このところ夜に出歩くと街が暗い。節電ということで街路灯を間引いている所が多いようだ。電力需要のピークは昼間だから、夜の明かりを消しても実際にはあまり関係無いんだけど、とりあえず人目につく分かりやすいところで、というのは、まあ日本の役所のやることだから仕方ない。
商売柄、こういう時にも照明が気になって、色々と思うことがある。
まず思うのは、さしたる考えも無しに全体的に暗くしてるんだろうなあ、ということ。これについては、もともと殆どの街路が「光をデザインする」という意識の下に明るくされていたわけでは無いので、暗くする時になって急にその視点を持てといっても無理だろう、とは思う。そうは言っても、せっかく節電するのなら、これを機会に「目的の無い無駄な明かりを排除する」ということを意識してみてはどうだろう。光をデザインするという行為の根本は、要するにそういうことなのである。だから、洗練された照明デザインは必然的に省エネルギーと両立する。
実際に歩いてみると、「ここはこのくらい暗くてもいいかも」と思う場所や、一方で「ここはこんなに暗くしちゃダメだろう」と思う場所がある。そもそも車が走る道と人が歩く道とでは照明の役割が根本的に違うのだが、その辺の意識も薄いようだ。
車を運転する者にとっては、何より路面が見えることが必要で、照明設計においては水平面照度が重視される。もっとも、車は暗ければ自分でライトを点けるのだから、少々暗くても構わない。ドライバー自身が気を付けてゆっくり走れば良いことだろう。実際、首都高速なんかもかなり減灯されているのだが、自分で運転していても、歩いている時に比べれば「暗いなあ」と感じることは少ない。
人が歩く道は、そうはいかない。歩く人にとっては、路面よりも向こうから近づいて来る人の顔が見えないことがストレスになる。足元が全く見えないというのではさすがに困るが、実は水平面照度よりも鉛直面照度が重要なのだ。住宅街などでは、近傍の家に窓から街路灯の光が入らないように配慮しつつ、効果的な鉛直面照度を確保するために光源自体を低い位置に持って来たりする。遊歩道のような所でも、街路灯そのものが低ければ無用に街路樹を剪定する必要も無く、周囲への「光害」も低減出来る。もっとも、こういった考え方は比較的最近になって漸く意識されて来たものなので、東京でさえそうなっていない道はまだまだ多い。ちょっと田舎に行けば、照明以前に道路計画において夜に人が歩く道そのものが考えられていない。
というわけで、人が歩く道をあんまり暗くすることはお薦めしない。しかしながら、ではどのくらいの明るさが適切なのか、というのも難しい問題だったりする。向こうから近づいて来る人の顔が見えないことがストレスになる、とはいっても、実際に何メートルまで近づいた時にそうなのかは、文化や状況によって変わるわけで一概には言えない。街全体の「何となくの明るさ」との相対的な関係もあるだろうし、慣れてくれば平気、ということがあるのかも知れない。
ちなみに、顔の見えない相手がどこまで近付いたら不安になるか、という平均的な距離は、日本人とアメリカ人で倍ぐらい違う。アメリカ人の方が遠くであるのは言うまでもない。
照明と治安の関係は古くからある問題だが、それほど簡単ではない。実は20世紀の末にニューヨークがかなり真剣にこの問題に取り組んでいて、色々な実験をしてデータを集めている。その結果分かったことは、残念ながら、いくら街路を明るくしても犯罪の絶対数を減らすことは出来ない、ということだった。何が起こったかというと、要するにイタチごっこだったのだ。表通りを明るくすれば犯罪は裏通りへ移動し、裏通りも明るくすると今度はさらに裏の路地や駐車場へ犯罪は移動する。それでも、頑張って街を明るくすることで住民の体感治安は随分と良くなったそうだ。もっとも、この点に関しては「犯罪自体が減っていないのに体感治安が向上しても問題の解決になっていない」という批判があり、当然それも一理ある。ニューヨーク市当局としては「とりあえず表通りを歩いている分にはそれほど危なくない」という状況を得られただけでも、無駄な取り組みではなかったと判断したようだ。
2011年04月16日
2011年03月31日
年度末に思い知る役立たず
このところ「失業状態で家に引きこもって」と繰り返し書いているのは比喩でも何でもない。引きこもりは大げさだとしても、失業は本当だ。
