つい先日も、こんなことが報道されている。
高1女子の髪は「色が目立つ」、教員4人がスプレーで黒染め(読売新聞)
この事例など、もはや普通に刑法犯罪の域だと思うが、校則の内容がバカらしいという話はひとまず置く。内容以前に校則というものは形式としてどうなのか。ルールは守らなきゃダメという人は多いが、そもそもルールと呼べる代物なのか。
ルールなんだから守らなきゃ、と言うのなら、それなりの要件が先に求められるはずだ。少なくとも「誰が、どのような権限に基づいて決めたのか」と「改正の手続き」、この二点が当該校則内に明記される必要がある。そうでなければ、それはルールの名に価せず、勅語と変わらない。
さらに言うなら、「制定の目的」も明確にされる必要がある。校則の二大コンテンツは道徳訓示と私権の制限だ。目的と手段は整合しているのか、目的のためにどこまで私権は制限されうるのか、という話をしなければならない時に、目的それ自体が正当でなければ話にもならない。以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ、では困るのだ。
件の報道に対して、ネット上では「嫌なら入学しなければいい」という意見も多く見られた。しかしこれは県立高校の事例だ。そもそも何のために県立高校があるのかという目的を考えれば、「黒髪が嫌なら入学するな」という考え方は、その目的を見失っていると言わざるを得ない。