グレッグ・イーガン『ディアスポラ』を読了。ハヤカワ文庫2005。巷のレビューには「SF史上最も難解な作品」だの「イーガンファンよ喜べコレは今までで一番読み難い」だのと相当な言われ様だが、本当にその通りだ。例えて言うなら、ミモレットとか鰹節みたいなジャンルなのかな。極上品ほど堅い。
読み難い理由はいくつかある。例によって些かひねくれた構成もさることながら、未来の技術や概念が全く説明なしにいきなり出て来る。きっとこういうことかと推測しながら読み進む事になる。簡単に外挿出来るほど近い未来の話ではない、にもかかわらずだ。それから個人的には数学的な思弁について行けないというものつらかった。リーマン空間とかフーリエ変換とか、ごく当たり前に出て来るんだけど、もう覚えてないんだよ本当に。ああ情けない。
なんだかんだ言って、私自身はほぼ一月ほど掛かってコレを読み通した。読み通した自分を「軽く凄い」とさえ思うが、でも一方で、間違いなくそれだけの価値はある。読んでよかった。
一つのテーマを追い求めて行くというスタイルではなく、むしろ様々なエピソードの集積として本書は成立しているのだけれど、生命というものの有り様に関するイーガンの考え方がとにかく独特で面白い。特筆すべきは短編「ワンの絨毯」にも出て来る<オルフェウスのイカ>。自己触媒的に生成し続ける巨大分子が自然発生的なチューリングマシンと化し、その中でソフトウェアとして進化し意識を持つに到った<生命>。外界の物質的な世界とはいかなる意味でも関わりを持たないこうした<生命>が、本書では奇特な例外としてではなく、むしろ普遍的な一般性とともに描写される。硅素生物がどうこうという話とは、色んな意味で次元が違い過ぎる。
異質な生命とのコンタクトという点では『ソラリス』にも通じる点があるけど、本書の場合、そもそも私たちの馴染んでいる「肉体人」がほぼ登場しないので、世界観としての類似は薄い。『ディアスポラ』は肉体人のコピーとしてではなく最初からソフトウェアとして産み出された主人公の、宇宙の果て(無限に存在する可能世界の中の一つの果て)にまで到る冒険譚だ。
長い長い(の200乗ぐらいか)旅の果てに突如訪れるエンディングの味わいが、とにかく良い。驚愕のどんでん返しではなく、むしろあっさりした終わり方ではあるのだが、全く予想していなかった結末であるにもかかわらず、ああやっぱりこれ以外には無いよなあ、と腑に落ちる。コンタクトしないで終わるファーストコンタクトもの、というか、もはや何をもって「コミュニケーションの成立」とみなすかが問われる次元にまで到る旅だ。些か煙に巻かれた感はあるが、そのしっとりした読後感は、内容的にはほぼ無縁ながら安部公房の『密会』に近いと感じた。
唯一にして最大の不満は、こんなに読み難くする必要があったのか、という点だ。