未曾有の震災から3週間になる。この間の私の収入は4万円(それも回収出来たとして)だ。予定していた仕事が片っ端から中止になり、これを私らの業界では「現場が飛ぶ」と表現するのだがそんなことはどうでもよくて、要するに仕事がなくなり、従って収入もない。
電話が掛かって来る「すみません、ホールの設備が地震で壊れてしまって、当分は直らないみたいなんで・・・」まあ、仕方がないですね。
再び電話「いやあ、会場が計画停電のエリアなんで、ちょっと今回は無理です・・・」やむを得んでしょうなあ
メールが来る「実は出演を予定していたミュージシャンが来日しなくなりまして・・・」当然だと思います
とまあ、それぞれの理由は納得出来るのだが、ここまで綺麗に無くなると、もう失業と言う他ない。これで食うに困らない境遇であれば、憧れの「悠々自適」というわけだが、もちろんそんな身分ではなく、大いに困る。
金の心配もさることながら、いかに自分の仕事が不要不急、もっとはっきり言えば「不要」であるかを思い知らされた日々である。自分が社会の役に立っていないと自覚する境遇は、単に金が無いのとは別格の哀しさがある。
来月も状況が大きく変わるとは思えない。やっぱり、もう火星に帰る潮時なのかな。
未曾有の震災から3週間になる。この間の私の収入は4万円(それも回収出来たとして)だ。予定していた仕事が片っ端から中止になり、これを私らの業界では「現場が飛ぶ」と表現するのだがそんなことはどうでもよくて、要するに仕事がなくなり、従って収入もない。
電話が掛かって来る「すみません、ホールの設備が地震で壊れてしまって、当分は直らないみたいなんで・・・」まあ、仕方がないですね。
再び電話「いやあ、会場が計画停電のエリアなんで、ちょっと今回は無理です・・・」やむを得んでしょうなあ
メールが来る「実は出演を予定していたミュージシャンが来日しなくなりまして・・・」当然だと思います
とまあ、それぞれの理由は納得出来るのだが、ここまで綺麗に無くなると、もう失業と言う他ない。これで食うに困らない境遇であれば、憧れの「悠々自適」というわけだが、もちろんそんな身分ではなく、大いに困る。
金の心配もさることながら、いかに自分の仕事が不要不急、もっとはっきり言えば「不要」であるかを思い知らされた日々である。自分が社会の役に立っていないと自覚する境遇は、単に金が無いのとは別格の哀しさがある。
来月も状況が大きく変わるとは思えない。やっぱり、もう火星に帰る潮時なのかな。
2011年03月02日
活字中毒者が逃避する一般的ではない動機
演劇の照明を依頼されることがあって、その際には「台本を読む」という作業が発生する。私はこれが嫌いだ。台本を受け取って(送られて来ることが多いのだが)、「では目を通しておきます」と言いつつ、何日も放置していることが少なくない。
活字中毒者のくせに勝手なこと言うんじゃないとお叱りを受けそうだが、趣味で読むのと仕事で読むのは違うのだ。何月何日には打ち合わせだから、その時には何かアイディアを持って行かないとなあ、という期限付きで台本に接するのが、どうもストレスらしい。で、却ってギリギリまで読まなかったりする。
もっと憂鬱なのは、常にネガティブなスタンスで台本に接するということだ。最初に読んで、まず私がするのは「アラ探し」である。この脚本の一番の弱点はどこか、何が足りないのか、何が余計なのか、それを見極める。ちっとも楽しくない。そして、見出した「アラ」を照明デザインの取っ掛かりにするのだ。実に楽しくない。台本上の「決定的な弱点」を、時には隠蔽し、時には敢えて極限に置き微分したベクトルをベースプランに持ち込んだりする。全然楽しくない。
もちろん、読んで普通に面白い台本というのも多々あるのだが、それはそれで困りものだ。「アラ」がないということは、照明が(つまり私が)付け加えるべきことは特に無い、ということでもある。本当はそれでも良い筈なんだけど、無駄なところで小心者なのか、返って不安になってしまう。だいたい、ただ読んで面白いのなら本にして売れば良いではないか、舞台で演ずる必要が何処にありやと、まあそれは私が心配することではないのだが、気になって仕方がない。
もっとも、同業者と話をすると、こういうスタンスで台本を読むという人は思いのほか少ない。因果な商売だ、という訳ではなく、単に私の性格がひねくれているだけという可能性も高い。
