もはや伝統芸とでもいうべき政局報道がかくも盛り上がるのには幾つかの理由がある。
昭和の自民党政治では(まあ基本的には今も変わらないが)、自民党の総裁は党内の権力闘争と密室謀議で決まった。権力闘争を眺めるのは確かに面白い。99%の日本人には関係ないのだから、無責任に楽しむことができる。加えて、建前上は党内の「私事」であるから、メディアも「公平な報道」を求められない。好きなように切り取って面白おかしく伝えることが出来る。
候補者も一応は政策らしきことを口にするが、もとより国民に対する公約ではないので、何とでも言える。そもそも政策論争がしたいのなら国会でやればいいのである。頑なに国会を開かずに自民党内だけで政策論議を完結させんとする奇観も、懐かしき昭和の景色を彷彿とさせる。
とはいえ、自民党の総裁選挙は実質的に日本の首相を決める選挙でもある。これは昭和も今も変わらない。自民党は党員の獲得にあたって「党員になれば日本のリーダーを決める選挙に投票できますよ」と謳って勧誘する。もちろん限りなく嘘に近い。日本の首相は自民党内の権力闘争と密室謀議で決まるのである。だから政局報道には一定のニーズがある。
昭和の自民党政治は(まあ基本的には今も変わらないが)族議員を通じて利権を配分するシステムであった。多くの老舗日本企業が国際競争力皆無なのは、魅力的な商品やサービスを提供することよりも「上から降ってくる金」を獲得することに最適化しているからだ。少しでも権力に近いものが得をする。
だからこそ、昭和のシステムでは(まあ基本的には今も変わらないが)次の首相が誰になるかを一分一秒でも早く知ることが莫大な経済的利益に繋がる。政局報道には実利に基づいた深いニーズもあるのだ。