2022年01月09日

またしても禁酒令

馬鹿の一つ覚え・・・と言いたいところだが、毎度これで政権支持率が上がるのだから、馬鹿はどっちなんだという話でもある。
 
posted by 非国民 at 18:49| Comment(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2022年01月01日

炊飯器が壊れた

これも日頃の行いなのか。突如として使えなくなった。

まあ思い返せば電子レンジも冷蔵庫もコーヒーメーカーも、ある日突然使えなくなったのだから、家電が壊れる時というのは、そういうものなんだろう。それに、よく考えてみれば炊飯器などというものは「使える」か「使えないか」のどちらかしかないわけで、「少し調子悪いけど騙し騙し使ってる」という状況は考え難い。

数分前にネットで得た知識によると、炊飯器の寿命はだいたい5年程度らしい。今日壊れたブツは30年近くも使っていたのだから、むしろ、そっちの方が凄いという話ではある。そして、いかに私が炊飯器を使わずに生きてきたかという話でもある。

それにしたって、何も今日じゃなくてもとは思う。諸行無常は世の理、形あるものは必ず壊れると頭では分かっていても、要するに覚悟が足りないのだろう。

『日本霊異記』に、庭に巣をかけた鴉の浮気を見て世の中が嫌になり、家族も官職も打ち捨てて出家してしまったという僧の話が出てくる。僧の気持ちが少しだけ分かるような気がした新年の1日目であった。
 
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2021年12月02日

で、いつまで鎖国ごっこを続けるのか

まあ随分と思い切ったことを、というか、正気の沙汰ではない。

鎖国ごっこは愚策であるばかりではなく、その実効性も皆無に近い。新型コロナに関して言えば水際対策に成功した国は一つもない。完全に防ごうと思えば、世界のどの国もやったことがない対策が必要なはずだが、そのアイディアの片鱗も見られない。新たな変異株は世界の至る所で日々発生し続け、それは遅かれ早かれ日本に入ってくる。それを少しでも遅らせることで時間を稼ぐつもりだとしても、「医療体制の拡充は絶対にしない」のが日本の国是なのだから、時間稼ぎには何の意味もない。

まあ、それは良いとしよう。仕方がない。

問題は、この鎖国ごっこをどうやって収めるつもりなのかだ。今回の布告も例によって解除の条件が全く示されていないので、全ては岸田さんの胸三寸、もっとはっきり言えば支持率次第ということになる。困ったことに鎖国ごっこは国内では頗る評判が良いので、少なくとも来年の参院選までは続けざるを得ないことになる。

正気か?
 
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2021年10月13日

突然の修行

先週の地震でガスが止まってしまった。

ガスメーターが揺れを感知して止めたのだろう。以前の地震でも同様のことがあって、自分でガスメーターの復帰ボタンを操作したら元に戻った。今回もやろうと思ったが、日頃の行いのせいかメータースペースの扉を開ける鍵が折れてしまった。大した鍵ではないので管理人さんに相談すればどうにかなりそうではあるが、不運は続くもので、いや本当は不運などと言うべきではないのだが先週末以来ずっと仕事が続いていて、管理人さんには会えていない。管理人さんは昼間しかいないのだ。

というわけで、今も当アジトのガスは止まったままだ。冷水のシャワーで体を洗う毎夜であるが、これがさすがにキツイ。まるで修行である。

形だけは修行であるが、冷水が煩悩を洗い流して悟りの境地に近づくのかといえば、そんな気配は微塵もない。「これで風邪をひいて熱でも出た日にはコロナ患者と思われて仕事に行けなくなるなあ」と卑近な心配ばかりが頭をよぎる凡夫の浅ましさである。


10/14追記
本日無事に解決。改めて文明の有り難みを知る。
 
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2021年09月30日

パチンコ未経験者が『パチンコ』を読んだ。

ミン・ジン・リーの小説『パチンコ』を読了。Min Jin Lee - PACHINKO。著者名は東アジア風の呼び方だとイ・ミンジンといったところか。日本語版は池田真紀子訳、文藝春秋2020。