活字中毒者のくせに勝手なこと言うんじゃないとお叱りを受けそうだが、趣味で読むのと仕事で読むのは違うのだ。何月何日には打ち合わせだから、その時には何かアイディアを持って行かないとなあ、という期限付きで台本に接するのが、どうもストレスらしい。で、却ってギリギリまで読まなかったりする。
もっと憂鬱なのは、常にネガティブなスタンスで台本に接するということだ。最初に読んで、まず私がするのは「アラ探し」である。この脚本の一番の弱点はどこか、何が足りないのか、何が余計なのか、それを見極める。ちっとも楽しくない。そして、見出した「アラ」を照明デザインの取っ掛かりにするのだ。実に楽しくない。台本上の「決定的な弱点」を、時には隠蔽し、時には敢えて極限に置き微分したベクトルをベースプランに持ち込んだりする。全然楽しくない。
もちろん、読んで普通に面白い台本というのも多々あるのだが、それはそれで困りものだ。「アラ」がないということは、照明が(つまり私が)付け加えるべきことは特に無い、ということでもある。本当はそれでも良い筈なんだけど、無駄なところで小心者なのか、返って不安になってしまう。だいたい、ただ読んで面白いのなら本にして売れば良いではないか、舞台で演ずる必要が何処にありやと、まあそれは私が心配することではないのだが、気になって仕方がない。
もっとも、同業者と話をすると、こういうスタンスで台本を読むという人は思いのほか少ない。因果な商売だ、という訳ではなく、単に私の性格がひねくれているだけという可能性も高い。
2011年02月24日
虚構世界の汚と濁に悩む
先日関わった芝居の仕事で、関係者から「フェイさん、とっても綺麗な照明ありがとうございます」との言葉を頂いた。嬉しいことは嬉しいのだが、実は少々複雑な気持ちだ。
今回の仕事に関しては、いささか「綺麗にまとめ過ぎたかな」という反省が自分の中にある。ベースプランの段階では、もっと不調和な色を意図的にぶつけて濁った感じの世界にしようと目論んでいたのだ。ところが、これが難しい。本当に難しい。実際に明かりを出してみると、どうしても「濁った」というよりは「汚い」世界になってしまう。「濁った」と「汚い」は、似ているようでも何かが決定的に違うし、もちろん汚い世界は不本意だ。そんなこんなで、結果的に綺麗にまとめてしまったというのがオチなのだ。
もっとも、その過程では相当アグレッシブなアプローチを採ったので、幸いにして綺麗ではあっても「無難」には陥っていなかった筈だ。その点に関しては自分でも納得出来る照明デザインを提示し得たと思っている。
綺麗からの逸脱は今後の課題だな。もうこの歳になってセンスが伸びることなど無いのだから、あとは勉強あるのみ。精進せねば。
結局は自分の判断で綺麗な照明にしたのだから「綺麗ですね」と褒められて素直に喜んでいれば良いようなものだが、「そりゃあ綺麗ですよ。だって綺麗に創ったんだから」とも思う。まあ、そこまで威張ると逆にみっともないので、これは言わないでおこう。綺麗な明かりを創るのだって、それはそれで簡単じゃないんだし。
今回の仕事に関しては、いささか「綺麗にまとめ過ぎたかな」という反省が自分の中にある。ベースプランの段階では、もっと不調和な色を意図的にぶつけて濁った感じの世界にしようと目論んでいたのだ。ところが、これが難しい。本当に難しい。実際に明かりを出してみると、どうしても「濁った」というよりは「汚い」世界になってしまう。「濁った」と「汚い」は、似ているようでも何かが決定的に違うし、もちろん汚い世界は不本意だ。そんなこんなで、結果的に綺麗にまとめてしまったというのがオチなのだ。
もっとも、その過程では相当アグレッシブなアプローチを採ったので、幸いにして綺麗ではあっても「無難」には陥っていなかった筈だ。その点に関しては自分でも納得出来る照明デザインを提示し得たと思っている。
綺麗からの逸脱は今後の課題だな。もうこの歳になってセンスが伸びることなど無いのだから、あとは勉強あるのみ。精進せねば。
結局は自分の判断で綺麗な照明にしたのだから「綺麗ですね」と褒められて素直に喜んでいれば良いようなものだが、「そりゃあ綺麗ですよ。だって綺麗に創ったんだから」とも思う。まあ、そこまで威張ると逆にみっともないので、これは言わないでおこう。綺麗な明かりを創るのだって、それはそれで簡単じゃないんだし。
2010年12月29日
仕事納め
例年よりもずいぶん早く28日にて仕事納め。細かいことを言い出せば色々とやることがあるんだけど、ま、来年で良いか、ということにして明日からオフ。払うものは全部払ったし、心置きなく休むことにしよう。
