2022年10月24日

近所の難読地名

kuroneko老師が難読地名シリーズを展開しているので、便乗してみる。

当アジトから少し北に行くと「北方十字路」という交差点があって、この「北方」を「ぼっけ」と読む。これは難易度が高いと地元民ながら常々思っている。そして、この十字路を東西に横切るのは「木下街道」であり、聞いて驚け「木下」を「きおろし」と読む。難読である。

難読地名には幾つかのヴァージョンがある。大まかに言えば

1. 馴染みのある読みとは違う読み方をする
2. どう読むか見当も付かない
3. そもそも見たことがない漢字

ということになろうか。

前述の「北方=ぼっけ」「木下=きおろし」は、1.に該当する。木下街道は、その名の通り木下という街に繋がる街道であり、木下は利根川の水運で栄えた河岸である。ここで材木を舟から下ろして陸路で江戸まで運ぶから「木下」。講釈を聞けば納得できる地名だが、いきなり見て読めるかと言われると難しい。

当アジトの少し南には「原木」という地名があり、これは「ばらき」と読む。関東人にとっては難易度が低いようだが、関西人には「原」を「ばら」と読む発想がないようで、しばしば驚かれる。

2.に該当するのは「神々𢌞」。近所というほどでもないが、木下街道の途中に出てくる地名で「神々𢌞」と書いて「ししば」と読む。何故そう読むのか、見当も付かない。さらに、木下を過ぎて利根川沿いに進むと「安食木杭」という地名に行き当たる。この「安食木杭」は「あじきぼっくい」と読むが、ここまで来ると驚きもない。驚きを遥かに通り越したような地名である。

3.は、さすがに近所ではないが、自治体単位では難読の東横綱とも言える「匝瑳市」が千葉県にはある。この「匝瑳」を「そうさ」と読むのだが、意外も何も見たことがない漢字なので、何とも感想が湧かない。

余談ながら、難読地名というのは英語圏にも存在する。ウスターソースの由来となった英国のウスターという街は「Worcester」と表記する。どうやったら「Worcester」を「ウスター」と読めるのか。英国人でも納得できる人は少ないようだ。こうなると、もはや何のための表音文字なのか、不可解極まるべし。
 
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2020年08月11日

アラブの女性ミュージシャン

アラブ圏で女性ヴォーカルのバンドは非常に珍しいという話を何度か書いた(こことかこことか)。

バンドがどうの以前に、アラブ圏では女性のミュージシャン自体が少ないという印象がある。もちろんアラブ圏といっても一様ではないし、そもそもがべらぼうに広い。地域ごとの「土地柄」も随分と違う。以下、個人の感想を漫然と書こうと思う。

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posted by 非国民 at 16:31| Comment(0) | 歴史と文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月28日

ディープサウス再び

大阪深南部のターミナル、天王寺駅から徒歩一分の立地に容赦なく広がる昭和の残滓、阪和商店街。

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あまりに鮮烈なレトロテイストは、まるで映画のセットのようだ。研ぎ澄まされた昭和のデザインが、訴求を通り過ぎて一種の非現実感さえ惹起する。

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人影が皆無なのは早朝に撮影したため。これでも現役の商店街である。ディープサウス侮り難し。
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2011年10月16日

昨日までとは違う世界

コスプレという身体文化が興味深いと書いたその翌日、さっそく東京ドームシティで「コスプレの日」*1に遭遇した。

とっくに見慣れた筈のコスプレ風景が、今日は違って見えるから不思議なものである。

何者かになる、あるいは何者かであるために装うのではなく、何者でもなく存在するためにこそ装う。既存のコードで意味付けられ、既存の役割へと嵌め込まれることを拒絶する、ささやかな抵抗的行為として、コスプレなる文化は実践されているのかも知れない。だからこそ、ディティールを創り込めば創り込むほど、それは都市の異物として立ち現れ、社会的な<らしさ>の向こう側へと越境する。

そう思って見ると、コスプレガールたちの「意思表示」が、何かしら頼もしくも感じられた。

コスプレのことなど知らなくても、私が生きていくのに困りはしない。しかし、知ることによって確実に世界は変わったのだ。より面白く、より味わい深く、そして多分、少しは生きやすい世界へと。こういうことがあるから、読書という悪癖は止められない。

