においては産業革命以降その伝統が一度途絶えています。20世紀初頭、「白鳥」や「クルミ割り」といった大作の全幕上演が出来るバレエ団はロシアにしか存在しませんでした。前回の記事で書いたロシアのピコピコ民謡ハウスも、あの独特な甘酸っぱさはフレンチ・ポップスに通じるものがあると見ました。
ハンガリーは、ここでも書いたように↓
http://feiguomin.seesaa.net/article/129856846.html
そもそもハンガリーという地名が「フン族の地」を意味していますから、限りなく異質です。
ルーマニアという地名だって、もとは「ローマ人の地」という意味で、だからルーマニア人は基本的にラテン語系の人たちです。でもあそこは正教会圏だし、文化的にはイタリアよりもずっとスラブ圏に近い。
本当に知れば知るほど、あの辺はややこしく入り組んでるんだけど、そのややこし過ぎる「すっきりしなさ具合」こそが、中東欧の魅力なのだとは言っておきたい。
ああハプスブルク帝国、そう来ましたか。まあそれならスロベニアが中欧なのは何となく分かりますが。すっきりしたような、余計にややこしいような。
アルバニアではイカを食べますか。そうすると、やっぱり南欧なのかなあ。今度は南欧という括りにも自信が無くなって来たなあ。
南欧型資本主義の特徴は、社会保障は弱いが雇用保護は強いというのがあります。そのために人は一回就職すると定年までそこに留まろうとします。つまり非流動的な雇用市場ということですね。このような社会では教育は初等・中等教育が充実しており、産業はローテクやミディテクが中心となります。
金融関係者の間では、南欧諸国は、PIGSと言われているそうです。
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