本当は「払うものは全部払ったし、貰うものは全部貰ったし」と行きたいところだが、あいにく未収金が35万ほど出てしまった。結構痛い。零細個人事務所にとって35万は大金だが、今回ばかりはどうしようもない。死んだ人間から金を取るわけにはいかないからだ。香典代わりと思って諦める。
今年は何だか8月くらいからダラダラと休みなく働き続けて来たような気がする。その割にはたいして儲かってないし、どうなってんだろうなあ。夏以降に関しては、最初から予定ぎっしりのスケジュールが見えていたわけでは無く、「来月になればちょっとは暇ができるから」と思って働き続けているうちに、いつの間にやら仕事が舞い込んで来て休みが無くなって・・・の繰り返しだった。で、まあ、そうやって飛び込みで急に入って来る仕事というのが、なかなか金にならないんですなあ。
「金にならない仕事でも、仕事が無いよりはマシなのだ」とはフィリップ・マーロウのセリフだが、まったくもって名言である。チャンドラーが『さらば愛しき女よ』を書いたのは1940年。フリーランスの悩みは今も変わらない。
本当は「払うものは全部払ったし、貰うものは全部貰ったし」と行きたいところだが、あいにく未収金が35万ほど出てしまった。結構痛い。零細個人事務所にとって35万は大金だが、今回ばかりはどうしようもない。死んだ人間から金を取るわけにはいかないからだ。香典代わりと思って諦める。
今年は何だか8月くらいからダラダラと休みなく働き続けて来たような気がする。その割にはたいして儲かってないし、どうなってんだろうなあ。夏以降に関しては、最初から予定ぎっしりのスケジュールが見えていたわけでは無く、「来月になればちょっとは暇ができるから」と思って働き続けているうちに、いつの間にやら仕事が舞い込んで来て休みが無くなって・・・の繰り返しだった。で、まあ、そうやって飛び込みで急に入って来る仕事というのが、なかなか金にならないんですなあ。
「金にならない仕事でも、仕事が無いよりはマシなのだ」とはフィリップ・マーロウのセリフだが、まったくもって名言である。チャンドラーが『さらば愛しき女よ』を書いたのは1940年。フリーランスの悩みは今も変わらない。
2010年08月12日
駄洒落に和む中年の夏
妙な行きがかりで、とあるコンサートの照明を担当することになった。女性ヴォーカル、アコギ、ベースだけのトリオで一晩ジョニ・ミッチェルの曲を演るという渋い企画だ。リハーサルスタジオで簡単な打ち合わせをすませ、あとは当日に、という段になって、当の歌手いわく
「よろスコフィールド!」
不覚にもウケてしまった。こういう駄洒落に和む感受性が自分の中にあるというのは結構意外で、まあそれも歳のせいなのかと思ってみたりする。
そんなこんなで「ジョニ・ミッチェル・ナイト」は盛況のうちに無事終了。実に楽しい仕事だった。
あなたの周りでも流行らせてみませんか「よろスコフィールド」。ただしジャズを聴かない人には通じないと思うけど。
--------------------------
【8/13追記】
宿敵(?)jabberwock翁が客で来ていたらしい。
http://blog.livedoor.jp/jabberwock555/archives/51698591.html
ちょっと会ってみたかったなあ。
「よろスコフィールド!」
不覚にもウケてしまった。こういう駄洒落に和む感受性が自分の中にあるというのは結構意外で、まあそれも歳のせいなのかと思ってみたりする。
そんなこんなで「ジョニ・ミッチェル・ナイト」は盛況のうちに無事終了。実に楽しい仕事だった。
あなたの周りでも流行らせてみませんか「よろスコフィールド」。ただしジャズを聴かない人には通じないと思うけど。
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【8/13追記】
宿敵(?)jabberwock翁が客で来ていたらしい。
http://blog.livedoor.jp/jabberwock555/archives/51698591.html
ちょっと会ってみたかったなあ。
2010年01月03日
年の瀬にパラレルワールドを垣間見る
何の因果か、年をまたいで「アニソン紅白」なる訳の分からないイベントに駆り出されていた。アニメのオープニングやエンディングテーマをアニソンと言うらしい。
