ハードカバーで小説を読むようになったのは、いつ頃からだったか。若いうちは片っ端から文庫本だったように思う。少なくとも日本人作家の小説は必ずと言っていいほど文庫本で読んだ。
ハードカバーを買う意味が分からなかったのだ。何年か待てば文庫で手に入るのだから、そう思っていた。
ところがどっこい、齢を重ねると、その「何年か」が待てなくなって来る。この心境の変化を当時は予想もしなかったが、なるほど、生きている時間が残り少ないというのは、そういうことなのかとしみじみ察する。
というわけで今日のお題は松浦理英子の最新刊『最愛の子ども』。そりゃあもう待てないでしょ。いや、若い頃なら待ったのかな。とにかく、待てない私は4月末の発売とほぼ同時に買い込み、でも5月はなんだかんだで忙しくてやっと読了。
いやあ良いものを読んだ。素直にそう感謝する。「わたしたち」という曖昧な主語(なんとなく想像はつくものの「わたしたち」が誰なのかについて作品中では明らかにされない)が、「最愛の子ども」を見守るその視線の優しさに稀有な情感を加味していて、しっとりした読後感は格別。
松浦理英子は寡作な作家で、デビュー以来40年を経て発表された作品は2桁に達していない。しかしそのどれもが濃密な傑作で、全くハズレがない。その中でも今作は驚嘆すべき傑作だと思う。常に何らかの意味でセクシュアリティの様相をテーマにしてきた彼女の探求が、ついに途方もない境地にまで達した瞬間を、ここに見る。
繰り返すが本当に良いものを読んだ。全力でお薦めする。まあ若い人は文庫本になるまで待ってもいいけどね。
2017年06月03日
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