私は校則が嫌いだ。もう何度も書いたはずだと思って当ブログを検索したら一度も書いてなかった。なので35年前から思っていることを書く。未だに残る理不尽な校則は、日本社会が脱却できない、あるいはしたくない戦前レジームの体現だ。
つい先日も、こんなことが報道されている。
高1女子の髪は「色が目立つ」、教員4人がスプレーで黒染め(読売新聞)
この事例など、もはや普通に刑法犯罪の域だと思うが、校則の内容がバカらしいという話はひとまず置く。内容以前に校則というものは形式としてどうなのか。ルールは守らなきゃダメという人は多いが、そもそもルールと呼べる代物なのか。
ルールなんだから守らなきゃ、と言うのなら、それなりの要件が先に求められるはずだ。少なくとも「誰が、どのような権限に基づいて決めたのか」と「改正の手続き」、この二点が当該校則内に明記される必要がある。そうでなければ、それはルールの名に価せず、勅語と変わらない。
さらに言うなら、「制定の目的」も明確にされる必要がある。校則の二大コンテンツは道徳訓示と私権の制限だ。目的と手段は整合しているのか、目的のためにどこまで私権は制限されうるのか、という話をしなければならない時に、目的それ自体が正当でなければ話にもならない。以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ、では困るのだ。
件の報道に対して、ネット上では「嫌なら入学しなければいい」という意見も多く見られた。しかしこれは県立高校の事例だ。そもそも何のために県立高校があるのかという目的を考えれば、「黒髪が嫌なら入学するな」という考え方は、その目的を見失っていると言わざるを得ない。
>この事例など、もはや普通に刑法犯罪の域だと思う
たしかに。
これ、丸刈りにしちゃったら、擁護する人はもっと少ないんじゃないですかね。
で、男子の場合だったら肯定意見はずっと多い。想像すると。
校則の条文をどう知らしめているのかも考えるべきでしょう。
中学校の頃、生徒手帳に校則が載っていました。ある時、何かは忘れたけど数人で教師に注意されたことがあって、その時、わたしは生徒手帳を見て、根拠となる校則を捜したのですが、なかったような気がします。
教師の言い分が理不尽だったという記憶はないので、それなりにしてはいけないことを注意されたんだろうとは思いますが。
ところで、校則って校長権限で変えられるのかな。
そこが分からないんです35年前から。権限の所在が不明だから、必然的に責任の所在も不明になる。だから御神勅と一緒なんです。あるいは村の掟。
例えば裁判沙汰にでもなった時、校長個人が責任者として表に立つ覚悟を持っているのかというと、そうとも思えないんですよね。