その方面に疎いのは自分でも分かってるから、予想したことではあるが、本当に知らない曲ばかり。一応はメジャーどころの曲が並んでいるはずなのだが、もう見事に分からない。
都合40曲ほど歌われたイベントを通して、かろうじて知っていたのは5曲。「魔法使いサリー」「アルプスの少女ハイジ」「宇宙戦艦ヤマト」「キャンディ・キャンディ」「鉄腕アトム」。とほほ。あとは「侍戦隊シンケンジャー」も知ってる曲だったが、これは仕事でさんざん聞いたからだ。アニメじゃないけど。
ちなみにどれもこれも元のアニメは見たことが無い。話の中身を全く知らないのに曲だけは聞いたことがあるというのも妙な話だが、これも世代的な体験とか言うやつだろうか。さすがに「鉄腕アトム」や「魔法使いサリー」は全然世代が違うから、あるいは民族の遺産とでも言うべきなのか。
「宇宙戦艦ヤマト」だけは断片的にだが見ている。私の記憶が確かなら、ティピカルな人身御供譚だ。穢れた世界を浄化するために捧げられる生贄の物語。合ってるかどうかは全く自信がないが<そういう理解の仕方>をしているということは、ある程度大人になってから見たのだろう。
不思議な年越しだった。まあ本家国営放送の紅白を見ても知らない曲ばっかりだった可能性は高いのだが。
その方面に疎いのは自分でも分かってるから、予想したことではあるが、本当に知らない曲ばかり。一応はメジャーどころの曲が並んでいるはずなのだが、もう見事に分からない。
都合40曲ほど歌われたイベントを通して、かろうじて知っていたのは5曲。「魔法使いサリー」「アルプスの少女ハイジ」「宇宙戦艦ヤマト」「キャンディ・キャンディ」「鉄腕アトム」。とほほ。あとは「侍戦隊シンケンジャー」も知ってる曲だったが、これは仕事でさんざん聞いたからだ。アニメじゃないけど。
ちなみにどれもこれも元のアニメは見たことが無い。話の中身を全く知らないのに曲だけは聞いたことがあるというのも妙な話だが、これも世代的な体験とか言うやつだろうか。さすがに「鉄腕アトム」や「魔法使いサリー」は全然世代が違うから、あるいは民族の遺産とでも言うべきなのか。
「宇宙戦艦ヤマト」だけは断片的にだが見ている。私の記憶が確かなら、ティピカルな人身御供譚だ。穢れた世界を浄化するために捧げられる生贄の物語。合ってるかどうかは全く自信がないが<そういう理解の仕方>をしているということは、ある程度大人になってから見たのだろう。
不思議な年越しだった。まあ本家国営放送の紅白を見ても知らない曲ばっかりだった可能性は高いのだが。
2009年10月21日
明滅
youtubeを彷徨っていたら自分が照明屋として参加した作品の動画が載っていた。悪いことは出来ない。
「The I」performed by The Fates+
いわゆるコンテンポラリーダンスと言うやつだ。比較的即興性の高い作品で、この時は私自身もプレーヤーの一人という気分で参加していたのを覚えている。大まかな構成だけを決めて、あとはその場のノリでのライティング。同じことが二度と出来ないというパターンだ。
しかしこうして改めて観ると、結構いい加減なことしてるなあ。
「The I」performed by The Fates+
いわゆるコンテンポラリーダンスと言うやつだ。比較的即興性の高い作品で、この時は私自身もプレーヤーの一人という気分で参加していたのを覚えている。大まかな構成だけを決めて、あとはその場のノリでのライティング。同じことが二度と出来ないというパターンだ。
しかしこうして改めて観ると、結構いい加減なことしてるなあ。
2009年10月13日
露悪のパフォーマンス
私の仕事は高い所での作業が多い。ロープ(ザイル)の結び方やら何やら覚えておくと便利なのだが、元来がアウトドアの志向に欠ける私はそっち方面に疎い。そこで、時々クライミング(山登りですね)関係のサイトを参考にして勉強させてもらっている。
山登り、沢登り、崖登り関係のサイトは、管理人の実名が明らかにされているものが少なくない。さして世を憚る趣味でもないから、公表を控える理由も無いのだろうが、先日とあるサイトで凄い記述に遭遇してしまった。
クライミングに事故は付き物。どんなに気を付けていても、足を滑らせ、あるいはロープが切れ、墜落して死んでしまう危険とは常に背中合わせだ。道に迷い、悪天候の下で凍死なんて事態も想定される。自分が山で遭難死して新聞記事になった時に、このサイトの読者には「ああ◯◯が死んだか」と知って欲しい。だから実名を記しておく、というのだ。