少し前に読んだ書評記事が気になって、というか、その記事のコメント欄が凄すぎて気になっていた一冊だ。まあ何が凄いって「読んでないが中身は想像がつく」という超能力者が雲霞のごとく押し寄せて酷評しまくっていたのだ。およそ読書人にとって、読んでいない人のコメントは高評価だろうが低評価だろうが全てゴミである。そんな当たり前の事に想像が及ばない人たちというのは、いったい本を何だと思っているのだろうか。

さて、そんなわけで気になっていた一冊だが、読み始めて一気に引き込まれた。良い話だ。読んで良かったと本当に思う。著者はコリア系アメリカ人。日本に住み着くことになったコリアン一族4世代の数奇な運命を紡いだ物語で、1910年から1989年にまで至る長い話だ。上下巻700頁の大作だが、なかなかのページターナーで、長いとは全く感じない。まあ英語圏の小説は概して長いので、これぐらいは普通だし。

アメリカではかなり評判になったらしい。まあ何となく分かる。ホッセイニの時にも思ったが、いかにもアメリカ人が好きそうな話ではある。移民の苦労話と家族の絆、加えて逆境に屈しない信仰心、まさに鉄板の組み合わせだ。その「出来過ぎ感」だけは少し引っ掛かったが、それでも良い本を読んだという思いは変わらない。重ねて言うが、読んで良かった。
 
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2021年09月29日

日本語の記憶

意外に忘れないものだなあと、我ながら不思議に思う。

相変わらず仕事はほとんどなく、そして、失業状態で家に引きこもっていると耳から入ってくる日本語はゼロに近い。同居人はいないし、テレビともラジオとも無縁の生活である。宇宙と交信したり神の啓示を聞いたりという特技も持ち合わせていない。もちろん文字としての日本語には接しているが、音声としての日本語に触れる事はない。

唯一と言っていい例外は、毎日決まった時間に隣の消防署から聞こえてくる「不要不急の外出を避けましょう」という市役所からの「お願い」だ。以前は「市長の松戸です」という名乗りから始まっていて、これではまるで選挙運動じゃないかと思ったものだが、市長選挙が終わった今も律儀に放送される。ただし市長の声ではなく「こちらは船橋市役所です」から始まるようになった。

去年までは行きつけの中華屋でバサマやジサマと世間話をするというささやかな楽しみがあったが、その中華屋も今年の一月に閉店してしまった。

今や人と会話するのは近所で買い物する時ぐらいのものだ。会話とも言い難い。仕事以外でちゃんと日本語で話をしたというのは、今年に入って何回あるだろう。車検の時にディーラーの担当者と話したのと、火災報知器の交換に来た電気屋さんと話したぐらいか。あとは確定申告の時の税務署員か。いや、あれは会話のうちに入らないな。

家にいる間はよく音楽を聴くが、あいにく日本語の歌を聴く機会は圧倒的に少ない。今日はまだ英語とアムハラ語とベトナム語しか耳にしていない。

そんな状態でも、たまに仕事に出ると、特段の不自由なく日本語でコミュニケーションが取れるから不思議なものだ。どういう機序になっているんだろう。
 
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2021年09月24日

政局報道という日本の伝統芸能

自民党の総裁選挙が始まっていて、ニュースは連日その話題で持ちきりである。自民党の党員と党友は合わせて100万人余と言われているので、本来なら日本人の99%には関係ない筈なのだが、毎度のことながらメディアの浮かれようは尋常ではない。曰く、誰某は誰某が嫌いだが、もっと嫌いな誰某だけは総裁にしたくないと思っている云々。変わることのないその景色に昭和の自民党政治を思い出す。

もはや伝統芸とでもいうべき政局報道がかくも盛り上がるのには幾つかの理由がある。

昭和の自民党政治では(まあ基本的には今も変わらないが)、自民党の総裁は党内の権力闘争と密室謀議で決まった。権力闘争を眺めるのは確かに面白い。99%の日本人には関係ないのだから、無責任に楽しむことができる。加えて、建前上は党内の「私事」であるから、メディアも「公平な報道」を求められない。好きなように切り取って面白おかしく伝えることが出来る。

候補者も一応は政策らしきことを口にするが、もとより国民に対する公約ではないので、何とでも言える。そもそも政策論争がしたいのなら国会でやればいいのである。頑なに国会を開かずに自民党内だけで政策論議を完結させんとする奇観も、懐かしき昭和の景色を彷彿とさせる。

