最初に断っておくが、日本の捕鯨「だけ」が嫌われているわけではもちろん無い。日本の捕鯨を嫌う人は、殆どの場合ノルウェーの捕鯨もアイスランドの捕鯨も嫌っている。そうは言っても、その中で日本の捕鯨が特に嫌われていることは間違いない。
捕鯨を嫌う人の言い分にも色々あって、その全てが理にかなっているとは私も思わないが、日本の捕鯨が突出して嫌われていることには幾つかの明確な理由がある。それを確認しておくことは無駄ではないだろう。
まず第一に、学術調査の看板を掲げているから嫌われる。ノルウェーもアイスランドも明確に商業捕鯨を掲げていて、要するに彼らは食べるためにクジラを獲っている。アラスカなんかの伝統的な先住民捕鯨も、目的は食べるためだ。それでも駄目だと言う反捕鯨論者ももちろん多いが、それを別にしても日本の場合は「調査」の看板を掲げている点でさらに悪質だと看做される。どこの国にも本音とタテマエはあるし、それ自体を批判しても仕方ないけど、外交はあくまでもタテマエで動く。日本の捕鯨関係者はその認識が薄いんじゃないかな。さらに言えば、日本の捕鯨が本当に食べるためのものかどうかさえ実は怪しい。私自身は、ただの無駄な公共事業なんじゃないかと思っている。
次に、自国から遠く離れた海でクジラを獲るから嫌われる。ノルウェーもアイスランドも自国の沿岸でしか捕鯨を行っていない。この違いは結構大きいと思う。公海上の水産資源は大げさに言えば人類の共有財産だ。地球の反対側まで出掛けて行ってクジラを獲る行為を自国の「食文化」に繋げる言説は、いくらなんでも無理がある。これもついでだから言ってしまうと、「文化」やら「伝統」やらは、都合の良いように書き換えられてしまう場合が少なくない。要するに、いつの時代を基準にして「日本人の食文化」と呼ぶか、という問題なのだが、少なくともクジラが日本人の一般的な食材だったのは1950年代から60年代あたりの一時期だけだ。それまでは、ごく限られた地域の文化だったに過ぎない。安房の里見水軍、熊野の九鬼水軍、生月の松浦党と並べてみれば明らかなように、捕鯨が盛んだった所は大概が海賊の本拠地だ。日本列島の文化としてはレアケースであると言わざるを得ない。無論それもまた「日本人の文化」であることを私は否定しないし、こうした地域の沿岸捕鯨は出来れば残って欲しいと切に願うが、残念ながら日本近海のクジラはあらかた獲り尽くされてしまったので、かつてのような規模での捕鯨は存続不可能だろう。里見水軍の本拠地は内房の勝山というところで、昔は盛んに捕鯨が行われていた記録がある。この個体群は既に絶滅し、現在では内房に回遊してくる鯨はいない。
三番目に、これが最大の問題だと思うが、日本は水産資源の管理が全く出来ていないのに鯨を獲るから嫌われる。ノルウェーもアイスランドも厳格な資源管理の元で漁獲高制限を行っていて、かつ漁業は着実に利益を上げる成長産業となっている。ノルウェーなんか、敢えてEUに加盟しないことでEUよりも遥かに厳しい基準での資源管理を行っている。この水産資源管理という点に関して、はっきり言って日本は前歴が悪すぎる。クロマグロ、ニホンウナギは既に絶滅寸前だし、日本近海のイワシもアジもサバもニシンも完全な資源枯渇状態で、今すぐ禁漁にしても資源回復に何十年掛かるか分からない。カツオだって今のような獲り方をしていれば時間の問題だろう。そんな国が「調査捕鯨」なんて言っても信用されないのは当たり前だ。日本人を野放しにしたら最後の一頭までクジラを獲り尽くすんじゃないかと私でも心配になる。