たまたま本屋で見かけた『コスプレする社会』(成実弘至[編],せりか書房2009)を読了。これが結構面白い。コスプレそのものにもコスプレという現象にも縁の薄かった私だが、ここ何年か東京ドームシティで仕事をする機会が多く、最近は結構な頻度でいわゆるコスプレを間近で見てきた。最初はただ驚くばかりだったが、見慣れてくるにつれ「一体アレは何なんだろうなあ」という漠然とした興味が湧いてきたところの一冊である。
副題に「サブカルチャーの身体文化」とあるが、こちらの方が本書の内容を的確に示しているように思う。実際、狭義の(いわゆる)コスプレに関する考察は少なめで、それ以外はイレズミの民俗学、ヤンキー文化論、制服文化研究、ドラァグクイーンへのインタビュー、女装コミュニティのエスノグラフィー、などなど、広義の「異装」をめぐるテーマが、やや雑多に扱われている。まあ、それぞれ面白いから良いんだけど。
なかでも惹かれたのがジェンダーとの絡み。コスプレという文化実践が「過剰さによる価値の無効化」を果たしているという指摘が、なかなか鋭く面白いと思えた。コスプレが、伝統的に女性的なものとされてきたメイクや裁縫といった技術に支えられているにもかかわらず、その「やり過ぎ」が、結果として「女性らしさ」を超越させるという逆説。
性別を越境する「自己表現」としての女装、というもの実に興味深かった。こちらも、私には殆ど知識のない領域だが、奥は深そうだ。もう少し掘り下げて勉強してみようかなと思う。
面白いとか興味深いとか書くと不謹慎なようだが、こういった研究は、面白ければそれだけで充分に存在価値があるということで、ひとまず。
【追記】
これを書いた翌日、さっそく世界が変容した。
昨日までとは違う世界
2011年10月16日
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なるほどねえ。ちょっと意外。
紹介して貰った写真への違和感、見事ではあるんだけど、何かこう、過剰さに起因する「淫ら」な雰囲気に欠ける気がするのは、案外その辺に理由があるのかも。