先週は朝霞でよさこい祭りの仕事。埼玉は暑い。
よさこい、という文化が、どうしても馴染めない。いかにもなヤンキー趣味が私の肌には合わないらしい。アレはやっぱり「族」の系譜なんだろうな。カミナリ族、みゆき族、竹の子族と続く日本文化の隠れた水脈だ。私は密かに「よさこい族」と呼んでいる。何故彼らは群れるのか。
熱中症一歩手前の茹だった頭で朦朧としつつ、踊り狂う老若男女を眺める。何を喰ってればあんなに元気なんだろうかと、たわいもない事を思いながらも見続けるうちに、やっぱりこれも盆踊りなのかという気がして来た。何もわざわざこの暑い時に踊らなくても、と思うのだが、この時期、というのに何かしら意味があるとすれば、それは盆踊りだからではないか。
そう思ってよさこい族を見ていると、気のせいかもしれないが、何となく諸行無常の響きを感じる。この世の栄華もうつろいも全てを儚き夢と観ればこそ、あの常軌を逸したエネルギーも納得出来なくはない。まあ、あのセンスは理解出来ないけど。それに、喧噪に満ちた現代では、あのくらいの大音量でないと先祖にも聞こえないだろうしなあ、とも思った。
祭文や踊り念仏から派生した盆踊りがよさこい族に繋がっているとすれば、これもまた21世紀における仏教史の一頁であろうが、全くの気のせいである可能性も否定出来ない。何しろ本当に暑かったのだ。
2014年08月05日
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>よさこい族
統制された「ええじゃないか」なんですかね。(形容矛盾じゃ)
街に出た甲子園の応援とか。(みんなで鳴り物を鳴らすとこなんか)
ともあれ、よさこいソーランがよさこい騒乱に転化することはないと思われます。
熱力学の第二法則はどこへ行ったのか。