*1 私が勝手にそう呼んでいるだけであり、正式なイベントの名称は知らない。
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2011年05月18日

ちくわと路面電車の街で

ちょっとした用があって豊橋に行ってきた。仕事というか野暮用というか、実際には殆ど金にならないのだが、金にならない仕事でも仕事が無いよりはマシなのだ。

のんびりと「こだま」に揺られて行く。新幹線には意外と駅が多い。こんなに沢山あったんだと改めて驚く。そして、静岡県が横に長いことを実感する。

ちょっと時間が空いたのでぶらぶら散歩していたらイカした建物に出会った。豊橋市公会堂。
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ロマネスクの傑作として名前だけは知っていたが、見るのは初めて。確かにこれは渋い。柱頭の造作なんかも凝っている。良いものを見た。いまだに現役で機能しているというのも凄い。

東京から見れば、豊橋はどうってことのない地方都市だが、それでもその街その街の歴史と文化があるわけで、もちろんそんなことは当たり前なんだけど、ついつい忘れがちだったりして、やっぱりこういうのを見ると「侮れないなあ」と思う。
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豊橋に行く機会があれば、これは見ておいた方が良い。
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2010年12月14日

ディープサウスを歩く

大阪での仕事が終わって軽く飲んだあと「フェイさん、見た事ないんだったら案内しますよ」と地元のスタッフに誘われて、深南部の最奥“飛田新地”を歩いてみた。

話に聞いたことはあったが、この目で見るのは初めてである。

つくづく不思議な街だと思う。いわゆる「悪所」であることには間違いないのだろうが、「悪」の臭いは丹念に拭い去られていてる。カオティックな猥雑さは微塵も無く、極めて慎重に隔離され管理の行き届いた「悪所」であるように思われる。こう言ってよければ清潔な印象すら受けた。東京には無い種類の街だ。

同行したフォトグラファーのどろぐま氏は「SFの世界に迷い込んだような」と評していたが、全く同感である。そこで行われる商売を考えれば、そもそもが虚飾の街であることに何の不思議も無いのだが、それにしても、と思う。描き割りのような景色が延々と続く(飛田新地は私が想像していたよりもずっと広かった)虚飾の街。それは誇張ではなく本物の異世界であった。
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2010年02月25日

笑止「生活指導」

スポーツとして、あるいは芸能としての相撲には全く興味が無いが、「日本人にとって相撲とは何か」という文化史的な側面にはいささかの好奇心をそそられる。

ふと思うことがあって調べものをしていたら、行き当たった記事に
日本相撲協会生活指導部 特別委員のやくみつる氏が云々

ああ生活指導。何とおぞましい響きの役職だろうか。たしか中学校にそういうのがあったなあ。生活指導担当の教員は常に私の敵であった。少々大げさに言えば、あのおかげで私は日本という国が嫌いになり、気がつけば今では立派な非国民だ。

そんな役職に就く方もどうかしてると思うが、やくみつるは別にどうでもいい。生活指導部などという部所を公に設けて、その言葉のおぞましさを何とも思わない相撲協会の神経が、私に言わせれば既に終わっている。

やはり相撲そのものが前近代を引き摺った悪習でしかないのかな。まあ私が心配することでもないだろうが、相撲なんて消えてなくなっても、この国の文化は全然大丈夫だ。
posted by 非国民 at 03:34| Comment(6) | TrackBack(0) | 歴史と文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月29日

ヨーロッパの境目

「中欧」という括りがあることを知ったのは、もう3年も前のことだが、いまだにこの枠が分からない。正確に言うと、分からない訳じゃないんだけど、今ひとつしっくり来ないというか、腑に落ちないというか、納得し切れてないというか。

やはり80年代に基礎教養を身に着けた者としては、「東側=旧ワルシャワ条約機構」という括りが頭から離れないのだろうか。

当節では、大枠でローマカトリック圏が中欧、正教会圏が東欧ということになっているんだけど、どうしてもその線引きに違和感が残る。ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリーあたりが中欧だというのは理解出来るが、バルカンに至って私の思考は止まってしまう。スロヴェニアが中欧でセルビアが東欧という事態を納得しかねるのだ。それを基準にしてしまったら、あまりにも話がややこしくなり過ぎないか。ボスニア・ヘルツェゴビナはどうなるのか。ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦は中欧でセルビア人共和国は東欧なのか。コソボやアルバニアをどう捉えるのか。あるいはヴォイヴォディナ自治州の帰趨やいかに。

今さらユーゴスラヴィアが一つの国としてまとまることは無いと私も思う。思うけれども、サイバー・ユーゴスラヴィアの理念に多少なりともシンパシーを持つ身としては、やはりここに大きな境界線を引くのが悲しいのだ。

どうしてもこの枠組みが落ち着かないので、当辺境ブログの音楽カテゴリーでは、ロシアからバルカンまでを「中東欧」として乱暴に括ってしまった。

ついでに言うと、南欧というのも実はよく分かっていない。スペイン、ポルトガル、イタリア、本当は南フランスも入るんだろうけど、その辺までは良いとして、何故ギリシャも一緒なのか。その文化史的な必然性については正直言って腑に落ちているとは言い難い。仕方がないので「頭足類(イカ、タコ)を食べる連中」という括りで強引に理解している。

ところでアドリア海東岸のクロアチア、モンテネグロ、マケドニア、アルバニアではイカやタコを食べるのだろうか。毎度のお願いで恥ずかしい限りだが、誰か知ってたら教えて欲しい。


追記(2014年)
スロベニア人と仕事をする機会があったので訊いてみた(旧ユーゴの人たちは概ね英語を解する)。
奴らはイカを食う。それも、かなり好物らしい。iphoneを取り出して多くの写真を見せてくれたが、どれも旨そうだった。
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2009年07月08日

匿名者の街

予想外に濃い議論となった前回記事のコメント欄。安易なブルカ叩きの帰結を私が危惧したのは以下の観点からだ。
(親族やパートナーによる)ブルカの強制を問題視するのならブルカではなく強制そのものを咎めるべきだし、実際問題として本当に抑圧され強制されてブルカを身に着けている女性は、ブルカが禁止されたら一歩も家の外に出られないという可能性すらあるわけです。それでは単に目障りな存在を排除したことにしかなりません。

とはいえ、ブルカを身に着けて家の外に出ることと一歩も外に出ないことは本質的に何が違うのかという容易ならざる問題は残る。

公共空間という視点からすれば、両者の間には殆ど違いが無いように思える。しかし彼女たちも、女性どうしの場面では当然のこととして素顔を晒したコミュミケーションを持っているし、それもまた一つの社会である。その意味では、ブルカを着けた女性に社会生活が皆無だとは言い難いのであって、そこには一体どんな社会が存在しているのだろうかと、興味は尽きない。

もっとも、女性だけの社会は、あくまでも点であって、点と点を繋ぐ線の空間においては、彼女たちの社会生活は実質的に無いに等しい。

ブルカを身に着けて街を歩くというのは、いったいどんな気分なのだろうか。自分がそうしている場面を想像してみる。外からは見られること無く、ヴェール越しに外の世界を覗き見る。家の中にいてレースのカーテン越しに外を眺めるような気分だろうか。それなら家の中にいるのと変わらない。

安部公房が描いた『箱男』の心理を連想する。見られること無く、こちらから一方的に見る。その非対称的な視線が「誰でもない者」としての匿名性を生み出す。ちなみに、やってみよう研究所のサイトに実際に箱を被って街を歩いてみたという秀逸なレポートがあって、実に面白い。このレポートでは、段ボールを被ることが「表現行為」であるという当人の主張は街の警察官に通用していない。

このような非対称的視線に対して社会の側が動揺するというのは大いに予想されることだ。私だって箱男が隣に住んでいれば良い気持ちはしない。ブルカを着けた女性が隣に住んでいても、やはり良い気持ちはしないだろう。しかし、その気持ち悪さは単に私がそう感じるという以上の根拠を持ち得るのかどうか。ここは考えどころだ。

匿名者の視線に対する非寛容は、果たして民主主義が機能するための前提条件なのか。それとも、ホスト社会と移民が織りなす文化的コンフリクトという凡庸な問題群に収斂するのか。「匿名の市民」というものが原理的に存在し得るのかどうか。

おそらく「市民社会」は箱男を許容しないだろう。しかし、私たちは一体いかなる罪で箱男を裁くことが可能なのか。安部公房が提起した難問は今もそこにあり、ブルカという現象に私の興味を強く誘う。
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2009年06月24日

国民国家の難しさ

ちょっと気になったCNNの記事。
仏議会がイスラム女性のブルカ禁止を検討、大統領も批判
パリ(CNN) フランス議会は23日、超党派の委員会を設置し、イスラム教の女性が伝統的に身に着けているブルカの着用を同国内で認めるかどうか検討すると発表した。
これに先立ちサルコジ大統領は22日の上下両院合同会議で演説し、ブルカについて「フランスでは歓迎しない」と言明している。
サルコジ大統領は「ブルカの問題は宗教問題ではない。これは宗教シンボルではなく、従属の象徴であり、さげすみの象徴だ」と断言した。
さらに「わが国で女性が塀の中に閉じ込められ、社会生活から切り離され、アイデンティティーを奪われるのは容認できない」と述べ、議会でこの問題についてさらに話し合うよう促した。
2009.06.23 Web posted at: 20:18 JST Updated - CNN

いかにもサルコジさんの言いそうなことだが、この議論は些か雑に過ぎはしまいか。

まず第一に、「ブルカが宗教シンボルではない」というのが、そもそも非常に怪しい。たしかに単なる宗教シンボルではなく「従属の象徴」であるというのはその通りだと思うが、同時に宗教的な象徴でもあると見るのが妥当だろう。ある一つのシンボルが宗教的なものか否かは、簡単に0か100かで判断出来るものではない。フランス政府としては宗教的な理由で禁圧するのではないと言いたいのだろうが、その辺りの匙加減は結構危うそうだ。

第二に「従属の象徴」だと言うのなら、実は殆ど世界中の民族衣装がそうだ。「ドレスコードと性別役割規範」と銘打って一年間講義が出来るほどに、服飾とジェンダーロールの関係は深く長い。ヨーロッパ世界で正装とされるイブニングドレス、あるいは日本の女性が着るキモノだって、見ようによっては「女性を塀の中に閉じ込め、社会生活から切り離し、アイデンティティーを奪う」装置だと言えてしまう。もっとはっきりした例を出すなら、かつてヨーロッパ中で流行ったクリノリンやコルセットが「従属の象徴」でなくて何なのか。どちらも今では流行らないファッションだが、それは法律で禁止されて廃れたのではない。ココ・シャネルのようなトップランナーの先見にも支えられつつ、人々のジェンダーに関する意識とモードが少しずつ変わって来た結果である。

ブルカは「従属の象徴」としての性格を多分に持っていると、私も思う。悪しき旧習だとさえ思う。思うけれども、それを変えるかどうかは、現にそれを身につけているイスラム教徒の女性たち自身の問題なんじゃないかな。結局は文化の問題なんだし、当事者の考え方や意識が変わらなければ、何にもならないでしょ。自由なファッションが先行して、それによって自由な行動規範が発現する、そういうことも当然有り得るだろうけど、あんまりそれを強調するのもヤクの売人みたいで気持ち悪い。いずれにしても政府が強要することでは無いと思う。イスラムの宗教国家が「ブルカの着用を強制する」のと同じくらいにバカらしいことだと思う。

ところがフランスという国は国民国家がタテマエで、「それが彼らの文化なのだ」という考えを嫌う。そのようなエスニックなサブグループが国内に存在することを許容しないのだ。革命を端緒とする共和制の理念は、それが「理念」であるからこそ、フランス国土の津々浦々に隈無く貫徹せずにはいられない。国民国家の難しい悩みである。

乱暴に言っちゃうと、明治政府の断髪令みたいなものなのかな。ちょんまげの何がダメだったかというと、要するに「身分を示すシンボル」だっからだ。手っ取り早く、見える所で文明開化を目指したという理由もあるだろうけど、国民国家たるもの国民の間に身分の上下があってはならないというタテマエは大きかった筈だ(そのくせ貴族制度なんかはしっかり作っちゃって、結構いい加減なんだけど)。

フランスは今でも真剣にそのタテマエを張ろうとしている。国民国家の難しいところである。
posted by 非国民 at 08:37| Comment(24) | TrackBack(2) | 歴史と文化 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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