2011年04月25日

駅の暗さについて

このところ節電ということで駅のホームやコンコースも暗くしているところが多いようだ。気持ちは分かるが、駅の照明に関しては省エネ以前にデザイン自体をどうにか出来ないのかと思う。

今までの明るい駅に慣れてしまっているので、ホームに立つと、その暗さをはっきりと感じる。もっとも、取り立てて不便というほどの暗さではない。気になるのは明るさではなく光の「質」である。青白い蛍光灯の光は、充分な照度が無いと、途端に薄暗く陰鬱な印象を与える。

もともと日本の駅の照明は酷く、商売柄このことは以前から気になっていた。要するにホスピタリティという意識が欠けているのだ。既にあちこちに書いてもいるのだが、自分のブログではまだだったので、この機会に改めて記しておこう。

大体この街では、何故かくも多くの人が駅のホームで自らの命を断つのか。駅という空間のデザイン、その貧しさがそこに関係していない筈はない。照明のあり方を考え直すだけで、いくらかでも状況を変えることは必ず可能だ。たとえそれが根本的な解決にはならないにしても、「ここで死ぬのはやめとこう」「今死ぬのはやめとこう」そう思わせる空間に駅がなれば、それは本当に素晴らしいことだと思うのだ。そのためには、光の「量」だけではなく「質」を考えなくてはならない。

かつて私がサラリーマンだった頃、毎日地下鉄に乗って通勤していた。私自身がサラリーマンに向いてなかったせいもあるだろうが、駅のホームに立つと、「俺は東京という巨大な工場の中をコンベアで運ばれていく部品みたいなものだな」と思ったものだ。当時も今も、駅のホームは水平面照度の確保ばかりを重視した機能一辺倒の味気ない照明だ。比喩ではなく、工場の照明と全く変わらない。

日本の駅のホームは、ほとんどが昼光色あるいは昼白色といった蛍光灯で照らされている。これは昼間の太陽光に近い色温度で、大脳皮質を覚醒、興奮させ、身体を活動的な状態に喚起する光だ。もちろん実際の太陽光とはスペクトルが全く違うので、皮膚に浴びて身体が覚醒する訳ではない(その作用は紫外線によるところが大きい)が、眼からの入力はこれに騙される。また、騙されるように蛍光灯メーカーは商品開発して来た。詳しい仕組みは専門的になり過ぎるので端折るが、要するに人の視覚はこの違いを見分けられない。

このような蛍光灯はオフィスや工場で多用され、まあそれは理にかなってもいる。しかしながら、駅のホームがオフィスや工場と同じ手法で照明されることが必ずしも合理的だとは思えない。そこには、もう少し違ったアプローチの照明デザイン求められているように思う。

そもそも駅のホームがオフィスや工場と同じ意味合いを持って都市の中に存在している筈は無いのだし、であれば、もっと落ち着いた、くつろげる雰囲気というものがそこにあっても良いのではなかろうか。例えば、色温度の低い温かみのある光源にするだけでも全然違う筈だ。同じ蛍光灯を使うにしても、電球色のタイプがあるし、最近のものは充分に綺麗な光が出る。もっと言うなら照明器具自体も剥き出しで天井に取り付けるのでなく、ちょっとは工夫すればいい。

なにも奇抜なデザインを考える必要は無い。デザインに求められるホスピタリティとは何かを意識し、ほんの少しの遊び心を持つことで、駅のホームは今よりずっと素敵な空間になり得る。もちろん今以上の電力を消費することなく。

安全と効率の追求だけがデザインの全てというのでは、あまりに寂しいではないか。
posted by 非国民 at 06:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 仕事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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