2012年06月23日

吉野麻衣【るり】

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変なヒト
 
 話せば長くなる妙な縁が絡まって入手した、吉野麻衣2011年のアルバム『るり』

このヒトは変だ。つくづくそう思う。もちろん、ヒトという存在は大概がどこかしら変で、全く変じゃないヒトを探す方が難しかったりする。とはいえ、ものごとには程度があって、ものすごく変なヒトと、そこまでは変じゃないヒトが、世の中にはいる。このヒトは、ものすごく変だ。私が言うのだから間違いない。

変な歌を歌うヒトは結構いる。変な声で歌うヒトも、まあ時々いる。しかし歌を通して「ヒトとして変だ」というリアリティが緻密に具現するというのは唯事ではない。さればこそ希有なるべし。むろん歌も声も変なのであるが。

そして、ここが重要なのだが、「ヒトとして駄目」というわけでは全くない。本当は駄目なのかも知れないが、それは歌からは感じ取れない。只ひたすらに変なのだ。隠に篭った「病」の気配もない。健康というのともちょっと違う、どこか過剰に明るく突き抜け感じだ。

曲は全てオリジナル。吉野麻衣による歌とギターのみでほぼ構成されているが、どちらも奇怪なオーバーダブが施されていて、空間に見通しの利かない奥行きを醸している。コーラスの重ね方は特筆して変で、「ちょいと高めの4度」とかいった訳の解らないハーモニーが頻出する。これがまた決して不愉快ではなく、驚異的に危ういバランスの上で成立している。

一方のギターは、タッチもコード進行も繊細かつ常識的な範囲で落ち着いていて、どう聴いても同一人物の仕業とは思えない。その凄まじい乖離には、ひたすら圧倒されるばかり。やっぱりこのヒトは変だ。

吉野麻衣氏は私と同年代である。長生きするのも悪いことばかりじゃない。そんなことを漠然と感じた一枚であった。

こちらでサワリだけ試聴できます。
http://tokyo-suburb.sakura.ne.jp/
posted by 非国民 at 02:05| Comment(8) | TrackBack(0) | 音楽;東アジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ギター、フツーにうまいですね。バンジョーみたいに聴こえるのは狙ってるのでしょうか。歌の方はよく分りませんが、「たま」を思い出しました。見当違いかしら? で、リンク先にある「Materia-Rhythm」なるユニットも気になります。いさぎよいまでの純・アンビエント。むかしメロディもリズムも鬱陶しくなって、純アンビエントやノイズばかり聴いていた時期がありましたが、久々にイーノやら吉村弘やらを引っ張り出して聴いてます。あれ? 関係ない話になっちゃた。
Posted by やきとり at 2012年06月23日 08:23
そこまでは変じゃないヒトである私から見て、ものすごく変なヒトだと思う非国民さんがここまでお誉めになるのであれば、やはりものすごく変なヒトなのでしょうね。
Posted by 黒木 at 2012年06月23日 17:14
ギターはうまいです。歌は音程ずれてますね、普通に。
Posted by 黒木 at 2012年06月23日 17:17
同志Y
そう、ギターはフツーに上手いんです。そのこと自体を驚くいわれはないんだけど、歌があまりにもフツーじゃなくて、もはや上手いとか下手とかいう基軸を止揚した領域なのか。

黒木さん
音程の外し方さえも変、というか、外し方に頑な意志を感じるんですよね。
Posted by 非国民 at 2012年06月23日 19:08
おもしれー。

……やっぱり意図的に外してんだろか?
外し幅の微妙な振幅が面白い。
Posted by もぐら似のY at 2012年06月27日 12:13
外れているのでも外しているのでもなく、最初から「そういう曲」として作曲されている可能性も高いのですが、私としては「要するのこのヒトは変なのだ」と考えた方がしっくりきます。
いずれにしても面白いですね。
Posted by 非国民 at 2012年06月28日 01:31
徹底的に わざと 歌の練習をしていない ように 聴こえます。
Posted by 黒木 at 2012年06月29日 14:09
さすがは黒木さん。凡人の及ばぬ新鮮な発想です。でも、そんなことって本当にあるのだろうか。変なヒトの考えることは簡単には解らない。
Posted by 非国民 at 2012年06月29日 23:24
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