とはいえ、自民党の総裁選挙は実質的に日本の首相を決める選挙でもある。これは昭和も今も変わらない。自民党は党員の獲得にあたって「党員になれば日本のリーダーを決める選挙に投票できますよ」と謳って勧誘する。もちろん限りなく嘘に近い。日本の首相は自民党内の権力闘争と密室謀議で決まるのである。だから政局報道には一定のニーズがある。

昭和の自民党政治は(まあ基本的には今も変わらないが)族議員を通じて利権を配分するシステムであった。多くの老舗日本企業が国際競争力皆無なのは、魅力的な商品やサービスを提供することよりも「上から降ってくる金」を獲得することに最適化しているからだ。少しでも権力に近いものが得をする。

だからこそ、昭和のシステムでは(まあ基本的には今も変わらないが)次の首相が誰になるかを一分一秒でも早く知ることが莫大な経済的利益に繋がる。政局報道には実利に基づいた深いニーズもあるのだ。
 
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2021年09月16日

希釈された「緊急事態っぽさ」だけがダラダラと続く

驚くべきことに東京は緊急事態宣言の発令下だ。驚くべきなんだろう、本当は。

にしては、このさっぱりとした緊急事態感のなさはどうだろう。この期に及んで何か意味があるのか? 

要するに日本の緊急事態宣言は(少なくとも2回目以降は)政権の支持率対策であり、それ以上でも以下でもないのだと思う。現にこの宣言は実際の感染拡大状況とは無関係に出され、その度に多少なりとも支持率は持ち直してきた。宣言を出すのも延長するのも解除するのも、ただただ支持率の推移を見て判断するだけであり、だからこそ絶対に客観的な発令基準を設けようとはしない。

今回の延長も、例によって事前にマスコミにリーク記事が流され、世論の反応を確かめた上で決定された。そして、それらの報道そのものが既に緊急事態感を欠いている。「2ヶ月前から続けてきた対策を来週以降も継続するかどうか明日の会議で検討する」という報道は、誰がどう見ても緊急事態を伝えるニュースではない。

今の緊急事態宣言に何かしら感染対策として実効性があると考えている人はいるのだろうか。日本の感染対策のキーは人流抑制ということになっているが、もはや殆どの専門家も政治家も役人も、これを漫然と続けて効果があるとは考えていないはずだ。それでも止められないのは、結局のところ彼らの骨の髄にまで染み込んだ責任回避体質が原因だろう。

もちろん、それぞれが感染拡大を防ぐために知恵を絞り汗をかいているとは想像する。彼らを悪く言うつもりはない。そうはいっても「感染拡大を防ぐこと」は、残念ながら彼らの最重要課題ではない。最も重要なのは「感染拡大が防げなかった時に、それが自分の責任にならないこと」なのだ。もはや日本のコロナ対策は壮大なババ抜きと化していて、誰もが「どうすれば自分の責任にならないか」を考えているようにしか見えない。
 
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2021年09月14日

自民党の総裁選について非国民が思うこと

そもそも私は自民党の支持者ではないので、全くの他人事であるし、さしたる関心もない。

それでも、高市応援団の低脳ぶりが酷すぎる、とは思う。

「出来もしないことを平気で言う勇ましさ」というのは、かくもウケるものなのか。まあ、ウケるんだろうなあ。あの安部さんが7年余も選挙に勝ち続けたんだから。
 
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2021年08月08日

オリンピックにも侍にも興味がなくて

ネットでニュースを見ていたら「侍ジャパンが金メダル・・」という見出しが視界に入った。何度か見たことのある言葉だが「侍ジャパン」が何なのかを全く知らない。何かの競技で日本選手団がメダルを取ったのだろうな、とは想像するが、何の競技なのかは見当もつかない。

見出しをクリックして記事を読めばすぐに分かるのだろうが、読もうとは思わない。興味がないからだ。オリンピックどころかスポーツ全般に興味がなく、テレビを視ない人間は、割とこんなもんじゃないかなあ。

おそらく記事を読めば「侍ジャパン」が何なのかを知るのに1分と掛からないだろう。こんな駄文を書き散らしている間に済む話である。それでも読もうという気にはならない。別に知らなくてもいいかな、と思っている。
 
posted by 非国民 at 00:29| Comment(2) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする