2021年09月24日

政局報道という日本の伝統芸能

自民党の総裁選挙が始まっていて、ニュースは連日その話題で持ちきりである。自民党の党員と党友は合わせて100万人余と言われているので、本来なら日本人の99%には関係ない筈なのだが、毎度のことながらメディアの浮かれようは尋常ではない。曰く、誰某は誰某が嫌いだが、もっと嫌いな誰某だけは総裁にしたくないと思っている云々。変わることのないその景色に昭和の自民党政治を思い出す。

もはや伝統芸とでもいうべき政局報道がかくも盛り上がるのには幾つかの理由がある。

昭和の自民党政治では(まあ基本的には今も変わらないが)、自民党の総裁は党内の権力闘争と密室謀議で決まった。権力闘争を眺めるのは確かに面白い。99%の日本人には関係ないのだから、無責任に楽しむことができる。加えて、建前上は党内の「私事」であるから、メディアも「公平な報道」を求められない。好きなように切り取って面白おかしく伝えることが出来る。

候補者も一応は政策らしきことを口にするが、もとより国民に対する公約ではないので、何とでも言える。そもそも政策論争がしたいのなら国会でやればいいのである。頑なに国会を開かずに自民党内だけで政策論議を完結させんとする奇観も、懐かしき昭和の景色を彷彿とさせる。

とはいえ、自民党の総裁選挙は実質的に日本の首相を決める選挙でもある。これは昭和も今も変わらない。自民党は党員の獲得にあたって「党員になれば日本のリーダーを決める選挙に投票できますよ」と謳って勧誘する。もちろん限りなく嘘に近い。日本の首相は自民党内の権力闘争と密室謀議で決まるのである。だから政局報道には一定のニーズがある。

昭和の自民党政治は(まあ基本的には今も変わらないが)族議員を通じて利権を配分するシステムであった。多くの老舗日本企業が国際競争力皆無なのは、魅力的な商品やサービスを提供することよりも「上から降ってくる金」を獲得することに最適化しているからだ。少しでも権力に近いものが得をする。

だからこそ、昭和のシステムでは(まあ基本的には今も変わらないが)次の首相が誰になるかを一分一秒でも早く知ることが莫大な経済的利益に繋がる。政局報道には実利に基づいた深いニーズもあるのだ。
 
posted by 非国民 at 02:06| Comment(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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