昔からこの政党が不思議だった。何のためにあるのか、何をしたいのか。私が物心ついた時には既に公明党という政党があったが、その存在理由は、私にとって常に謎だった。
この政党は要らないんじゃないかとはっきり思ったのは自民党と組んで与党となった時だ。
公明党が弱者の味方だというのは嘘ではないだろう。政策で言うなら、公明党は自民党よりも民主党にずっと近い。近いどころか、公明党の掲げる政策は民主党のそれとほとんど変わらない。にもかかわらず自民党とくっ着いているのは、党利党略のためでしかない。
創価学会というのは都市型の宗教で、大都市の下層階級、特に農村から都市の商工業へと流入してきた労働者を取り込むことで飛躍的に発展して来た歴史がある。日本の既成左翼が労働組合を中心として活動して来たのに対して、創価学会は労働組合にさえ無縁である最下層の労働者階級を取り込んで来たのだ。創価学会という組織が単なる宗教団体ではなく「互助会」的な性格を強く持っていたことが、それを可能にしたといえる。だからこそ公明党と共産党の敵対意識は根が深い。
創価学会は弱者の組織であると同時に庶民の組織でもある。共産党の指導部がなんだかんだ言って東大や京大出身のエリートであるのに対して、学会の庶民性は確かに際立っている。しかし気がつけば、公明党の代表である太田さんは京大、前代表の神崎さんは東大の出身だ。彼らのような高学歴エリートにとって、創価学会という組織は必ずしも居心地の良い場所ではないはずだ。その辺、当事者はどう思っているんだろう。公明党と創価学会が組織として明確に分離されたのが1970年だから、現在公明党に所属している議員のほとんどは、別組織となってから政治家としてキャリアをスタートさせている。公明党には公明党の思惑があってしかるべきだが、その辺が良く分からない。
いずれにせよ、現在でも公明党が強いのは東京と大阪だ。だから地方で(だけ)強い自民党と組むメリットは大きい。連立相手である自民党に対しても「恩」を売れる。
党利党略という計算だけで言えば、公明党が民主党と組むメリットは無い。どちらも東京や大阪を中心にした都市で強い政党だから、ターゲットがダブる。政策の面でもほとんど違いがないから、連立しても公明党の存在感をアピールする機会がない。選挙で「恩」が売れてしかも全く政策の違う自民党に対して、あれこれと注文をつけている方が、遥かに存在感を誇示出来る。
だが、存在感をアピールして、それが何になるのだろうか。創価学会の信者ではない私からすれば、ただただヤヤコシイという他無い。公明党は何のためにあるのだろうかと疑問に思う所以だ。
公明党が出来る前にも、もちろん創価学会員の国会議員はいた。彼らは「国立戒壇」という一点だけにおいて結束していたのでって、それ以外の政策に関しては、それぞれの思うところに従って活動していた、事実、それぞれの思うところに従って自民党や社会党や民社党に所属していたのだ。国立戒壇は馬鹿げていると私は思うが、それでも今のようなヤヤコシさは無い。池田大作の前の会長だった戸田城聖は一貫して学会が自前の政党を持つことに反対だったし、池田自身も公明党の結成を「間違いだった」と口にしたことがある。少なくとも、国立戒壇路線を放棄した時点で、創価学会が創価学会のための政党を持つ理由は失われたのではなかろうか。
公明党はどこへ行こうとしているのだろう。今ほどその存在理由が問われている時はないと思う。