何と悪趣味な、しかし説得力のある理由だろうか。
実は私の仕事にも事故は付き物だ。毎年のように同業者が仕事中に命を落としている。当辺境ブログの読者におかれても「三谷洋平(41歳、自称照明家)、作業中に転落して死亡」なんてニュースを見かけた時には「ああ非国民もついに死んだか・・・」と思って頂ければ幸いである。
だいたいが、頼まれてもいないのに駄文を書き散らして人前に晒すというのが、そもそも褒められた趣味ではない。悪趣味ついでに実名を明かすのもまた一興。
もっとも、日本の業界ではスタッフの死亡事故が起きても、まずニュースにはならないんだけどね。
山登り、沢登り、崖登り関係のサイトは、管理人の実名が明らかにされているものが少なくない。さして世を憚る趣味でもないから、公表を控える理由も無いのだろうが、先日とあるサイトで凄い記述に遭遇してしまった。
クライミングに事故は付き物。どんなに気を付けていても、足を滑らせ、あるいはロープが切れ、墜落して死んでしまう危険とは常に背中合わせだ。道に迷い、悪天候の下で凍死なんて事態も想定される。自分が山で遭難死して新聞記事になった時に、このサイトの読者には「ああ◯◯が死んだか」と知って欲しい。だから実名を記しておく、というのだ。
何と悪趣味な、しかし説得力のある理由だろうか。
実は私の仕事にも事故は付き物だ。毎年のように同業者が仕事中に命を落としている。当辺境ブログの読者におかれても「三谷洋平(41歳、自称照明家)、作業中に転落して死亡」なんてニュースを見かけた時には「ああ非国民もついに死んだか・・・」と思って頂ければ幸いである。
だいたいが、頼まれてもいないのに駄文を書き散らして人前に晒すというのが、そもそも褒められた趣味ではない。悪趣味ついでに実名を明かすのもまた一興。
もっとも、日本の業界ではスタッフの死亡事故が起きても、まずニュースにはならないんだけどね。
2008年10月23日
出稼ぎ
フリーランスの照明屋というのは、決まった職場の無い流れ者稼業だ。今週末は広島で仕事。
東京で仕事を受けて興行と共に地方を巡業するというのはよくあるが、今回はちょっと違う。広島の同業者がどうしても人が足りないと言うので、助太刀に行くのだ。そう頻繁にではないが、時としてそういうこともあり、業界では出稼ぎと言われたりもする。旅費や宿泊はもちろん向こうが持つが、移動で1日取られる(移動日のギャラが発生しない)ことに関しては、こちらが目を瞑る。
まあ、こちらとしても、本当に人がいない時は地方から御足労願うこともあるわけで、困った時はお互いさまという気分もある。こっちの仕事で広島に行く際には手伝って貰ったりもするし、どうせ空いてるんなら顔は繋いでおいて損はない。お互いプロだから、スケジュールが合って金さえ払えば仕事はしてくれるけど、手伝って貰ってるという気持ちは大事にしたいし、だから、お互いさま。それに、いよいよ東京で食い詰めた時に、縁があれば拾ってもらえるかも知れないし、と、さすがにそこまでは考えてないけど、可能性としては有り得ない話じゃない。
実は、後から東京でもっと割のいい話があったのだが、こればかりは「先に約束した」という義理が優先する。
広島に行くのはずいぶん久しぶりだ。ヌートリアに会えるかな?
東京で仕事を受けて興行と共に地方を巡業するというのはよくあるが、今回はちょっと違う。広島の同業者がどうしても人が足りないと言うので、助太刀に行くのだ。そう頻繁にではないが、時としてそういうこともあり、業界では出稼ぎと言われたりもする。旅費や宿泊はもちろん向こうが持つが、移動で1日取られる(移動日のギャラが発生しない)ことに関しては、こちらが目を瞑る。
まあ、こちらとしても、本当に人がいない時は地方から御足労願うこともあるわけで、困った時はお互いさまという気分もある。こっちの仕事で広島に行く際には手伝って貰ったりもするし、どうせ空いてるんなら顔は繋いでおいて損はない。お互いプロだから、スケジュールが合って金さえ払えば仕事はしてくれるけど、手伝って貰ってるという気持ちは大事にしたいし、だから、お互いさま。それに、いよいよ東京で食い詰めた時に、縁があれば拾ってもらえるかも知れないし、と、さすがにそこまでは考えてないけど、可能性としては有り得ない話じゃない。
実は、後から東京でもっと割のいい話があったのだが、こればかりは「先に約束した」という義理が優先する。
広島に行くのはずいぶん久しぶりだ。ヌートリアに会えるかな?